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第39話 一、二、三

「いや、この間はホント、びっくりしたよ。こんな偶然なんてあるんだなぁってさぁ」  同期、名前は……並木だ。知美が何度断っても飲みに行こうと誘ってくるから困るって言ってたのを覚えてる。  気が、あったんだろう。 「だって、そうだろ? もう会社辞めて何年? しかも同期の誰とも交流のないお前とさぁ、まさか遭遇するなんて、どんな確率よ」  あとは、あまり記憶にない。  それと……。 「脱サラして企業起こすんだろうって思ってたけどさぁ……」  あまり好きになれなかった同期の一人だったと記憶している。 「まさかこんな小さな店だとは」  自分の中で、周囲の人間にランキングをつけていて、そのランキングに合わせて会話の受け答えがまるで変わるようなところがあって、好きになれなかった。裏表が露骨すぎてダメだった。 「まぁ、お前らしいっちゃ、お前らしいのかもな」 「……」  あぁ、思い出してきた。そうそう、こういう奴だった。 「ここは祖母の店なんだ」 「へぇ」  俺のことは多分「下」だと思ってるんだろう。他の同期で成績の良かった奴にはお面みたいに見える満面の笑みで、何かあれば率先して手伝って、その影では文句をずっと零し続けてた。  俺は「下」で、この小さな店は自分の職場の「下」、だから、こうなる。 「祖母が亡くなったから俺が引き継いだ」 「へぇ……」  公平はきっと怒ってるだろう。秋に、こいつらに会った時も怒ってたから。そう思って視線を、テーブルを整えている最中の公平へと向けた。怒っていなかった。ただ息苦しそうに顔をしかめてた。 「なるほどねぇ」 「……」 「それで知美とも別れたんだ」 「……」 「あれ……」  そう、露骨な目配せで指し示したのは、その息苦しそうにしている公平だ。 「お前がねぇ……」  知美のことをまだ好きなのか、それとも俺みたいな「下」が付き合っていたことが不満なのか。  今日もそのことでからかいたくて来たんだろう。 「まさか、そっちに走るとはなぁ……」  あぁ、やっぱり、好きになれない。好きになろうとも思わないし、仲良くなりたいわけでもないけれど。 「そっちがどっちだかわからないけど」  公平が息苦しくなることなんてないだろ。だってここは陸の上だ。水の中じゃない、高い山の中に遭難したわけでもない。うちだ。俺たちの店で、俺たちのうちだ。 「彼は恋人で、知美とは将来性の違いで別れたんだ。彼のことは関係なく、ただ別れた」 「……」 「今時、そういうの、偏見っていうんだぜ?」 「!」  同僚だった頃、並木をたしなめたことはなかった。言えば、顔を真っ赤にして感情を余計に煽るだけで、めんどう、だから。スルーしてやりすごしてた。 「へ、へぇ、すごいなぁ、お前、なんか達観しちゃったんか? あはは」 「なぁ、並木、悪いんだが」 「なぁ、お前、知ってんの? その恋人が過去に何してたか」  急に声のトーンを下げた。そして、前かがみになって、俺にだけわかるように、他の客がこっちの話しに耳を傾けてしまいたくなるように、小さな、ヒソヒソ声で暴露する。  前にも、お前が同じことをしているのを見たことがあるよ。 「俺、どっかで見たことあると思ったんだよなぁ。けっこう自由奔放なんじゃね? あっちのほう? お前も楽しませてもらってるんだろ? だって、性接待、やってたもんな。前にさぁ、すげぇ、有名な」 「並木」  その時は同僚のミスだった。ミスしたのはさ……って相手に呟いて、そこから先はこそこそと、同僚のプライベートを全部ペラペラ話してたっけ。 「な、なんだよ」 「つまらない話に夢中なのはいいが、ネクタイ、醤油に浸かってる」 「えっ? うわぁぁっ! な、ふっざけんな! これ、高かったんだぞっ」 「なら、急いでクリーニングに染み取りしてもらったほうがいいぞ。勘定はサービスだ。ろくに飲みもせずに話に一人夢中だったみたいだから」 「っ」 「知美に宜しく」 「なっ、おいっ」  店の外に出せば、もうお前は客じゃない。 「なぁ、並木」 「っ!」 「そういうの、すごく嫌いだから」 「!」 「俺のことだろ。お前には関係ない。俺の恋人のことだ。お前には何も言われたくない。悪いが、名前もろくに覚えてなかったくらい、お前のことが俺にはどうでもいいんだ。興味がない」 「おい! てめぇ!」 「そのネクタイ、お高いんだろ?」  まだ何か言いたいと顔を歪ませたけれど、そのお高いネクタイをいち早くどうにかしないとって、並木が大きな、大きな舌打ちを残して立ち去った。 「もう、二度と来るな」  すっきり……なんてするわけがないだろ。できることならもっと暴言を吐いて、ぶん殴ってやりたかったよ。 「……照葉さん」  君にこんな顔をさせるような奴、ぶっ飛ばしたっておさまらない。 「照葉さんっ! あの」  蹴り飛ばしてやりたいよ。 「さっきの人の言ってたことっ、その」 「……泣かないで。公平」 「っ」 「君を丸ごと、好きなんだ」  意味を真っ直ぐそのまま捉えてくれ。変に考え込まないで。悩まないで。ただそのまま君のことを丸ごと好きだとわかって欲しい。 「過去は消せない」 「っ」 「過去ごと、君を想ってる」 「あのっ、照葉さんっ? ぁ、あの、ここ、店のっ」 「三秒だけ」  俺たちの店の前で、煌々と店内の明かりのが漏れる扉の前で、涙を零す君を抱き締めた。 「一、二…………」  どうか泣き止んでと願って。 「照葉さんっ」 「あー、やっぱ、あいつ、ぶん殴ればよかった」 「ちょ、照葉さんっ」  腕ッぷしならそれなりに強いんだ。たぶん。 「あー寒い。けど、公平が体温高いからあったかい」 「ね、照葉さんってばっ」  よかった。君が悲しさで指先から冷えていってしまってないか心配だったんだ。君は気が付いてないかもしれないけど、出会った頃の君は本当に野良猫みたいでさ、冷たかったんだよ。そりゃもう心配になるくらいに。長靴を慌てて履かせるくらいに。 「あー、公平がめちゃくちゃ可愛い。優しくて、元気で、照れ屋で」 「っ」 「大好きだ」 「っ」 「…………三」  はい。三秒経った。そう言って、腕から解放してあげた。 「あ、あれ? まだ泣いてた。おかしいな。じゃあ、プラス二秒。一……」 「もうっ! 違うし。これは、今泣いたんだ」  嬉しくて泣いたんだと、君がようやく笑って、その頬からは一粒の雫が落っこちた。

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