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第49話 こんな初恋
はるばる海を渡って帰省した両親をしっかり見送るための本日「臨時休業」なんだけど。
――いいわよいいわよ。別に。そんなことしなくて。せっかくの休みなんだから。
そう言ってくれた両親に思いきり甘えさせてもらった。
「俺ね……照葉さんを不幸にするんじゃないかって思ったんだ」
せっかくの二人っきりの休みを満喫させてもらおうかなって、久しぶりだしって、思ったら、居間にぺたりと座り込んだ君が静かに、ぽつりとそんなことを言ったんだ。不幸だなんて、あるわけないと思うけれど。でも、そう思ったきっかけみたいなのを、なんとなくだけどわかってる。きっと、水族館でのこと、でしょ?
「自然にさ、想像できたから」
小さな子どもを抱っこする俺と、その隣にいる……君じゃない誰か。
「俺と一緒にいたら、そういうの、照葉さんはずぅぅ……っと、できないんだぁって思ったんだ」
いわゆる、結婚して、子どもがいて、っていうやつだ。
「俺はああいう家族の中で育ってないから、あんまりわからないんだ」
「……」
「でも、照葉さんは、そうでしょ? お父さんもお母さんもすごい優しくてさ。照葉さんの両親っぽいもん」
悲しそうな笑い顔をして、自分の手を握って閉じてを繰り返す。
「昨日ね……お母さんが、教えてくれたんだ」
「?」
「照葉さんの初恋の話し」
「……は?」
あの人は、なんで今の恋人にそういう話をするかな。それでなくても公平は……。
「中学一年の頃だったって」
そう、中学一年の時に好きな女の子がいた。優しくて、少し控えめで、笑ってくれると俺が嬉しくて。
「お付き合い、したんでしょ? お母さんが言ってた」
「まぁ……ちょっとだけ」
「照葉さんが告白したんだって」
好きです、付き合ってくださいって、俺が言ったんだ。学校で、放課後に呼び出してさ。人のいない少し日陰の場所で、真っ赤になってたと思う。緊張してさ、心臓が告白の言葉と一緒に外にぽろりと出るかと思った。
「一緒に帰ってるところをお母さんが見たことあるんだって」
「……」
「その……」
公平が自分の手をまた握って開いて、握って開いて、って繰り返す。そして、その手を伸ばした。
触れたいって、無意識に手を伸ばす。
「他にも、付き合った相手と並んでるとこを見たことがあるけど、その子だけだったって」
――もんのすごく嬉しそうにするのよ。笑っちゃうほど嬉しそうだったの。にやにやしちゃってね。ほっぺただって赤くして。
「水族館にいた、その、照葉さんが、同じね……顔、してたんだって」
「……」
「初恋みたいに、嬉しそうにしてたって」
おっかなびっくりの猫みたいだ。触りたい、でも触ったら怖いものかもしれない。でもでも触ってみたい。そっと、そーっと手を伸ばして、触れそうな触れないようなギリギリのところをちょんちょんって、しようとする猫みたい。
「そんなに顔に出てたかぁ」
思い返せば、あの日は君とたくさん話せてすごく楽しかった。
あれは好き? これはどう? 俺はね――そんなふうにお互いのことを知りたくて続く言葉たちはまるで、学校の帰り道、好きな女の子とした下校デートみたいだったなぁって。
「でも、そんな顔をしてたと思うよ」
「……」
初恋、好きな子と歩くのすら楽しくて嬉しくて、つい笑顔になってしまう。好きが溢れたヘラヘラ笑顔。
そのくらい君のことが大好きなんだ。けれど、やっぱり君は怖気づくんだろうか。怖がるんだろうか。
俺なんかって。
ぎゅってさ、俺が握ったら、びっくりして飛び上がって逃げてしまう? まるで外で暮らしている野良猫みたいに。
「好きだって、自分から思ったの、その時以来だ」
「……え?」
どうしても、どうしても伝えたくて、気持ちが溢れて零れて口からポロリと言葉になって零れ落ちたのは、その時以来。けれど、これはそれ以上だって確信してる。君とするこの恋は。
「きっとその初恋よりも、だよ」
もう、君は野良猫じゃないから。
「こんなに好きになったのは」
逃げないでいてくれる。ちゃんと、ここにいて、ぎゅってさ。
「こんなに欲しいって思ったのは、君が」
手を掴んでくれる。
「君が初めてだ」
古い家だから階段をのぼるだけでもギシギシと木が軋んで音を立てる。手を繋いで、そんな、ちょっとだけ賑やかな階段を二人で手を繋いでのぼった。
急な階段をゆっくり、転んでしまわないようにしっかり。
階段をのぼりきってすぐのところが俺の部屋、君の部屋はその隣。ここ最近はずっと「おやすみなさい」「また明日」って言って、ここでバイバイをしてた。両親いたしね。でも、今夜は――。
「あ、あの、照葉さんっ……」
「……」
「あの……」
手を繋いだまま、君が額をこつんと俺の肩に乗せた。甘えったれな可愛い猫みたいに。けれど、その猫さんが俯いた拍子にのぞく白いうなじはとても猛毒で、心臓が暴れ出しそうになる。
「きょ、今日、その、えっと……し、したい、って、その、思った」
キスしたくなる。
「やっ! あの、えっと、眠い、とかなら、別に、その……」
「あー……」
「! ご、ごめっ、おやすみなさいっ、あの、また、明日、仕事あるから、そだよね、今日はちゃんと寝ないと」
思ってたんだけどさ。
「ね、公平」
「! な、何っ、なんで笑って」
君は誘うのがとても下手なんだ。初対面の男を誘惑した人とは思えないほど、下手で、愛しい。
「ごめん。意地悪だったよね」
「っ! な、なんだよっ、もう!」
「だって、公平ってば」
「っ、し、仕方ないじゃん! こんなの初めてなんだから」
たまらなく愛しいんだ。
「初めて?」
「っ、そ、そうだけど?」
愛しくて、ぎゅって抱き締めた。
「初めて、だよ……こんな気持ち」
「どんな?」
「大好きで、すごい大事にしたいのに、照葉さんのことすごい綺麗なままにしておきたいのに、でも」
「……」
「やらしいこともしたくなる、の。俺の匂いくっつけて、独り占め、したくなる」
そして、キスをした。
「ンっ……」
舌を伸ばして絡ませ合いながら、吐息が滴るみたいに唇の間から零れるやらしくて、ベトベトで、たまらなく甘いキスを。
「ぁっ……照葉、さんっ」
君とした。
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