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第48話 普通のおにぎり

 朝、洗面所に向かうと君がいた。ちょうど顔を洗い終わったところだった。顔を拭っているタオルに口元を埋めて、じっと何かを考えている。と、思ったら、そのタオルを元の場所に引っ掛けて、今度は手をじっと見つめた。  昨日は別々に寝た。  一緒に寝たかったんだけど、一緒に寝たら、我慢できなさそうだったし、それに先約が入っちゃってさ。 「……おはよ」 「お、おはよう、照葉さん……」  どうしても君と一緒に寝たかったんだって。あなたは明日からいくらでも一緒に眠れるんだから、一晩くらい譲りなさいだってさ。 「夜更かし? 眠そう」 「ちょっとだけ」  今日は臨時休業。先週から張り紙はしてあったから、「えー! せっかく来たのに」っていうお客さんはそうはいないと思う。はるばる海外から帰って来た両親を見送るのでって、何度かお客さんには説明したし。  だから、昨日が夜更かしでも大丈夫だよ。  けっこう遅くまで小さな、こそこそ話が壁を挟んで聞こえてきてた。楽しそうな内緒の話。  そのせいかな。 「何? 公平」 「う、ううんっ」  君がなんだかそわそわしてた。目が合うと、パッと逸らしてしまう。でも、その仕草も愛らしくて、可愛いくてさ。だから、逆に何の話をしてたんだろうって気になるよ。 「あら、おはよ。照葉」  うちの母さんと。 「お、お母さん、どうぞ、洗面所」  あ、言い方「照葉さんの」が取れてる。昨日まではそう呼んでたのに、今朝はただ「お母さん」って。 「うふふふぅ」 「なに、母さん」 「なんでもなぁい。うふふふぅ」  なんだよ。すごい気になるですけど。にやりと笑って、前髪を大きな髪留めでしっかり留めると、顔を洗い始めてしまった。楽しそうに、鼻歌混じりで。 「あ、あの、照葉さん」 「ん?」 「あ、あのね、ちょっといい?」 「?」  服の袖をクイッと引っ張られ、そのまま台所のほうへと連れて行かれた。  あのね、えっと、あの、そう言い淀む君の赤い頬に期待が募る。もしかしたら、もしかしてって。 「あの、おにぎり……作りたい、んだ」  もしかして、ってさ。 「あの、お母さんたちに食べさせてあげたくてっ」  あぁ、なんてことだ。 「お母さんは梅干とタラコがいいって。お父さんは塩おにぎりと昆布、が……いいって……え、ダメ? ダメだった? 俺じゃ」  しゃがみ込んだことを君がどう捉えてしまうのかなんてわかってるけど、でもしゃがまずにはいられないだろ? 「……俺が一番に食べたいのに……」  好きな子の初めては全部独り占めしたいだろ? 「俺が食べたかったのにー」 「! ご、ごめんっ、違うってば、照葉さんにも食べてもらいたいってば!」 「…………なんだか、ついで感が」 「ちょ! な、ないって!」  なんてさ、ひねくれてしまいたくなるほど、君のことを独り占めしたいんだ。とても、とっても大好きだから。 「お願いっ、照葉さんっ」 「いいよ。おにぎり、作るの手伝う」 「ほ、ホントに?」  む……何、その可愛い顔。俺が拗ねたら、そんな可愛い顔を見せてくれるの? それなら週一くらいで拗ねてしまおうかな。涙目で困った顔でちらりとこっちを伺う君が、見られるのなら。 「じゃあ、ご飯炊こう」 「! あ、ありがとう!」 「どう、いたしま……せん」  手を引いて、その場に、頭は押さえてないけれど避難訓練のごとくしゃがんだ。 「は? な、なんで!」 「お礼は、キスで」 「!」  しゃがみこんで、台所で何をしてるんだろうね。俺たちは。 「あ、ありがとう、照葉さん……」 「ん」  目を瞑ると、そっと、そーっとすぎて、くすぐったかったんだ。 「わ、笑わないでよ。なんかドキドキしたんだから」  ごめんね。でも、昨晩、君は何を聞いたんだろう。俺の母とどんな話をしたんだろう。だってさ、たったの一晩だ。たったのそれだけで、どうしてそんなにキラキラするんだろう。どうしてそんなに瞳が艶めくんだろうと、気になるほどだったんだ。 「あ、あの……どうぞ、召し上がってください」  君と並んでおにぎりを作った。合計で八個。母と父と、俺と、君の分。それぞれ二個ずつ。君が握ってくれた。ぎゅっぎゅって。 「いただきます!」  優しいおにぎり。まだ不慣れだけれど、てんやわんやだったけれど、ほら、できた。 「ど、どうですか?」  恐る恐る、君は丹精込めて握ったおにぎりはどうかと尋ねて。母は黙って半分ほどもぐもぐ食べていた。 「あ、あの」  ドキドキするのわかるんだ。美味しいかな、美味しくなかったかな。美味しかったら嬉しいなってさ。 「……くわー! とってもとっても美味しいわ!」 「うん。美味しいよ」  ねぇ、このおにぎりはとても特別なんだ。すごくすごいことなんだ。公平が自分の手でおにぎりを握って誰かに食べさせたいって思ったこと、召し上がれって言えたこと、どれもこれもすごいこと。 「ありがとう……公平さん、本当に美味しい」  母たちはどこまで知っているんだろう。わからないけれど。 「あ、あの、照葉さんも」 「うん」  でも、母はとても大事に、丁寧に、公平が握ったおにぎりを食べていた。父は嬉しそうに食べて、俺は――。 「お、美味しい?」  おにぎりを食べながら笑ってた。 「すごく、美味しい。公平は? どう? 自分で握ったの」 「なんか……美味しい」  君は少し驚いていた。 「あら、二人は何おにぎりなの?」  ――塩にぎりでいいよ。それが一番安上がりだろ。  最初の頃に君はぶっきらぼうだった。 「俺らは、普通の」  あの日、君にご馳走したのと同じ、普通の塩おにぎりを、二人で笑顔で食べていた。

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