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第45話 優しい過去
君は料理を作れない。手が、汚れていると思っているから。
「うーん、どこにあるのかなぁ」
ガンバレ、公平。
「お茶、お茶……と」
キッチンでなにやらごそごそやっているのは俺の父親だ。お茶が飲みたいらしい。
「こっちかな」
母は今、ちょっと出かけてる。
だから、ガンバレ、公平。
「うーん……」
怖がりな君は人見知りもするから。きっと知らない人となんら変わらないだろう、今どうしてもお茶が飲みたいらしいそこのおじさんに話しかけるのすら、心臓バクバクなんだと思う。
でも、ガンバレ。
「お茶、お茶」
「あ、あの……お茶、探してるなら」
恐る恐るだった。でも、公平が話しかけた。
「こっちの棚です」
「おお! ありがとう。いやぁ、緑茶、美味しいよねぇ」
「さ、産地直送なんです」
「ほーすごいね。だからこんなに美味しいんだねぇ」
君がお茶の場所を教えてあげた。秋の雨に濡れた君がうちで飲んだのと同じお茶っ葉、産地直送ってあの時俺が自慢気に話したことを、今度は君が俺の父にふわりと微笑みながら教えてあげた。
「父さん、お茶、煎れようか」
「! 照葉さん」
「おー、ありがとう。じゃあ、いただこうかな」
「公平も飲むでしょ? 居間に座ってて」
それはそれで困る、かな。座ってて、と言われちゃったら、君は真面目に座ってしまうだろうから。そこがどんなに居心地悪くてもさ。
「公平君、でよかった?」
「あ、はい!」
「悪いんだけどさ、これ、ってテレビのチャンネルどう変えるのかな」
「えっと……こう、です」
「おおっ」
猫のような君は。
「この番組面白いねぇ」
「ぁ、俺も、これ好きです。ちょうどお店が休憩になる時間帯だからよく見えてて」
「あ、そうなの? そっかぁ」
「これ、面白いんですよ。このコーナー、俺好きなんですけど」
「ほぉほぉ」
猫のような君は居心地の悪さに困ってしまうかもしれないと思ったんだけど。
「あはは」
「おー、なるほどなるほど」
大丈夫みたいだ。君が笑ってる。普通に、肩を竦めたりもせずに、笑ってテレビを見てる。日本のテレビを久しぶりに見る父さんに、とても真面目に番組解説をしながら。
煎れたてのお茶のいい香りに君が気が付いて、スッと立ち上がった。
「お茶、持ってくね。照葉さん」
その笑顔はとても無防備で愛らしくてさ。
「うん。お願い」
こんなこともあるんだなと思った。
「ぁ、お茶、どうぞ」
「おー、ありがとう」
ただ君がそばにいるだけで恋しさが増すなんてこと、あるんだなって思った。
「公平さんはどんな化粧水使ってるの?」
「へ? ぇ、あ、えっと、使ってませ……ん、けど」
「え? 嘘でしょう? だって、パパから聞いたわ! 二十九歳って、照葉と同じ三十路手前なんでしょう?」
「は、はい」
「嘘でしょ! そんなわけないわ! お化粧してるの?」
「し、してません」
「嘘でしょおおおお!」
「母さん……公平が怖がってる」
四つん這いでじりじりじりじり近づく中年女性にビビらない人いないから。
「それと、それじゃ、公平がテレビ見えないよ」
「あらあらごめんなさい」
今夜も鍋にした。で、その鍋の後、昔懐かし名作劇場がたまたまやってるのを見つけて、家族団らんで映画鑑賞となった。
視界の邪魔をしていたのねと素直にどいた母が、それでも気になると公平の隣に座り、その肌をじっと観察していた。
「でも……やっぱり綺麗よ」
「そ、そんなことは」
「ねぇ、照葉もそう思うでしょ? 肌、つっるつるって」
「そりゃ、思うよ、だって公平は」
言いたかったけれど、慌てふためいた公平の声で掻き消えてしまった。
まだ、ダメらしい。言うのは。
「あ、これ、ここでタイムマシーンが登場するのよ。いいわぁ、タイムマシーンがあったら、二十代の頃の肌を見に行きたいわ」
そして母がしつこく美肌を気にしてて、ちょっと笑った。
「タイムマシーンねぇ、公平さんはそれがあったらどこに戻りたい?」
「俺は……」
「公平、悪いんだけど」
その話題はきっと苦しいものだろう。過去のどこにも戻りたいと思える瞬間なんてないのだから。だから会話を遮るように俺が口を挟んだところだった。
「俺は、戻るのは今朝、がいいです」
「今朝? なんで」
「そしたら、また、おはようございますって言って、皆の笑顔が見られるから」
「……」
「あ、それと、俺たちが小学生の頃にやってたお笑い番組を見てみたいかも。照葉さんが見てたって前に話してて、俺も見てたんですけど、でも今、もう一回見たいなぁって」
たとえば、大体の人はタイムマシーンで昔に戻れるのなら、子どもの頃に戻りたいとか、若い頃に戻りたいっていう。若かりし日を懐かしんで、楽しかった学校生活を思い出して。けれど、公平にはそういうのがないと思った。
でも、違ってた。
「二人乗りのタイムマシーンなら照葉さんと一緒に見に行きたいなぁって」
君が戻ってみたい過去があった。
俺と過ごした昨日までが君にとってのタイムマシーンで戻りたい過去になっていて、それを笑顔で話してくれる。
たまらなく嬉しかったんだ。
ものすごく、幸せだなって思ったんだ。
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