60 / 80

ショコラ編 7 お尻に痕がつくくらい

 店を片付けて、さっと汗だけ流してから、食事を持って部屋に上がると公平が起きていた。顔色は良くなっていて、熱もすっかり下がっていた。もう元気って笑った表情の明るさにホッとした。 「そっか……」  全てを話して良いものなのか、少し迷ったけれど、彼は公平を好きだと思ったから。 「うん」  公平も彼を好きだと思ったから、全部話した。  今どうしているのか。その、おじ様って言っていた男性とのことも。調理師免許を持っていることも。  公平は食べながら、それを聞いていた。一口一口、ゆっくりと、昼よりも少し固めにしたお粥と梅干を丁寧に食べて飲み込んで、俺の話に頷いていた。 「……透、そっか」  公平が、一つ、深呼吸をした。 「俺ね、透を見た時、きっとこれから、その、そういうのしに行くんだろうなぁって思ったよ?」  甘い甘い香りがしていたから。 「透はセックスする時だけ、すっごい甘い匂いをつけるんだ。けど、シャンプーとかは甘くない匂いの使ってた。甘いの好きじゃないんだろうなぁって思ったの、覚えてる」  残さず全部のお粥を食べ終わると、レンゲを置いて、水を一口飲んだ。 「俺ね、透を見て、思ったんだ」 「?」 「照葉さんに出会わなかったら、俺ってどうなってたんだろうって」  好きじゃない香りを身にまとって、好きじゃない相手とその場しのぎのあったかさに浸って、溜め息を零して。 「透とはゲイバーで知り合ったんだ」 「……」 「ゲイばっかり来る飲み屋さん」  そこで、知り合って、ネコ同士意気投合した。歳も近いこともあって、その日のうちに仲良くなった。 「すっごい昔のこと」 「……」 「けど、そのうち会わなくなって、俺はあの人のところで……ね」  だから、もしも俺と出会わずあのままだったなら、もっと悲惨だっただろうと。 「透は昔から強かったから」 「……」 「透のほうがモテてたし。だからね、少しだけ、照葉さんが透を好きになっちゃうんじゃないか、なんてことも考えたんだ。でもね。でも、そしたら」  君はよく、ちょんって俺の裾を握る。待って、行かないでって、その指先が遠慮がち握るんだ。 「追いかけようって思った」 「……」 「いっぱい追いかけて捕まえようって」  今、公平の手は、ちょん、じゃなくて、手を繋いでくれた。 「誘われたよ」 「え! げほっごほっ、げほっ」 「だ、大丈夫?」  むせただけって笑ってる。さっき、俺もむせたんだ。思わず笑ってしまった。夫婦っぽくない? なんというかさ、夫婦って似てくるっていうでしょ? そんな感じにリアクションが似てて、なんか、笑ってしまう。 「さ、さそっ」 「うん。大昔の公平みたいだった」 「あっ、あれは! あの時はっ」  ホント、大昔のことみたい。今の君は恥ずかしがり屋でとても愛しいばかりだから、ずいぶん昔のことに思えるんだ。 「ずっと一緒にいよう」 「……照葉さん」 「ずーっと一緒に」 「うわぁ! え、ちょ、照葉さん? あのっ、俺、風邪」  大丈夫。移らないさ。そもそももう治ってるでしょ? そのお粥、お昼のよりもずっと多いからね。 「もうヘトヘト」 「……照葉さん?」 「君がいないから寂しくてヘトヘト」 「……」 「おにぎり屋さんとして笑顔で一日頑張ったら疲れた」  だからこのまま寝てしまおう。 「ぇ、寝るの? 本当に? ねぇ、そしたら、俺、うわぁっ!」 「ダメ、公平はこのまま寝る」 「は? いやだよ! 臭いって」 「スースー」  良い匂い。君の匂い。 「ちょっと、やだ! 吸ってばっかいないでよ! ちゃんと吐いて」 「……スー」 「照葉さんってば!」  大好きな匂い。 「ねぇ……ほ、ホントに、寝ちゃう、の?」  あれ? 少し甘くなった、かな? 声がさ、魅惑の甘さ? 「あ、あの」 「ダーメ、今日はおとなしく寝る」 「……」 「そんで、明日しよう」  セックスを。甘い甘い優しくて、気持ち良くって嬉しくなる幸せなセックスを。 「ね、公平」 「?」  仕方ないともぞもぞ布団の中に潜り込んだ君と至近距離で見つめ合う。真っ直ぐにぶつかる視線は少し照れ臭くもなりつつ、けれど居心地がいい。それと、うん。やっぱり、熱は完全に下がったみたいだ。抱き締める君の体温がいつもどおりだから。 「明日さ、する時、お尻、鷲掴みにしていい?」 「は? 何、それ」 「むんずと掴んでいい?」 「え? 何? なんで?」 「なんでもない。掴むから」 「は? ちょっと、何?」  だって、さっき彼が言っていた。三十路は傷が残るから、掴んだりしたら叱られるんだって。 「なんでもない」 「ちょっ、なんでもないわけないじゃん!」 「あるんだってば」  俺だけは君のお尻を掴んでも君に叱られないことを願って、今日は君が隣にいない寂しさに耐えた俺にご褒美の腕枕をさせてくれ。 「……公平はあったかい」 「……お粥、ごちそうさま」 「うん」 「俺、ね? ……風邪引いて、ああいうの食べたの初めて」 「そう?」  毎月風邪を引いていたって教えてもらったよ。その風邪の度に君は何を食べて布団の中で過ごしていたんだろう。 「あと、お店の音、楽しそうだった。だから早く元気にならないとって思った」 「うん」 「俺も混ざりたかった」  君がいたらもっと楽しいよ。君の笑顔と接客の時の声、俺は大好きなんだ。 「じゃあ、もっとたくさん食べて、元気つけて」 「うん」 「あ! あと、透さんって三十路なんだって」 「え、うん?」 「公平の一つ上で」 「うん」 「あと、公平は昔はもっと細かったって」 「うっ!」  やっぱりさ。 「もぉ! 照葉さん透と何の話してんの?」 「え? 公平のことばっかって言われた」  俺は我儘だ。 「公平のことばっかり話してたよ」  君にはずっと隣にいてもらおうと思ってる。クリスマスイルミネーションの瞬く光を祝福の光に代えて誓った言葉どおりさ。雨の日も、晴れの日も健やかなる時も、病める時もっていう。  それだ。  ね? だから病める君なんておかまいなしに隣で寝るんだ。いつだって君の隣に。 「明日が楽しみだ」  君の隣に、君が隣に、共にいる明日が、とても楽しみだ。

ともだちにシェアしよう!