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第41話 瞼にキスをひとつ

 これは……ちょっと、びっくりした。  まさか、あのまま寝たのか。気が付けば朝だった。外が少しばかり賑やかだから、それなりにしっかりと眠ってしまった。  でも、電気は消えてた。俺は覚えがないから、公平が消してくれたんだろう。 「…………」  起き上がり、振り返ると布団の中で君が寄り添うように眠ってた。俺が起きた分、寒くなったのか、もぞもぞと腕を胸のところに仕舞うように小さくなろうとするから、布団をかけてあげた。  昨日、彼の過去を聞いた。  引っ越しをしたいと、アクセサリーデザイナーの男に言ったら殴られたっていうのは聞いていた。男性の経験が多いっていうのも。そして、あまり自分のことを好きじゃなかったことも。でも、家族のことは初めて聞いた。  君が、自分を大事にしない理由。汚いと言っていた理由。温かい場所に不慣れな理由を、初めて、聞いた。  そっと、布団を抜け出し、洗面所へと向かう廊下はひんやりとしていた。古い家だからさ。床暖房なんてものはない。風通しも抜群で、夏は涼しいけど、冬はすごく寒い。 「うわ……すごいことになってるな」  洗面所の鏡に映った自分の顔面につい独り言が零れた。瞼が重く、腫れぼったくなって、けっこうな不細工顔になってしまった。 「はぁ……すげぇ顔」  昨日、泣いたまんま寝たからなぁ。 「ダサ……」  普通、あそこは包容力見せつけるところだろ。けど、悲しくて仕方なかったんだ。 「ダサくないよ」 「! 公平っ」  驚いて振り返ろうとすると、君が背中から抱きついて、額をその背中に擦り付ける。甘えてる猫みたいに。  愛しい人の過去が辛くて、悲しかった。  もっと早くに君のそばにいたかったって。あの日、秋の雨の日、長靴じゃなくて鍵を貸せばよかったって。 「寒くて目が覚めたら、照葉さん、いないんだもん」 「ごめ」  君をさらってしまえばよかった。わりとさ、出会ってすぐに君のことを好きになっていたのだから、もっと勇気を持って君に伝えていたら、もっと早く君をそこから――。 「寒く、ない? 廊下、冬はうちけっこう冷えるんだ」  ぎゅっと抱きついてくれた君の背中にそっと手を回す。足を俺の上に乗っけて良いよって、足の爪先で突付くと、君の足先も俺を突付いてくる。 「……へーき。っていうか、何してるの?」 「あ、公平、顔あげないで」 「え? なんで? 何か」 「いや、俺がさっ……ちょ」  ちょっと待ってと、言うより早く君が顔を上げてしまった。泣き腫らしたままの不細工顔に変貌を遂げた俺の瞼に目を見開いて。 「……すごい、腫れてる」  昨日、泣いたからね。ホント。苦笑いになるよ。 「照葉さん、こっち」 「え? 何、公平?」  俺の手を掴んで冷えた廊下を素足でぺたぺた歩くと、君は階段を下りて居間に俺を座らせた。ばーちゃんは座椅子が好きじゃなくてさ。掃除の時に邪魔だからと持っていなくて、俺も別にないのに慣れてたから、テーブルとばーちゃんの仏壇しかない居間にぽつんと座らされた。 「待ってて」  すると、水の音がして、かと思ったら、すぐに戻ってきて、いきなり視界が真っ暗に。しかも目のところを強く押すから、驚いて、俺はよろけて手を後ろに付く。  真っ暗だ。何も見えない。  あと、冷たい。  濡れタオルで腫れた瞼を冷やしてくれてる。 「昨日さ……」  何も見えないまま、君の声だけが聞こえる。 「俺、今までのこと話したでしょ? たとえばさ、性風俗って、やってた子、知ってるけど、そういうのって客商売で、向こうが気に入って商品である自分を選ぶからさ。大事にしてもらえたり、ちやほやしてもらえたりすることがけっこうあるんだ。そりゃそうだよね。お金出して気持ち良くしてもらうんだもん。けど、性接待ってさ、違うんだ」 「……」 「商品じゃなくて、道具だから。あと、無料だしね」  声色は少し悲しそうに聞こえた。 「本当に俺、自分のこと汚いって思ってる」 「公平っ」  そんなことはないと否定したいのに、君の手はぐっと力を込めて、俺の目元を濡れタオルで覆ったままだ。 「今も、思ってる。だから、昨日、打ち明けて、抱いてくれたら嬉しいって思ったんだけどさ」  抱いて、君のことを汚いなんて思ってないと、気持ちで、行為で伝えるのが、一番だったはずだ。だから、俺の大失態に失望とか残念とか、怒ってるとか、あると思ったのに。けれど、視界を遮られて声しかわからないけれど、君の声は残念そうでも、悲しんでるのでもなく。もちろん怒ってもいない。 「なのにさ」  もしかして……笑って、る? 「変なの。照葉さんがさ、泣いてくれて嬉しかった」 「……」 「泣いたまんま寝ちゃったの。俺のこと抱き締めて」 「……」 「抱いてくれたら嬉しいって思ったんだけど、それと同じくらい、ううん、もっとかも。抱き締められたまんま寝るの、幸せだって思った」  長靴を履かせて帰らせた時、君は何を思って、どんな顔をしてたんだろう。  痛くて仕方ない耳朶を見て、どんな溜め息ついて堪えてたんだろう。  頬を腫らして、行くあてのなくなった君は何を思ってうちの店の前にいたんだろう。  今、君はどんな顔をしてるんだろう。 「…………ありがと」  目元を覆った濡れタオルにはいつの間にか君の体温が染み込んでいる。そして、唇に温かく柔らかいものが触れた。 「あと、大好き」  昨日、俺に好きでいていいかと尋ねた君が今朝、大好きだと言ってくれた。 「……だから、今はまだちょっとダメ、なんだけど、いつか俺が作ったおにぎり、食べてね」  手が離れて、そっとタオルと取ると。 「ッぷ、すごい本当に目、腫れてる」  君は頬をピンク色にして笑った。  冬の朝日の中、まだ一晩かけて冷えた居間があったかいとさえ思えるくらいに、柔らかくて。 「不細工だろ?」 「ううん。誰よりカッコいい。めちゃくちゃ」 「公平」 「?」 「おにぎり、塩おにぎりがいいなぁ」 「…………うん」  君に食べてもらった最初のおにぎりと同じがいい。そうリクエストすると、また笑ってくれた。  その笑顔を心から、とても愛しいと思ったんだ。 「何、お前、その不細工な顔」 「…………うるさい」  どうしてお前はいつもこういうタイミングで現れるんだ。 「すげぇ……ブスだぞ」 「うるさいっ!」  毎回、毎回、一番イヤなタイミングに、へらへら笑いながら。 「ぁ、永井さん」 「あ、こーへーくん、なぁなぁ、何、このブスは」  いつも昼過ぎ閉店間際に来るくせに、どうして今日に限って、まだ目も腫れてる昼前に来るんだ。狙ってるだろ。 「何? ついに、こーへー君に呆れられたとか? でも、それが正解! こいつよりもずっとイケメンが」 「照葉さんほどカッコいい人いないです」  絶対に狙ってるだろ。 「俺の大好きな人なんです」  絶対に、狙って、俺がお前に奢りたくなるようにって、してるだろ。 「ほら、永井、ランチセット、奢ってやる」 「え? なんで? いいの? ラッキー。最近挙式のことで金がぼかすか飛んでってるから助かるわぁ」  毎回、毎回、本当にさ。

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