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初めてのわがまま編 4 ジャコジャコおにぎり

 一昨年、二年前の君が見たらきっと驚くんだろうな。 「いらっしゃいませ」  カウンターの中で忙しなく動き回る君に。料理を作る君の姿に。 「あれ? 今日は公平君がお店やってるの?」 「あ、はいっ、ごめんなさいっ、その照葉さん手を怪我してしまって、あのっ、俺一生懸命作りますんでっ」  食べ物を口にするのすら嫌気がさしていた君はきっとびっくりするんだろう。最初の頃は戸惑うことも多かったはずなのに、今はもうそんなことなくて、所狭しと店の中を歩いて働いてる。 「ああ、いいよ全然気にしないで。むしろ、楽しみだなぁ。えーとそれじゃあねぇ……」 「すみませーん、お味噌汁おかわりー」 「はーい」  返事をしたのは俺だった。カウンタ―の中で調理に励むのが公平で、料理を運んで、会計して、テーブルを片付けて、ってしてるのが俺のほう。 「あら、今日は照葉さんがフロアやるの?」 「えぇ、手がね」 「あらぁ、これは大変」  捻挫してしまった方の手を掲げると、ご近所のおばさんがとっても目を丸くして驚いてくれた。痛々しそう? 大袈裟だよね、これ。本当にただの捻挫なのだけれど、よく動かすことの多い場所だから。動かさず安定させておくっていうのが一番治りが早いらしいから、グルグルとテーピングで固定してあるんだ。  お水をテーブルに置いて、そしてまた別のテーブルから声がかかって。少し予想外の忙しさだ。でも。 「あらあら、本当に公平君がお店やってるわ」 「あ! お豆腐屋さんっ」 「友達連れて来ちゃったわぁ」  昨日、公平から色々聞いたんだろう。お揚げをくれると言っていたのに遅くなってしまってごめんなさいと、その理由も。そしてお友達を連れてテーブルに座ると、カウンターの中で一生懸命に動気回る公平に声援を送っている。  でも、食べたくなるよね。 「それじゃあ、今日はジャコと青紫蘇のおにぎりと……」 「はい! 青紫蘇とジャコの……ジャコジャコ……」  あんなに一生懸命に握ってくれたらさ。どんなご馳走にだって負けないくらいに、美味しいと思うんだ。 「すみませーん! こっちはイクラと鮭のおにぎり」 「はーい、今、注文伺います」  君がギュッと気持ちを込めて握ったおにぎりなのだから。  なんだか、大繁盛の年末だった。今年の営業は今日でお終い。でも、いつもの年末、年納めの時よりも忙しい気がしたのは気のせい、かな。公平ファンのご近所さんがたくさん集ってちゃったからな。 「公平、料理すごい上手になった……」 「ホ、ホント?」 「これ、めちゃくちゃ美味しい」  まかないにと君が作ってくれたのは、手首を捻った俺でも食べやすいスプーンで大丈夫なチゲ雑炊だった。残っていた鮭の塩焼きも昼の休憩の時の仕込みで刻んでおいて、もう翌朝には萎れて使えない長ネギの微塵切りも、全部を入れてコトコト煮た。  本当にすごく美味しくて、もう一杯と言いたくなってしまう。 「あ、りがと……ございます」  今日一日中たくさんの人にご飯を作ってた。そしてたくさんの人に「ありがとう、ごちそうさま」と言われてた。その度に嬉しそうに頬を赤くして、元気にこちらこそありがとうございます、と頭を下げた君が、もしかしたら今日一番、今、頬を赤くしたかもしれない。  もしかしたら、今日一番嬉しそうにはにかんだかもしれない。  俺が食べるところを見て、美味しいと感想を伝えたのを聞いて。  そう思うだけで、なんか、嬉しくてくすぐったくて、えっへん、と自慢したくなるよ。 「ごちそうさまでした」 「お、お粗末様でした」  両手を合わせて丁寧にお辞儀をした。 「公平、疲れたろ? 部屋戻ってていいよ」 「え、でもっ食器を」 「平気。俺の怪我は捻っただけ。傷じゃないんだから、大丈夫だよ。それより、風呂が沸くまでゆっくりしてて」  連日だったんだ。とても疲れただろう。食器を洗うくらいは俺にさせてくれって頼んで、公平を部屋へと向かわせた。明日は大掃除をしなくちゃ。でそれが終わったら、すでに買っておいたお蕎麦で年越し蕎麦を食べて、正月は三日まで休みだから、ゆっくり、君と一般的なサラリーマンよりは少ないかもしれないけれど、飲食店としてはラッキーな長い冬休みを楽しもうと。 「さてと……これで店の片付け完了」  楽しもうと、思ったんだけどな。 「公平ー、風呂沸いたから今日は一緒に……」  お風呂に入ろうって、ついに、ようやくのイチャイチャを希望したいと……思ったんだけど。 「…………」  布団も敷かずに座布団の上に丸くなって寝てた。まるで猫が座布団で丸まって寝ていたら本物の人間にでもなってしまったみたいに。 「……お疲れ様」  疲れたよね。そっと頭を撫でても気がつきそうにないくらいにぐっすり眠ってる。  風呂は……とりあえず、明日休みなんだし、いいや。  イチャイチャしたかったけど、いいや。 「……おやすみ」  布団敷いてあげないと。  そして、君がとても心地良さそうに眠っているのを起こさないように、そっと抱きかかえて、そっと横たえる。本当に安心しきったように眠る君の頭にキスをしたら、君が唇を薄く開いて微笑んでいるようで、とてもたまらなく愛しいと思った。

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