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ショコラ編 5 元気ハツラツ
「ね、照葉さん、長ネギ、二本とも全部切っちゃっていいの?」
「あ……うん」
店の準備をしようと外へ出たら、ちょうど透君がやってきた。
まだ朝方は冷えることもある三月、前日の雨のせいか、今日は少し寒くて、肩を竦めながら看板を出した時だった。
彼は、手伝うと言って、楽しそうに笑っていた。
「全部ね。りょーかい」
俺が断るよりも早くぱぱっと準備を進めてしまう。
飲み屋で働いていたこともあるから、慣れているんだって。本当に細くて華奢なのに。たぶん出会った頃の公平と同じくらいなんじゃないかな。
別に今も公平は細いけれど。
「風邪引いちゃった?」
「……え?」
「公平。照葉さん、切った長ネギはどこにしまうの?」
「ぇ? もう切ったの?」
びっくりした。失礼ながらに、料理はてんでできなそうだったから、少し手元を覗いてしまった。均一にかなりの細かさに切られた長ネギがまな板の上に一列になって並んでいる。
「だから、調理師免許持ってるってば。嘘つかないよ。公平ってね、昔は、ちょっと寒いだけで風邪引いてたからさ」
「……そう、なんだ」
「毎月? 週一? とにかくよく風邪引いてた。食細いんだよね」
それきっと今の公平とは違ってる。
「風邪は今年の冬初めて引いたよ。食は……」
うーん、そう、細くはない、かな。けっこう食べるよ。おにぎりが好きで。
「へぇ、今年初の風邪なんだ……なんか、意外」
三つは普通。お腹がぺこぺこだと四つ平らげてしまうこともある。
「元気にしてんだね」
小さな声で呟くと、また小気味良い音をさせながらもう一本の長ネギを切っていった。
「ありがとうございましたぁっ」
元気な声、ハツラツとした挨拶、公平とはちょっと違うけれど、接客慣れしてる。お昼の常連さんが新しいアルバイトの人かと目を丸くして戸惑っていたけれど、店を出る頃には透君の笑顔につられるように、明るい笑顔で帰っていった。
「あ、ごめん。透君、暖簾しまってもらってもいいかな」
「休憩? お腹空いたぁ」
「ありがとうね。お昼、おにぎりでもいい?」
「やった! 昨日のめちゃくちゃ美味しかった」
それはよかったって、鮭とイクラの親子にぎり、それから高菜とシラスのゴマおにぎりをカウンターに置いてあげた。
「照葉さんは食べないの?」
「食べるよ。あとでね」
「……それ、お粥?」
様子を見に行きたいんだ。
「そう。公平にね」
「ふーん」
「ごめん、上で食べてもいいかな。ここ、好きに、ゆっくりしててもらっていいから」
寝てる、とは思うんだ。熱はどうだろうね。こういう日に限ってお客さん途絶えないし、手伝ってくれている彼を置いてけぼりにしておけないし。様子を見にいけなかった。
「……愛されてるんだね」
「そりゃね」
「照葉さんってさ、ノンケでしょ?」
「どうして?」
「どうしてって……」
そこで彼はふわりと雰囲気を変えた。ヒラヒラと揺れてせわしない旗が、ふと風向きを変えて裏側になるように、気配なく、音もなく雰囲気を翻す。
「そんな感じがしただけ」
「……」
「公平が初めて? 男を抱くの」
公平と、一番違ってるところ。柔らかい笑顔の公平と元気ハツラツな彼。はにかんで笑う公平と、にっこりと大きな口を開けて笑う彼。
「他の男の中とか、興味ないの?」
照れるし、赤くなるし、けれど心から笑う公平と。
「ないよ」
「即答?」
「即答」
いつも同じ顔で笑う彼。
「ふーん。パートナーって? 結婚みたいな?」
「そうだね」
けれど、きっと本当の彼は――。
「ね、俺、すっごい上手だよ?」
「……」
「一回試してみない? もう準備してあったりして」
本当の彼は、これじゃない。
「そういうとこ、昔の公平に似てる」
「ぇ? わっ、ちょっ、ちょっと、何っ」
たぶん、こっちが本物だ。綺麗な黒髪をボサボサにされて膨れっ面をした彼が、本物。
「俺も初対面の公平に誘惑された。上に乗っかられて」
「……は?」
「似てる、昔の公平に。おにぎり、食べてて」
俺はお粥を持って行ってあげないと。風邪引いてるから、一人で寝てるのって心細いでしょ?
「ちょ、ねぇ!」
「夜の開店まで好きにしてていいよ。もしも手伝ってくれるならすごくありがたい。でも、帰るなら、鍵そのままってわけにいかないから、ごめん、ここから呼んで? 聞こえるからさ」
彼はボサボサにされてしまった髪を直しながら、赤くなった頬に居心地悪そうな顔をしていた。やっぱりところどころが公平に似ていて、少し懐かしくも思った。
二階の階段は、というか建物自体が古いから階段を上るだけでも木の軋む音がする。それでも風邪を引いてしまった彼を起こしてしまわないようにそっと足音に気をつけてのぼった。
扉が開く時につい鳴ってしまった小さな音に、しかめっ面になる。けれど、公平は起きていたようで、扉を開けた瞬間、こっちを見ようと顔を上げた。
「照葉、さん?」
「ごめん、起こしたね」
起き上がると少しフラつくんだろう。頭も痛いのかもしれない。ぎゅっと眉間に皺を寄せて、何かを堪えてる。
「汗かいてる。着替えよう。それから」
「へ、き。自分でする」
「自分でしない」
「す、するってば」
「しないってば」
知ってるだろう? 俺はけっこう我儘なんだ。自分なんかが俺の相手でいいのかと問う君に君がいいんだと、他の誰でもなく君がいいと言ってのけて、そのまま抱きしめてしまう我儘だからさ。
きっと、看病されてたほうが身のためだよ? どうしたって看病するんだから。
観念して、着替えをさせてくれた。ついでに体温を測ると、測定の間は静かにするしかないと諦めて、成すがままになっている。
「……透君、来てるよ」
「え?」
「昨日のおにぎりのお礼だって、手伝ってくれてる」
「え、なんでっ」
「ちょっと助かってしまいました」
「っ……」
アルバイト代はもちろん出す。まかない二食付きでちょっとお願いしようかなって。
「熱、少し下がったね。インフルは大丈夫かな」
「ね、照葉さんったぶん、透はっ照葉さんのことっ」
「俺が浮気、すると思う?」
「……」
できるほど、俺の胸のうちには隙間がないよ。
「ほら、食べよう。俺はおにぎり、公平はお粥。あ、そうだ。お粥で大丈夫? ほら、公平って風邪なんて引いたことないから、わかんなくて」
「……平気」
「なら良かった。もうそんなに熱くないとは思うから」
真ん中にあるのは自家製梅干。しょっぱいから汗かいた後にはきっとちょうどいい。生姜も入れたし、長ネギも入れたから。
「よく風邪引いてたんだって?」
「え?」
「透君が言ってた、あと、食が細いっ……て……」
「……」
チラリと見たのは君の手元のお粥。日々一緒に食事をしている俺目線でお粥の分量は決めました。目安としては少し残るかなぁっていう量、にしたつもり。
「多かったら」
「い、いいのっ」
「うん……いいよ。たくさん食べて」
食が細いとは言えない、かもしれない量のお粥に、君が風邪の熱とは違う赤色に頬を染めていた。
「早く元気になって」
全部食べてくれた。それに、顔色も大分良くなっていた。温かいものを食べたからなんだろう。食事が終わる頃には少し表情が柔らかくなってたから、大丈夫そうかな。
彼は、まだいるんだろうか。
帰るのなら声をかけてくれと言っておいたけれど、でも、階下から声はかけられなかったし。
「……ぁ」
「公平、どうだった?」
彼はカウンターのところに座ってスマホを眺めていた。
「ぁ、あぁ、大分、楽そう、かな」
「そっか、よかった。ね、俺さ、夜も手伝うよ」
そして、そのスマホを鞄の中に置いて、くるりと踊るように回った。
「何からしたらいい?」
彼は、元気ハツラツな笑顔じゃなくて、妖艶な感じでもなくて。
「照葉さん」
本物の彼がそこにいて、笑っていた。
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