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ショコラ編 4 過去

「……透」 「……公平?」  驚いた顔をお互いにしてた。 「とお、」 「うわぁ、元気だった? 何? 公平、少し太ったんじゃない?」 「あ……そう、かな」 「……へぇ」  透、という名前のその人は公平の顔を覗き込むと、目を細め、ニコリと笑った。  公平は――。 「俺、公平の昔の知り合いなんです。藤木透(ふじきとおる)って言います」  公平は。 「あのぉ、やっぱりおにぎりもらってもいいですか?」 「え、あのっ透!」 「はい。どうぞ。何にします?」 「んーと、そしたら、ジャコのにしようかな」 「はい」  きっとこの彼は、公平の過去を知ってるだろうから、だからかな、表情が硬くて。 「へぇ、照葉さんって脱サラしてお店継いだんですか?」 「そう。だからまだ祖母ほどは美味いおにぎりじゃないかも。公平もおにぎり作るの美味いよ」 「そんなことない! 照葉さんのおにぎり、すっごい美味しかったぁ」  華奢な子だなぁって思った。綺麗な顔をしてるなぁって思った。たぶん、それは男性と、つまりは――。 「夜もお店やってるなんて、大変そう」 「全然。公平が手伝ってくれるから」 「……ふーん、なんか、公平の話がいっぱい」 「あぁ、それは」  怖がりなとこはそうなかなか治らなくて、今も、自分の過去は好きじゃないから、こうして、彼っていう過去を知ってる存在に戸惑っているんだろう。辛そうな顔をしていた。 「公平と付き合ってるからね」 「……う、うわぁ、びっくり、そういうのオープンなんだぁ」 「オープンにしてるよ。付き合ってるというか、パートナーだから」  言いふらすわけじゃないけど、でも隠したりはしていない。店の中でイチャついたりは……まぁ、お客さんの前ではしないけどね。そう話して、よくワイドショーなんかで見かけるような指輪を見せてあげた。お店に立ってる間はね、外してるんだ。おにぎり屋さんだからさ。 「へ、へぇ……なんか、すごいね」 「そう?」 「うわぁ、なんか、感動的―、って、ごめんなさい。そろそろ俺、行かなくちゃ」 「あ、うん。雨、止んだみたいだしね」 「……うん、あ、えっとお金は」 「あぁ、いいよ、気にしないで。ご飯、余ったから」  傘は、いらないかな。店の入り口を開けて空を見上げると、雲は薄くなって隙間から青空が覗いていた。けれど、そろそろ夕方で、日が陰ってきたから少し寒くて、この彼は華奢だから。 「大丈夫かな、外けっこう寒いけど」 「あー大丈夫」 「そう? じゃあ、気をつけて」 「うん。ありがとー」  店を出る時は俯いていた。前髪が長くて、そうやって俯いてしまうと目元がすっぽりと隠れてしまう。だから表情は伺えなかったけれど、彼は肩を竦めて、水溜りを避けるように飛び跳ねて、歩いていった。 「うーん……これは、ちょっと……」  冬の雨なんだ、秋の、あの日の雨よりもずっと冷たかったのに油断した。肩と背中、服は濡れてたのに。 「だ、いじょうぶ、しょ、よさんっ」 「ダメでしょ」  その後。夜の開店までの準備の時、公平の様子は変わりなかった? 店が開店中の間は? いや、どうだろう。いつもよりも笑顔が元気じゃなかった気がする。声が小さかった気がする。 「へ……き」 「公平、寝てて」  三十七度五分の熱だなんて。 「あんまり高くないから、インフルエンザってことはないだろうけど」  熱で頭がぼーっとするんだろ? 顔色がとてつもなく悪い。寒いのか肩が震えてる。 「昨日、すぐに着替えさせればよかった」 「……っ」  喉も痛そうだった。声は掠れてないけれど、ツバを飲み込むだけで痛いんだろう。度々、小さくだけれど表情が険しくなる。 「寝てて」 「照葉、さん、あの……」  公平が布団から手を出して、クンっと俺の服の裾を掴んだ。 「ごめん、ね……準備、手伝えなくて」 「大丈夫だよ」  額に触れると、まだ汗はかいてないから、たぶんこれから熱が上がるのかもしれない。もしも高くなるようだったら病院に連れて行こう。 「早く元気になって」 「……ん」  力なく笑う公平の頬を撫でて、部屋を出た。 「……さて」  久しぶりの一人準備だ。 「頑張らないとっ」  気分は腕まくりを肩辺りまで。最愛のパートナー不在で大ピンチなんてことになったらかっこ悪いだろ。このくらい一人でやらないと、そう思って、少し力強く階段を下りていった。  店の入り口の足マットの埃払いに、歩道の掃除。店に戻ってからは開店の準備はカウンターの調味料のチェック。  具材の仕込みに、あー、あと、箸をもう裏から出さないといけないって公平に言われたんだった。それから――。 「すみませーん」 「あ、はい。ごめんなさい。まだ店は……」  外に看板を出していた最中だった。お店の開店時間に間に合うかなぁって思いつつも、開店時間を伝えようと思って、振り返ったら、昨日の彼がいた。 「うん。まだ開店前って知ってる」 「あ……えっと、藤木、さん」 「透でいいってば」  昨日は甘い香りがしてた彼。 「ね、俺、手伝ってあげようか?」  けれど今日は重たいくらいに甘い香りは少しもしない。そして、彼が首を傾げて笑った。

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