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第47話 手の中に星を
「はぁ、楽しかったぁ。公平さんもせっかくのお休みにありがとうねぇ」
「……いえ」
君の表情が曇ったのは、声が沈んだのはたぶん、あそこからだ。
「素敵な一日だったわぁ」
「……」
「公平さんも楽しかった?」
「……はい。でも、すみません」
海の生き物ふれあいコーナー。
「あら? なんで?」
「俺、家族水入らずの邪魔を……」
でもそこでも最初は楽しそうにしてたんだ。途中から、君の表情が曇った。声が沈んだ。瞳が寂しそうになった。
「公平さん」
「あれぇ? もしかして、照葉のおばさん? と、おじさん?」
うちへと歩いていたら、店の前に男が一人立ってた。今日はそもそも定休日だ。それなのになんでいないんだとウロウロする奴なんて一人くらいしかいない。
「あら……え? えぇぇっ? タッ君! って、もう三十でタッ君はないわね」
永井だ。子どもの頃はうちの親にタッ君って呼ばれたっけか。
そのタッ君が「いやいや、懐かしいなぁ」なんて笑って、頭をぽりぽり掻いてみせた。そして、ひとしきり世間話を終えると、俺に大きく立派な封筒を差し出した。
「切手代、節約兼ねてな」
結婚式の招待状だった。
「あらぁぁ! まぁぁ! なぁに? タッ君、結婚するの?」
「あー、そうなんすよ。いやぁ、おばさん達が来てるって知らなくて」
「残念だわぁ、お嫁さんに会いたかったわよー」
「いや、気恥ずかしいっすよ」
婚前カップルにとってはどこにでもあるような他愛のない会話だった。ニコニコと笑顔で交わす楽しそうな話。相手のこと、家族のこと、語られるのは明るく楽しそうな未来を見据えたことばかり。訊いてるほうも、話してるほうも笑顔になるような。でも――。
「それじゃあ、俺、まだ用事があるんで」
「結婚式頑張ってねー! 花嫁さんに宜しく」
「はーい」
でも、公平は寂しそうだった。
永井を見送り、皆がうちの中へ。母があのタッ君がねぇ、ってしみじみと呟いて、父は疲れたらしくあくびをしてた。
でも、公平は、笑顔が脆かった。
「そうなのねぇ……びっくりだわぁ。さてと、あ、もう明日は帰るのに荷物まとめてないのよねぇ。楽しすぎちゃって。だから、バタバタしちゃいそうで。ねぇ、公平さん」
「……はい」
「ちょっとちょっと」
「……」
母が手をヒラヒラと振って、公平を呼びつけた。そして、とても嬉しそうにニコリと笑って、ポシェットから小さな紙袋を取り出した。
「はい、これ」
「……」
「おみやげ」
「……」
「ほら、照葉も」
それはヒトデの形をしたキーホルダーだった。なんだかもっとロマンチックなものもあったんだけれど、飾るものじゃねぇ、使えるもののほうが嬉しいから、そう言ってニコリと笑った。
俺の手にはオレンジ色をしたヒトデ。公平には赤いヒトデ。秋バージョンって書いてある。お揃い、色違いのキーホルダー。
「同じうちに帰るんだもの、お揃いがいいわよ」
微笑んで、俺たちの掌にある小さな星の形をしたキーホルダーを、昼間みたいに指で突付いてみせた。
「大事に使ってね」
母には、話してない。
「あっ、あのっ! 照葉さんのお母さん!」
俺たちのことは、まだ言ってないんだ。明日言おうと思っていた。今日言いたかったけれど、公平はたぶん昨日まで以上に怖がってしまっているだろうからと。
「あのっ! 俺っ! 俺……」
「公平さん?」
「俺っ……」
「見てれば、わかっちゃうんだから」
母がニコリと笑った。そしてその笑顔に、公平の頬を大きな雫が転がり落ちていった。
「ごめんなさいっ、あのっ、俺は」
「あら、なんで謝るの?」
「だ、だって、俺っ」
掌の中に赤いのはヒトデのような、星のような、君と出会った秋に色づく紅葉のような。
「照葉は……」
「……」
「あまり、結婚には向かないんだろうなぁって思ってたの」
遥か遠く海の向こうにいて、息子の様子は少しわかりにくくなってしまっていたけれど、それでもお付き合いした女性と結婚はしないだろうと思っていた。
そういうのは苦手なんだと思っていた。
「でも、違ってたのね」
「……」
「本当に、たまらなく好きになった子がいなかっただけなのね」
どうしても、止められないくらい好きな子。
「今は、すごく、結婚したいくらい好きな子がいるらしいの。顔を見ればわかるわ。とっても楽しそう。よく笑うし。その子のことばかりいつも見てる。その子が困ると何より一番に気がついて手伝うの。手伝えたことに嬉しそうにして」
真っ赤はヒトデを見つめていた母が、顔を上げた。
「貴方がその好きな子」
「っ」
そして、公平を見て笑った。ニコッと笑って、どんな子だろうとその瞳の中を覗き込む。
「あ、あの、俺、俺はっ」
「その子は、何か悲しいことがあったみたいなの」
「……」
「とっても悲しいことが。でも、その子はとても強くて、好きな人のためにってたくさん頑張ってる」
「……」
「すごく可愛い子。そりゃ、うちの自慢の息子もぞっこんになる」
公平がぎゅっと口をへの字にして、涙を堪えるけれど、止めようがなく、ぽろぽろと次から次に、赤くなった頬を転がり落ちていってしまう。笑いながら「あらあら」って呟きながらそれを拭ったのは母だった。
公平は慌ててその手から逃れようとする。
自分は汚いからって、汚れてしまうって、またそんなことを言うんだ。
「けどっ、俺は、照葉さんのお父さんとお母さんに孫を見せてあげられないっ、お二人のこと、すごく好き、なのにっ」
「まぁ、意外と、古臭いことを言うのね」
「っ」
「じゃあ、なぁに? 男女で結婚してる人は子どもを絶対に産まないといけないの? 孫を見せないといけないの? それができないとダメなの?」
怖がりな君の手を母が握った。君は肩を竦めて、手を引っ込めて仕舞いたそうに困り顔をするけれど、でも、母はその引っ込みたいと焦る手を両手でしっかりと握った。
「うちは一人息子で、よく言われたわ。兄弟作ってあげなさいよ、って」
「……」
「一人じゃかわいそうじゃない。遊び相手もいないしって。失礼しちゃうと思わない? 一人がかわいそうだなんて。遊び相手を作るために命を一つ育むなんて」
遊び相手なら、タッ君がいたし、一人じゃないわ。親がいて祖父祖母がいて、友だちがいる、と言って、公平の白い手の甲を優しく撫でてあげた。
「照葉が貴方をとても大切にしてる。それが一番大事なことよ」
「……」
「そして、私たちも、公平さんのこと、とても好きよ?」
「!」
「とっても大事にしたいと思ったわよ? ね?」
だから、お揃いのキーホルダー。同じおうちにいつでも辿り着けますように。ただいまを、、おかえりを、いつまでも二人が笑顔で言っていますように。
そんな願いを込めた星が俺と公平の手の中に一つずつ、輝いていた。
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