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第43話 肩に染み込んでいる

「――それで? なんで、うちの親は公平のことを従業員なんて言ってたの?」  びっくりしたよ。晴れやかな笑顔で、君のことをそう言ったんだから。 「だって、急すぎてびっくりしたんだもん」  まぁ、たしかに驚くとは思うよ。  いきなり、時差ボケもあるんだろう。やたらと高いテンションでやって来た初老の夫婦に話しかけられたら、そりゃ。 「だから、何も従業員って……」 「わっ、わかんなかったんだよ! だって、ああいう家族の感じとか知らないし。なんか急にドラマみたいでっ、そのっ……」  公平は俺の部屋で床に座って口をへの字に曲げた。ぷいっとそっぽを向いて、そして、眉をぎゅっと寄せる。  そうだ。  君の家族は――そうだった。  怒った口調になってしまった。君が自分は従業員で、俺は雇い主だなんて、俺の両親に説明してしまったことに、少し悲しくなったんだ。その場にいなかったのは俺なのに。それでなくても君は人見知りをするのに。いきなりじゃ困惑するに決ってる。  まだ、君は恋をすることに慣れていないのに。  手を取り握って、額をくっつめたまま目を閉じた。 「……ごめん。公平」 「俺も……ごめんなさい」  公平の声がしょんぼりとしていた。 「いや、俺がいなかったあのタイミングだったからだし。帰ってきて早々、さっきのは違ったって言っても混乱して騒がしくなりそうだからさ」 「……え?」  そしたらまた後日、明日にでも落ち着いたら言うことにしよう。今日はバタついてるし。あの人たちは話し出すと止まらないんだ。 「また、明日にしよう」 「えっ! ちょ、あのっ、照葉さんっ」 「?」  俺たちも風呂入らないと。そろそろ風呂空いたころなんじゃないかな。そう思って立ち上がろうとした俺の手を慌てて公平が引っ張り戻す。 「い、言う、の?」 「?」 「その、俺たちの、こと」  早すぎるよって思ったよ。寒波も、うちの両親も。まぁ、寒波は仕方ないとしても、もう少しのんびり来て欲しかったんだ。 「言うよ」  まだ俺の好きな子は「好き」ということに不慣れだから。 「公平……」 「だ、ダメだって! ねぇ、照葉さん、あんまわかってないんでしょ? ノンケだから、そのカムアウトとかさ、あの」 「公平」 「……」  そして、俺の好きなこの子はとても怖がりだから。 「言う」  でもただ怖がってるんじゃない。今までに怖いことがたくさんあったから。悲しいことや寂しいこと、辛いことがたくさんあったから、今、こうして肩を竦めてしまうんだ。 「で、でもっ、二人は手続き終わったら帰るって、それなら、別にっ」 「また来年か再来年帰ってくるよ?」 「!」 「今誤魔化したら、次に二人が帰って来た時も誤魔化すことになる。それじゃダメだから、言うんだ」  隠してしまえばわからない。逃げてしまえば大丈夫。そんなふうに身を守ってきたクセが身体に、その細い肩に染み込んでいる。 「でも、俺……無理、だと思う。認めてなんてもらえないよ。ねぇ、だってさ」  ぐっと息を呑んで、風邪の時みたいに腫れあがった喉が痛くて仕方ないみたいに、顔をしかめた。 「や、でしょ? だって、あの人たちは照葉さんのお父さんとお母さんで、すごい大事にしてるってわかる。俺でもわかる。照葉さんに俺のこと大事にしてもらえるのすっごく嬉しいよ。けどさ、やっぱ何も知らない人にしてみたら俺は照葉さんが思ってくれるような奴じゃなくてさ。汚れてる、って思う、よ。だから、あの二人は、自分の息子が俺みたいな男なんかを恋人にしてるって知ったら、すごく、その」  君はまだちっともわかってないんだ。でも、それなら――。 「じゃあ、明日は言わない」 「ほ、ホント?」 「けど、言うよ」 「……」  でも、それならこれはいい機会じゃないかと思ったんだ。 「俺は、君のことが大好きなんだと、言う」  わからずやの君がちゃんと肩に染み込んだ痛みも苦しみも辛いのも全部を洗い流してしまう、いい機会じゃないかってさ。 「……照葉さん」 「そこは譲らないから」 「で、でもっ! ねぇ、照葉さんっ」  まだ不安そうに顔をしかめる君の言葉を遮るように、階下から、母がのんびりとした声で俺たちを呼んだ。風呂の順番らしい。だから、先にどうぞと公平に順番を譲って、俺は両親に出発がいつになるのかを訊くため、一緒に居間へと下りていった。  十日間かぁ。けっこう、しっかりいるんだ。まぁ、十日間もいたら、そのうちなんとなくでも気がつきそうだけど。  でもできることなら気が付いてもらうとかじゃなく、言いたいんだ。  今までなら、言うことすらしなかった。知美のことも、付き合っている人がいるのかと尋ねられたら答えたけれど、別に自発的に言ったりはしなかったし。  今回は、言いたい。  公平のことは、ちゃんと親に話したい。すごく大事にしてるんだって。好きなんだって。  って……あ! 十日? は? 十日こっちにいるんだっけ? はい? え? そしたら、十日は禁止っていうことなんじゃないのか? 「あら、公平君、何か探してるの?」 「あ、はい、洗剤のストックを」  禁止、手を出すの禁止ってことなんじゃ? だって、一つ屋根の下、隣の部屋の音はけっこう筒抜けの古びた木造住宅じゃ、色々聞かれてしまう。さすがにそれはいかんだろうし。 「こっちに入れたと思ったんですけど」 「あらあら、そうなの? じゃあ、探さないと」 「あ、いえ、あの、お母さ……えと、あの、大丈夫です。俺が」  そもそも公平が飛び上がって拒否しそう。二人がいるじゃんって言って、慌てて、もしかしたら逃げ出してしまうかもしれない。  最悪、両親がいる間だけはどこかのカプセルホテルに泊まるとか言い出すかもしれない。ちょうど明後日、給料日だし。じゃあ、無賃金で働かせたら大丈夫? 今月の支払いは後々でってしたら――なんて、違法行為だから。  とりあえず、この十日間が。 「洗剤ならここだよ。公平がこの前、安いからって買い溜めしとこうってたくさん買って、入りきらないのを上に置いただろ?」 「あ、そう、だったっけ。ありがと」 「どういたしまして」  背が俺より低い公平にはちょっと取りにくく、何が入っているのかを確認するのは難しい角度。そこに買い溜めストック第二弾目が置いてある。 「そうだ。今日のチラシでまた洗剤が安いってあったかも」 「あ! やった!」 「買いにいく?」 「うん!」 「じゃあ、食事を済ませたら行こうか」  とりあえず、今日は休日なんだ。  君のカプセルホテル滞在は阻止しないとだから、朝からの盛大なカミングアウトは避けて、海外暮らしの長い両親のためにおにぎりでもにぎってあげようかなと、キッチンへと向かった。

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