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第37話 米粒ひとつ
「おっとっとっと」
「公平っ!」
上の棚へと背伸びをした瞬間、少しフラついた公平の腰に慌てて手を添えた。
「! 照葉さん、ご、ごめんっ」
朝、自宅ではそばにいられるけれど、営業中はそうはいかない。なかなか忙しくてさ。
「謝るの、こっちだ」
ごめん。腰、ダルいよね。でもハロウィンの翌日が週末で、たぶん夜からはもっと忙しいんだ。
「へーき!」
休ませたほうが、そう思いかけた時だった。スクッと元気に立ち上がったところにお客さんが声をかけた。
「すいませーん、鮭の親子にぎりと小松菜とじゃこのおにぎり」
「はいっ」
大丈夫って笑って、すぐにまた仕事へと戻っていく。
「あ、すみません。お冷」
「はい」
そう広くない店内だけれど、忙しそうに歩き回って、声をかけられると、短くはっきりと返事をする。公平の返事は気持ちがいい。
――あぁっ……ン、そこ、好き、イっちゃう。
「ありがとうございました。……あ、はい。美味しいですよね。秋限定だから、そろそろなくなっちゃうんです。……是非、また、いらっしゃってください」
よく動くし、笑顔が可愛いから、お客さんがよく話しかけるんだ。おにぎりの感想とかさ、よく公平が言われてる。
「僕も、うちの店のおにぎり、大好きなんです」
好物だって言うんだ。そして、うちのおにぎり全部食べたことがあるし、すごい詳しくてさ。
――や、あぁっ……まだ、抜いちゃ、やっ、だ。
お客さんにもすごい好かれてて。
――あ、あ、あ、ン、奥、気持ちい、の。
「ありがとうございました。また、宜しくお願いします」
――照葉さ、ぁっン。
「照葉さん、暖簾、しまっちゃいますよ? ……照葉さん?」
つまり、昨日のハロウィンの君が可愛くて、ホント、反省だ。
「照葉さん?」
その場で、我慢顔をして、ぎゅっと結んだ口元を手で覆い隠した。もうお昼のお客さんはゼロ。暖簾を閉まって、今から俺たちが腹ごしらえを済ませて、夜の小料理屋としての営業の準備になる。
なるんだけど、
つい、夜の君を思い出す。店にいる君も好きだよ。でも夜の妖艶で色っぽくて、可愛い君はとても愛しくて。
「さて、昼にしよう。公平は座ってて」
「……」
「そうだな。昼は……腹減った? 晩飯、何時になるかな。けっこうしっかり食べておこうか」
「うん。充電する」
「充電って、な、……」
何を? そう聞き返しながら、冷蔵庫の中から野菜を取り出したら、君が背後で待ち受けていた。
「…………充電」
唇で?
「キス、したかったんだ。照葉さんに」
「……」
「お客さんは、きりりとした照葉さんしか知らない。おにぎりを握るとこしか知らないでしょ?」
けれど、君は知ってる。
君を夢中になって抱く時、俺がどんなに切羽詰った顔をするのかを。キスをする時、白い肌に歯を立てて愛撫する時、君を抱いて、イく時。
「なんかちょっと、色々考えたら、よろけただけ」
「……」
やらしいことをする俺を想像して?
「この人の、あんな顔、今ここにいる誰も見たことないんだーって思ったら」
「……」
「この顔、知らないんだ……ぁ、って」
今、君しか見ていない、この顔はどんなふうなんだろう。君に夢中って顔をしてる?
「ゾクゾク、する」
そっと囁いて、また充電だとキスをする。舌で唇を舐めて、コクンと喉が鳴ったのがこの近い場所でちゃんと聞こえた。
「あのさ、俺、本当に平気だよ」
まかないは豚の角煮チャーハンにした。小さく刻んでネギと人参をたっぷり入れたもの。それとお昼のランチセットで少しだけ余ったスープをアレンジしたもの。夜、けっこう遅くまで忙しいかもしれないから、昼をしっかり食べておかないとって思ったんだ。
「照葉さんに抱いてもらった次の日とか逆に元気だよ」
カウンターに並んで、二人でまかないの昼食を食べながら、君がピクニックをしているみたいに楽しそうにチャーハンを食べてくれる。
「お尻に昨日のセックスの感じが残ってるのも好き。あ、感じが残ってるっていっても、痛くないし、しんどくないよ?」
セックスの感じが、今も、君の奥に残ってるの? さっきも? お客さんとおにぎりのこと話してる間も?
「ホントだよ…………」
「公平?」
じっと、しばらく見つめられると、そのアーモンド型の瞳の綺麗さにちょっと慌てるんだ。
「照葉さん、いつも丁寧にほぐしてくれるもん」
「ぶっ、げほっ、ごほっ、ちょ、こ、公平?」
「あはは。むせた」
「あのねっ」
「けど、ホント」
普通だろ。男同士なんだから。セックスで受け入れる側の仕組みは持ってない身体同士で繋がるのに丁寧じゃないなんてこと。
「優しい……うーん、ちょっと違うな」
「無理させてること多々だもんな」
「そうじゃなくて、うーん、うーん……あ!」
ちょうどいい言葉が見つかったと声が弾んだ。そして笑って。
「いつも大事に抱いてくれる」
「……」
そんなの、当たり前だろう。
「……大好き。それとご飯粒ついてたよ」
君が俺の頬を齧った。笑って、嬉しそうに。頬にくっつけた米粒を齧って食べた。
大事に抱くのなんて、当たり前だ。好きな子を大事に抱かない奴なんていない。
「……俺も、好きだよ。ご飯粒、ついてた」
そして、言葉の代わりにキスをした。頬じゃなく唇に、そっと、とても丁寧にキスをした。
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