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第44話 ある恋人たちのある一日

「今朝のおにぎり美味しかった」 「そう? ありがと」 「ね。あれって、生姜?」 「そう。大正解」  昨日の残った秋刀魚と生姜の千切りをご飯にまぶしておにぎりに。ゴマも今回少し入れてみた。風味が増すかなぁって。料理の話をしながら、薬局の外へと出ると、待っていたかのように北風が舞い上がって、髪で隠れていた公平の艶っぽいうなじを晒す。  薬局でお一人様一点限りの超激安、新ボトルタイプの衣料用洗剤を合計四人で四本ゲットできた。おしぼりは業者だけど、洗剤の類はあって困るものじゃないから助かった。 「あ! 照葉さんっ! これ、シール二十枚集めたら応募できるって」 「へぇ」 「来週は柔軟材が安いって」  公平が嬉しそうに顔をほころばせたのはレジで会計をしてもらった時に配られた応募券とシール。このシールを二十枚集めると応募できるらしい。  デートスポットにもなるレジャー施設。温泉プールで素肌ツルツル、室内大型スライダーで季節を気にせずプールを満喫……できるらしい。  案外こういうの、応募とか好きだよね。公平ってさ。この前も旅行みたいなの応募してなかったっけ?  最初の印象とは大違いだ。美人で、少しすました感じがまた猫っぽかった。今は、くしゃって、ふにゃって笑う可愛い人で、家庭的で、掃除が好き。あと、ありとあらゆる反応が初々しい。最初に見知らぬ男を誘惑した人と同一人物とは思えないほど。 「公平、貸して、荷物」 「え、いいよっ」  ほらね? 本当にありとあらゆる反応が初々しいんだ。ただ荷物を持つと手を伸ばしただけで、真っ赤になってしまう。 「俺は大丈夫、公平は、また手首のとこ赤く内出血するかもしれない」  この前のことだった。買い物袋を手にぶら下げていた時、細く白い手首に痛々しく残る赤い鬱血の痕。痛くないっていうけれど、でもね。 「平気だってば。俺、痕がつきやすい体質なだけでさ」 「まー、痕はつきやすいかもね」  キスマーク、すぐに付くからって、唇の端を持ち上げて悪戯っぽく笑ってみせる。こそこそ話してるから、後ろからついて来てる俺の両親には何の話をしているのか、わかりはしないよ。けれど、君は真っ赤になって慌ててる。わかっちゃったらどうするんだって。  そんなの別に、わかったらわかったでいいよ。どうせ、向こうに戻るまでにちゃんと二人は伝えるつもりなんだから。  ただ、今、ここで似たような赤い鬱血痕を肌に刻む君を想像するのは、失敗だった。  ね? 公平もそう?  ほら、真っ赤が更に真っ赤になってる。  だって、今日は休日なんだよ?  イチャイチャする気満々だったんだ。夜更かししたって、朝寝坊したってかまわない日で、楽しみにしてたから。 「応募券とは別に行こうか」 「え?」 「プールはとりあえず肌の露出が気になるので」  それに、つい数日前に付けたキスマークがまだ薄っすらと残ってると思うし。でも、君が男女問わずナンパに合うのを防ぐにはキスマークが一番の虫除けになるのではないかと思うから。さすがに両親には刺激が強いかなと。 「ねぇ、父さん、母さん」  俺らの後ろを歩いていた、時差ボケが解消したらしい両親へと振り返る。 「日本観光、明日しようか」  デートも兼ねて。さすがに洗剤買うだけ、次は柔軟材、そんな休日っていうのもなんだなぁとも思うし。  出発まで後、九日だから。  鍋の時期、けっこう楽しみにしてた。  きっと君は鍋を突付くようなことも今までなかっただろうから。 「あ、公平、食器並べてくれる?」 「わかった」 「ねぇ、母さんは酒、飲む?」 「あ、そうね、うん、いただこう、かな」 「はーい」 「あ、そしたら、公平、ワイングラス」 「はい」  言うより早くワイングラスを四つ用意してくれた公平に笑って礼を言いつつ、白子を冷蔵庫から取り出した。  昨日は帰国直後の時差ボケと疲労で、祝杯って感じにはならなかったけど。今日は、ちょっとそんな感じで。 「白子って、公平は好き?」 「んー、どうだろ。あんま食べたことない、かな」 「そ? 今度、白子のポン酢和えを夜、店で出そうかなって思うんだ」 「俺!」 「うん。頼んでもいい?」  いつもどおり。君の味の感想をいただこうかと。 「ポン酢をさ、和えるんだけど、ちょっと工夫しようかなって。葱をめちゃくちゃ刻んで、少しだけポン酢につけておく。葱ポン酢みたいな。冬で風邪防止にもなるかなぁって」 「美味しそう!」 「だといいんだけど」  店のカウンターみたいにキッチンテーブルに身を乗り出す公平の口に、スプーンに取った一口大の新作を放り込んだ。 「……どう?」 「…………ちょっと」 「ダメ?」 「んー、なんか、葱が辛い」 「そっかぁ」  じゃあ、普通のポン酢にしようかな。 「でも、このポン酢で牡蠣とかは? 茹でただけでのでも、牡蠣フライでもいいかも」 「あ、いいね、それ」 「ホント?」  ふわりと微笑んで首を傾げる君の、その白い首に手で触れたい。指でくすぐりたいんだけどなぁ。  なんてことを俺が思っていると知ってか知らずか、君は無邪気に微笑んでいた。  でも少しだけ、瞳に別のものが滲んでいたようにも思えた。俺の願望かもしれないけれど。怖がりな君がそう大胆なことを今この瞬間に考えてくれてるかどうかはわからないけれど。 「お、俺、配膳する」 「うん。ありがとう」  あぁ、抱き締めたい――そう切に望んでしまった。 「ごちそうさまでした! あぁ、久しぶりにお鍋食べたわぁ。海外だとここまで普通の鍋やるのって結構な大仕事なのよ。さてと、もう眠くなっちゃった」 「ぁ、そしたら風呂先入りなよ」 「ありがとねぇ」  酔っ払ってるかもね。母さん、足取り危なくない? 父さんは久しぶりの日本のテレビ番組に齧りついていた。見ようと思えば見れるけれど、テレビで観る、というのがいいらしい。 「あ、公平、いいよ、食器」 「……うん」  さっき、君もほろよい顔してたでしょ? 鍋を囲んでた時。 「俺、布団敷いてくるから、公平もテレビ見てれば?」 「う、ん」  今、俺と公平はそれぞれの部屋で寝てる。本当は一緒がいいんだけど、ね。 「……照葉さん」 「……」  階段のところ、母さんは風呂場で、父さんはテレビの前。 「……」  君が追いかけてきてキスをしてくれた。 「……あれ、口癖、同じなんだね」 「……え?」  あ、っていうの。俺も母さんもそっくりなんだって。 「なんか、照葉さんの秘密を知れて、嬉しい」 「……」  第一印象の君とはまるで違う。今の君はくしゃりとふにゃりと笑って、たまらなく可愛いんだ。 「お父さんと、テレビ、見てくるっ」 「……」  そんな可愛い君がいきなり懐に飛び込んできて、背の分と階段一つ分、引き寄せられ屈むように背中を丸めた俺に、一生懸命に背伸びをしながらキスをした。 「……」  その破壊力たるや。ホント、可愛すぎてたまらなくて、階段につい腰を下ろしてしまうほど。 「ちょっと……しんどい」  そう呟いて溜め息が零れちゃうほど、冬の夜、君の唇が恋しくてしょうがない。

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