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焼いたもち編 2 バカなんだ

「ウザイ! ちっさ! 度量、ちっさ!」  ぐうの音も出ないとはまさに、このことだ。永井にそう言われて、何も反論なんてできやしない。  顔を自然と渋くさせながら、確かに度量の小さな自分自身に溜め息が溢れた。  あんなにスマホが苦手だったのに。前の男とのやりとりが影響して、公平はスマホを見ると身構えてしまう。着信音でも振動音でも突然、前触れもなく騒ぎ始めるあのスマホの感じにゾッとしてしまうんだ。最後に公平がスマホを持っていた時、ひどく怯えていた。あまりに怖がるから、それに俺も普段からスマホなんていじらない方だったから、我が家ではほとんど活躍の場がなくなってしまったスマホ。  それだけ怖がっていたのに、突然、公平がそんなスマホを欲しいと言い出した。  そして、最近、うちの店でほぼ毎日昼飯を食べていくスマホショップの店員がいた。  もうその二つのことで、俺はウザくて度量の小さな男になってしまう。 「…………」 「お前ねぇ、問答無用で良い子にさせようとする教育ママじゃねぇんだからさぁ」 「…………」 「だって自分の金で買うんだろ?」 「…………」 「あ! おまっ、もしかして、給料払ってないとか? おま、それはいかんだろう!」 「払ってるよ、ちゃんと」 「……はぁ……ったく、そんなしけた顔すんなって。まずは理由を聞けよ」 「言わない」 「公平君が?」  そう、言わないんだ。スマホが欲しい理由を。  そりゃ俺だって頭ごなしにダメとは言ってるけど、了見も度量も狭くて小さいけど、でも一応、理由は尋ねた。  なんで欲しいの?  そう尋ねたら、ぎゅっと唇を噛み締めて、頬を真っ赤にして、別に理由はないけれど、あれば便利かなと言ったんだ。なくて不便だと感じたことのないスマホをわざわざ、そのあってないような理由のために買う必要なんてないだろ。 「じゃあ、スマホが欲しい理由なんて一つしかねぇじゃん」 「ぇ?」 「エロサイト」  何かと思って、顔まで上げてしまった。  そして、顔を上げたら、親友、いや、もうただの腐れ縁っていうだけにしておこう、見飽きた永井がひどく真面目そうに自分の出した結論に、ふむふむと何度も頷いていた。  バカ、だな。 「顔を赤くして、唇噛み締めて、もうそんなのすけべぇな動画が見たくてスマホが欲しい以外に理由なんてないだろ」 「あるだろ」 「ないね。エロ以外ない」 「いや、きっとそれ以外の」 「買ってやれ」 「は?」 「男ならわかるだろ? 買ってやれっ!」  その男前風に言い切った自信はどこから出てくるんだ。なんでエロサイトが理由でスマホを買わないといけないんだ。 「ただいまぁ」  そこにお使いを頼んでいた公平が戻ってきた。 「おかえり」 「あ、永井さん、来てたんだ」 「おー、ちょっと昼飯食べにな」 「奥様元気にしてる?」 「おー、元気すぎて、でっかくなったの腹だけじゃないくらい」 「もうそんなに大きいんだ」  永井は来年、父親になる。奥さんが妊娠しているんだ。 「いやあ、まだそんなに出ないはずの腹が出てるから、あれは、多分ただの、太り過ぎだな。あいつ食欲の秋っつって、めちゃくちゃ食ってるからなぁ」 「そうなの?」 「そうなのよ。だから少しダイエット飯なんだわ。かと言って、それだと俺は腹減ってな。そんなわけでここで俺は嫁を裏切って、こういう行為に耽ってるわけだ」  そう言いながら、もう残り一口になったおにぎりを口の中へと放り込んだ。 「ごっそさん。そんじゃーな」 「あぁ」  カウンターの少し高い椅子から降りると、永井が公平の隣をすり抜けて、出入り口の扉の手前で振り返った。 「まぁ、度量の狭いお前なんて滅多に見れないから面白かったわ」  それだけ言って、楽しげに手を振り、扉を締めた。 「なんか、あったの? 照葉さん」 「あー、いや、何も。それより、買い物ありがとね」 「ううん。全然」  そこで公平はそうだそうだ買い物をしてきたんだっけと手にぶら下げていたたくさんの豆腐を冷蔵庫へ仕舞いにカウンターの中に入ってきた。  今日は簡単な豆腐グラタンを夜の店で出そうかなって思うんだ。秋だから、エノキに舞茸、椎茸にしめじ、平茸も、柔らかくなるまで、水が出るくらいまで炒めてから、味噌とマヨネーズと長ネギを混ぜたソースをそこに入れて、豆腐に乗せて、チーズを乗せて。オーブンで八分。美味しいそうだと思うんだ。 「その、永井さん、すごいね」 「公平?」  冷蔵庫に豆腐をしまいながら君が苦笑いを溢す。手元を見つめて、少し俯いて。 「パパになるんだ」  そう、少し申し訳なさそうに言うから、俺は。 「照葉さんだって、俺以外とだったら、パパになれたのに」  そう言うだろう、悲しい気持ちになってしまうのだろう、そう思った。 「けど、ごめんなさい」 「こうへ……」  けれど、君は少し変わった。 「俺、照葉さんが大好きなんだ」  そう甘い声で囁いて、俺の服をぎゅっと握りしめて引き寄せると、触れるだけの可愛いキスを一つくれた。  ゆっくり、ゆっくり君が変わっていく。 「お母さんたちに孫とかも見せてあげられないけど、でも」 「大丈夫だよ。うちの親、今年もまたきっと公平に会いに日本に帰ってくるから」 「っ」  ゆっくりゆっくり、あの秋の日から少しずつ君が染まっていく。赤い紅葉のように綺麗なあったかな色に。 「え、ちょっと、しょ、照葉さん? あのっ」 「大丈夫。暖簾は仕舞ってるし、それでも構わず入ってくる馬鹿野郎は今さっき帰ったし」 「あ、あのっ」 「まだ、休憩時間なので」 「あ、ン……ダメ、ぁ、照葉さん」 「可愛いことをした公平が悪いと思う」 「そ、んなっ、あっ、ダメ」  ダメ? 本当に? でもここ、触って欲しそうだよ? 「あっ……んん、照葉さんっ」  店の奥、住居スペースの畳の上、半裸の君が背中をしならせ俺の腕の中で身悶える。その甘い声を溢す唇にキスをして。 「公平」  愛しい君の名前を呼んだ。ただ呼ばれただけで嬉しそうに俺を引き寄せてくれる君が愛しくて、たまらなくて。何やってるんだろうね。本当に。そう呆れるくらいに、ただただ君に夢中なバカな男なんだ。

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