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第42話 寒波と共にやってきた
明日は休業日、つまりは、夜更かししたって、朝寝坊したっていいってことだ。
それはつまり、つまり、つまりさ。
「照葉さん、暖簾仕舞っちゃうね。それと外掃除もしてくるね」
「え? ちょっ、ちょちょちょ」
閉店後の片付けにと、さらっと気軽に外へ出ようとするのを慌てて追いかけ手を掴んだ。
「わっ、な、なにっ?」
何って、何って、あのね。
「外! 冬!」
「……なんで照葉さん、片言?」
「君がそんな薄着で外掃除なんて行こうとするからだろっ」
「……」
「中、入ってて。厨房の掃除頼める? 中、まだシンク磨いてないからっ、えっと、それと、掃き掃除もまだだから! だから、中お願いする!」
たくさん頼まないとまた君が薄着で外に出てきそうで、あれこれたくさん、口うるさい奴みたいに頼んでしまった。
細いんだから、すぐに冷えてしまう。
今夜辺りからグンと冷えるらしいよ。寒波がやってくるかもしれないって言ってた。今年の冬はせっかちなのかも、って思ったんだ。
だから君は中にいて。寒い中にはいさせられない。
「……さてと」
外掃除、最近は少し落ち着いていたけど、でもまだまだ枯葉がすごいんだ。秋から冬にかけてはさ、街路樹の花水木の葉がたくさん落ちるから。初夏少し前くらいには真っ赤な実がたくさん落ちて、鳥も食べに来るし、たまに、歩道が落ちた実で見事に赤くなることだってある。春にピンクと白が交互に咲くと道路が華やいで綺麗なんだ。俺はけっこう好きなんだけど、公平はどうだろ。
まだそれぞれの季節で表情が変わる花水木を公平と見たことはないけれど。
お花見とか、好きかな。それこそおにぎり持ってさ、二人でピクニックがてら、とかさ。
あ……想像したら、すごい楽しそう。
店の前の枯葉をホウキでかき集める音が想像のお花見のおかげで楽しくなってきた時だった。
「俺、ちりとり係」
公平がカーディガンを着てやってきた。白衣の上にカーディガンで、スッとしゃがんだ君の吐息がふわりと白く立ち込める。
「外、寒いのに、照葉さん、薄着」
「……俺は、別に」
「だから、早く二人で外の片付け終えて、中入ろ?」
普通の会話だ。俺は掃除をしてて、君はそれを手伝ってくれる。俺はホウキ係で、君はちりとり係。ただ、それだけなのに。
「あと、なんか、すごい嬉しかった。大事にしてくれるの」
なんてことだろう。今、君を抱き締めたくて仕方がない。しゃがんだ君を抱えるように持ち上げて、このまま部屋に運んでしまいたくなる。
じっと見つめられてることに気が付いて、こっちを見ては照れ笑いをする君が本当に愛しいなぁって――。けれど、それを邪魔するように、コツコツ、コツ……って、止まった軽やかなヒールの足音と知っている女性の声。
「照葉……」
「……知美」
白いコートに高いヒールの靴。赤いストールが目にも鮮やかだ。
「あの、そろそろお店閉める頃だと思って……ごめんなさいっ! 並木君がっ、そのっ」
あいつがうちに来たのが一週間前のこと。年末に差し掛かるこの忙しい時期に、ばかげた話だ。
たぶん、飲み会でもあったんだろう。部署ごとか、会社としてか、それか俺のことを告げ口したくて知美を酒の席に招いた、とかかもしれない。
呆れる。
「……あの」
「知美には関係のない話に巻き込んでごめん」
「違うのっ私っ」
「そうだよ、並木の言ってたことは事実だ」
「照葉さんっ!」
「公平……平気」
手を握った。抱き締める代わりに手を握って、店からの明かりで見えるところで笑ってみせた。
「ちょっと、夜遅いから、知美を送ってくる。すぐにうちに帰るから」
「……」
「待ってて」
怖がりな君が飛び上がって驚いてしまわないように。待ってるんだ。君の手料理を食べられる日を。笑顔でごちそうになるその日を、クリスマスを楽しみにしてるんだ。それが終わったら正月で、その後は花見があって夏が来て。だから、少しずつ――。
「あいつ、下世話な言い方してたんだろう?」
「……」
「ごめん。知美は嫌な気分になってない?」
「大丈夫よ」
「……そっか」
きっと並木のことだ、とてもいやぁな言い方をしたんだろうな。普通の大人なら言いそうにない嫌な言い方。どうしたらそう性格がひん曲がるのか。
「あいつ、友だちいないだろうな」
「そうね」
「あはは。知美に言われたら、お仕舞いだな」
「そう? けっこう辛口よ?」
「そうか?」
上品で美人で、付き合ってた頃からとても素晴らしい人だと思ってたよ。仕事もできてさ。
「貴方は、優しくなった」
「俺?」
「うん。とても」
そうかな。
「彼にだけ、ね」
「……」
「前は誰にでも優しかった。私にも、皆にも」
「……」
「今は、彼にだけ優しい。今日、送ってくれたのだって、並木君がどういうふうに二人のことを言ったのか、彼に聞かせたくなかったんでしょう? 彼を傷つけたくなかった」
君はやっぱり聡明だ。
「彼だけを大事にしてる」
「……」
「うらやましい」
美人で、きっと君と結婚する男は幸せになれると思う。
けれど、それは俺じゃないってずっと思ってた。俺は心のどこかでずっと君とは不釣合いだと思ってた。だから手を伸ばそうと思ったこともなかった。
「ここまでで大丈夫? 知美」
今は違う。
「……えぇ、ありがとう」
公平のことは絶対に手を離したくないって思ってる。彼の手を俺は離したくないって。
「?」
うちに帰ると人の気配がした。公平一人だけのじゃなくて、複数人の。俺は何かあったのかと慌てて、店の戸を勢いよく開けると、住居エリアへ続く入り口のところに靴が二足、それと公平のサンダル。
「おかえりー! そしてただいまー!」
「照葉さんっ! あの、ごめんっ」
「ただいまー! 照葉」
店の中には公平と、それと。
「いやぁ、びっくりしたぁ。店、売り渡しちゃったのかと思ったわ。知らない人がお店の掃除してるんだものー!」
「びっくりしただろ? 急で、連絡もしてなかったから」
そりゃ、びっくりするさ。だって、ずっと海外にいたはずの。
「いやはや、家を売った時の手続きが何か残ってたらしくてさ、まぁ、しばらくお前の顔も見てなかったし、こりゃ良い機会だーって思ってな」
「クリスマスだと飛行機代跳ね上がるんだもの。だから帰って来たの」
「は? ちょ、何、いきなり」
「びっくりよねぇ」
俺の両親がそこにいたんだから。
「な、なんでっ」
「でも、私たちもびっくりしたのよ?」
「は? 何が?」
「だって、こーんなモデルさんかアイドルみたいな子が二十九歳で、あんたと同じ歳で」
そして――。
「あんたが、店一つをしっかり切り盛りして、従業員雇えるくらいになってるんだもの」
「…………は?」
従業員? はい? 何か、盛大な間違えが、ここに発生してる。びっくりして、一瞬何がなんだかわからなかった。
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