57 / 80
ショコラ編 4 過去
「……透」
「……公平?」
驚いた顔をお互いにしてた。
「とお、」
「うわぁ、元気だった? 何? 公平、少し太ったんじゃない?」
「あ……そう、かな」
「……へぇ」
透、という名前のその人は公平の顔を覗き込むと、目を細め、ニコリと笑った。
公平は――。
「俺、公平の昔の知り合いなんです。藤木透(ふじきとおる)って言います」
公平は。
「あのぉ、やっぱりおにぎりもらってもいいですか?」
「え、あのっ透!」
「はい。どうぞ。何にします?」
「んーと、そしたら、ジャコのにしようかな」
「はい」
きっとこの彼は、公平の過去を知ってるだろうから、だからかな、表情が硬くて。
「へぇ、照葉さんって脱サラしてお店継いだんですか?」
「そう。だからまだ祖母ほどは美味いおにぎりじゃないかも。公平もおにぎり作るの美味いよ」
「そんなことない! 照葉さんのおにぎり、すっごい美味しかったぁ」
華奢な子だなぁって思った。綺麗な顔をしてるなぁって思った。たぶん、それは男性と、つまりは――。
「夜もお店やってるなんて、大変そう」
「全然。公平が手伝ってくれるから」
「……ふーん、なんか、公平の話がいっぱい」
「あぁ、それは」
怖がりなとこはそうなかなか治らなくて、今も、自分の過去は好きじゃないから、こうして、彼っていう過去を知ってる存在に戸惑っているんだろう。辛そうな顔をしていた。
「公平と付き合ってるからね」
「……う、うわぁ、びっくり、そういうのオープンなんだぁ」
「オープンにしてるよ。付き合ってるというか、パートナーだから」
言いふらすわけじゃないけど、でも隠したりはしていない。店の中でイチャついたりは……まぁ、お客さんの前ではしないけどね。そう話して、よくワイドショーなんかで見かけるような指輪を見せてあげた。お店に立ってる間はね、外してるんだ。おにぎり屋さんだからさ。
「へ、へぇ……なんか、すごいね」
「そう?」
「うわぁ、なんか、感動的―、って、ごめんなさい。そろそろ俺、行かなくちゃ」
「あ、うん。雨、止んだみたいだしね」
「……うん、あ、えっとお金は」
「あぁ、いいよ、気にしないで。ご飯、余ったから」
傘は、いらないかな。店の入り口を開けて空を見上げると、雲は薄くなって隙間から青空が覗いていた。けれど、そろそろ夕方で、日が陰ってきたから少し寒くて、この彼は華奢だから。
「大丈夫かな、外けっこう寒いけど」
「あー大丈夫」
「そう? じゃあ、気をつけて」
「うん。ありがとー」
店を出る時は俯いていた。前髪が長くて、そうやって俯いてしまうと目元がすっぽりと隠れてしまう。だから表情は伺えなかったけれど、彼は肩を竦めて、水溜りを避けるように飛び跳ねて、歩いていった。
「うーん……これは、ちょっと……」
冬の雨なんだ、秋の、あの日の雨よりもずっと冷たかったのに油断した。肩と背中、服は濡れてたのに。
「だ、いじょうぶ、しょ、よさんっ」
「ダメでしょ」
その後。夜の開店までの準備の時、公平の様子は変わりなかった? 店が開店中の間は? いや、どうだろう。いつもよりも笑顔が元気じゃなかった気がする。声が小さかった気がする。
「へ……き」
「公平、寝てて」
三十七度五分の熱だなんて。
「あんまり高くないから、インフルエンザってことはないだろうけど」
熱で頭がぼーっとするんだろ? 顔色がとてつもなく悪い。寒いのか肩が震えてる。
「昨日、すぐに着替えさせればよかった」
「……っ」
喉も痛そうだった。声は掠れてないけれど、ツバを飲み込むだけで痛いんだろう。度々、小さくだけれど表情が険しくなる。
「寝てて」
「照葉、さん、あの……」
公平が布団から手を出して、クンっと俺の服の裾を掴んだ。
「ごめん、ね……準備、手伝えなくて」
「大丈夫だよ」
額に触れると、まだ汗はかいてないから、たぶんこれから熱が上がるのかもしれない。もしも高くなるようだったら病院に連れて行こう。
「早く元気になって」
「……ん」
力なく笑う公平の頬を撫でて、部屋を出た。
「……さて」
久しぶりの一人準備だ。
「頑張らないとっ」
気分は腕まくりを肩辺りまで。最愛のパートナー不在で大ピンチなんてことになったらかっこ悪いだろ。このくらい一人でやらないと、そう思って、少し力強く階段を下りていった。
店の入り口の足マットの埃払いに、歩道の掃除。店に戻ってからは開店の準備はカウンターの調味料のチェック。
具材の仕込みに、あー、あと、箸をもう裏から出さないといけないって公平に言われたんだった。それから――。
「すみませーん」
「あ、はい。ごめんなさい。まだ店は……」
外に看板を出していた最中だった。お店の開店時間に間に合うかなぁって思いつつも、開店時間を伝えようと思って、振り返ったら、昨日の彼がいた。
「うん。まだ開店前って知ってる」
「あ……えっと、藤木、さん」
「透でいいってば」
昨日は甘い香りがしてた彼。
「ね、俺、手伝ってあげようか?」
けれど今日は重たいくらいに甘い香りは少しもしない。そして、彼が首を傾げて笑った。
ともだちにシェアしよう!