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ショコラ編 1 元野良に甘いショコラを

 ねぇ、公平は甘いものは好き?  飛び切り甘いのは大丈夫?  ――わぁすごい良い香り。  そう言ってただろ? だから、ここのにしようって決めてたんだ。 「あの、すみません、バレンタインギフトのチョコレートを一つ」  君と去年、クリスマスイルミネーションを眺めながら、来年、バレンタインにはチョコをあげようって、決めてたんだ。愛しい君へ、愛を込めたチョコレートを、なんて柄にもなくクサいことを思ったんだ。 「照葉さん、もう暖簾しまっちゃう?」 「あー、うん。お願いできる?」 「はーい」  いつもどおりの店じまい。いつもどおりの掃除に片付け。 「暖簾、ありがとうね公平。あー、お腹空いた、何食べよっか」 「あ、うん……あのっ、えっと」  けれど、今日はバレンタインだから。  いやぁ、さすが公平だ。人生初、お客さんにジェラシーというものを感じてしまった。いやいや、本当にけしからん、なんだけど。きっと天国のばーちゃんは呆れて怒っていることだろうけれど。でも、あんなにチョコレートを差し出されるものでしょうかね、ばーちゃん。  でも、あれで半数くらいだと思うんだよ。俺は隠してないから。うちは、隠してなんていないから、常連さんとかは知ってる人多いと思う。俺と公平のことを。なので今日のチョコレートできっと半分くらいだと思う。隠していたらもっと引く手あまただったのではないだろうかとさ。 「あの、今日、俺が弁当、作ったんだ。あの、今日、言ってたでしょ? ほら、照葉さん、お昼の間に銀行とか行かないとって」 「んー、あ、うん」  嘘、ついてしまったけれど、今回の嘘はアウト? セーフ? 君を驚かせたくて、実はこっそり駅前のショコラ専門店に行ってました。この前、君が通りがかりにいい香りだと目を閉じて堪能していたショコラの店。あそこで、チョコレートを買っていました。 「その間にお弁当作った」 「え? そうなの?」 「うん。あの、一昨日、今日銀行行くって言ってたから、材料とか揃えて。でね、今日っ」 「じゃあ、これはデザートかな」 「え?」  でもさ、とても嬉しいことに、そして接客業としては喜んでいいのかわからないけれど、公平は全てのチョコレートをお断りしていた。たくさん女の子が君にチョコレートをあげたいと名乗り出ていたけれど、義理だからと言っていたけれど、深く頭を下げて、一つも受け取らなかった。  恋人がいるので。  そう言って、丁寧に頭を下げていた。 「はい、どうぞ」 「……ぇ」  シックな黒い箱にダークレッドのリボン。おにぎり屋ではあまり見かけないハイセンスな感じ。 「あの、これって」 「今日、バレンタインデーでしょ? だから、チョコレート」 「え、あのっ」 「きっと美味しいと思うんだ。ごめん。今日はそれを買いにね」 「え、だって、ねぇ、照葉さんっ」  ぎゅっと箱を握る君は大慌てだ。元野良だったせいか、秋を越えて冬がすぎようとしているこの二月になってもまだ予想外なタイミングで可愛がられると戸惑ってしまうことがある。 「バレンタインって、女の子が」 「あー、日本だとそういうのあるよね。でも海外だとそうじゃないらしいよ?」 「け、けど、これ、買ったんでしょ? そのチョコレート売り場で。照葉さんっ。それに、もしもこういうのするなら、俺がするじゃん。俺っ」 「公平。君を女の子の代用にしたことは一度もないよ」  鼻をちょっとだけ摘まんでしまおう。君が少しだけ、寂しいことを言ったから。 「女の子役って思ったこともない」 「……」 「可愛いとは、常々思ってるけど」  あったかい君の頬に触れて、トクンと心臓が高鳴った。 「好きな子に、大事な子に、良い香りだって言っていた甘いチョコレートをあげただけ」 「……」  君が好きだと心臓が高鳴った。 「ありがと。あの、大事に食べる」  君のその一言で俺がどんなに幸せになれるのかを君は知らない。大事に食べるって言ったんだ。食べることを餌みたいに思ってて、自分の手が汚いからと食べ物さえ汚く思えてた君が微笑みながら大事に食べるって。 「ぜひぜひ。今食べてみたら?」  それが何より嬉しくて。 「え? そんなのダメだよ! 照葉さんにもらったんだから! あとで大事に食べる! だから、片付け頑張る!」 「えぇ? 今、一粒くらい」 「ダメ! あとで! ちゃんと食べたいってば」  たまらなく幸せな気持ちをくれる。  唐揚げに厚焼き玉子、ブロッコリーのサラダにミニトマト。まるでピクニック。俺の予定ではね、ピクニックはもう少し先、桜が満開になる頃をって思ってるんだけど。一足先に君が作ってくれた。  バレンタインなんてしたことないから、どうしようかって困ってたら、雑誌にちょっと豪華な手料理はいかがでしょうってあったって嬉しそうにホクホク顔で言われて蕩けそう。  たぶんそれってお父さん向けのバレンタインデーな気がするけど、でも、嬉しくて、桜満開春爛漫みたいな笑顔で、二人で、ばーちゃんの仏壇の前でいただいた。もちろん、ばーちゃんにもおすそ分けをして。 「ね、あのさ、照葉さんって、やっぱ、チョコレートってたくさんもらったことある、よね」 「……」 「俺さ、なんか、心が狭いよね。他の今まで照葉さんにチョコレートあげた女の人に負けたくなくて。だから、チョコじゃないのをって……なんか最近どんどん照葉さんのこと独り占めしたくなってる」  大事に食べると言っていた。一緒に君が作ってくれたバレンタイン弁当を食べて、お風呂も入って、そして、いざ! みたいな感じで君が宝物みたいにさっき手渡したチョコを出した。 「バレンタインチョコはもらったことはまぁあるけど」 「だよね。っていうか、そんな過去といか言い出すと俺のって、ホント」 「食べてみて?」  それ。ダーク、カカオ、あとミルク。三つの味なんだって。 「あ、うん」  言われて、一粒取り出した。たぶん、色が淡いから、それはミルクなんじゃないかな。ほら、カードが添えられていて右のがミルクって書かれてる。 「ん、これ、美味し、……」 「……ホントだ。美味しいね、これ」  香り、よかったもんね。 「あ、あのっ」  予想外なタイミングで可愛がられると、いまだに君は戸惑ってしまうことがある。だからもちろんこんな突然の甘いキスもどうしたらいいのかってちょっとびっくりしてる。 「公平の、舌」 「っン……っ」  甘いけれど上品な甘さだ。砂糖の甘さと全然違う。それに香りだって。きっとこの部屋まるごとチョコレートの香りがしてる。 「バレンタインのチョコならもらったことあるけど……けど、あげたのは初めてだよ。それから」 「ンっ……んんっ」  キスで齧る唇も君の舌も全部チョコレートが染み込んでるみたい。 「それから、口移しで半分もらうのも初めて」

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