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三回目のお正月編  1 チョコも飴も

 去年のお正月はちょっとしたアクシデントに見舞われたっけ。  俺は結構楽しかったけど。君にお世話をしてもらえたから。  君は焦ったよね。少し怖かったかもしれない。  その前の時は……まだ出会ったばかりだった。まだ指輪をした自分の手が不思議なのか、ふとした拍子に、その手が視界に入る度に、頬を染めて、自分の手を眩しそうに眺めてた。  三回目。  三回目の、君と過ごすお正月がやってくる。俺はその三回目をたまらなく楽しいものにしたいと思ったんだ。 「ね、照葉さん、二人で行くんだよね?」 「うん。そうだよ?」 「あの、一泊二日だよね?」 「そうだけど?」 「二人……だよね?」  だから、そうだよ?  二人で一泊二日、温泉に行こうって決めただろ? 料理も美味しそうだった。写真で見る限りだと、あれ、ドライアイスでテーブルがもくもくしてたけど、実際にそうなのかな。テーブルに並ぶお料理のお皿の下がもくもくもくもく、雲の中みたいになってるのかな。ちょっと気になるよね。 「なんで? 公平」 「だって……二人で一泊二日で、このお菓子、多くない?」 「………………そう?」  俺は手に持っていた買い物カゴをじっと見つめた。  そう、かな。けど、旅行だよ? 電車に乗ってゆっくり景色を楽しみながら、さすがにもう紅葉は期待できないけど、もしかしたら雪景色なんてこともあるかもしれないんだ。備あれば憂なしって言うだろ? 「だ、だって、チョコレート二つに」  このチョコレート、気になってたんだ。ピスタチオクリームが中に入ってるんだって。美味しいよね。なんか、流行ってる? ピスタチオコーナーができそうなくらい、各社から出てるし。 「クッキーの袋一つ」  このクッキーは美味しいよね。しっとりしていて。公平も美味しいって言ってたからさ。 「チョコケーキもあって」  小さい頃、このチョコケーキがおやつに出るとテンション上がったっけ。ほら、俺、おばあちゃん子だったからさ、なんとなぁくおやつのチョイスも渋かったりするわけ。だから、たまにこれが出ると嬉しくてさ。今でもちょっと嬉しくなるよね。この一個のボリュームがさ。 「それにまだこんなに……って、それも買うの?」 「このお煎餅美味しいんだって、常連のお婆ちゃんが教えてくれたんだ」 「食べ過ぎだし、太っちゃうってば」 「へーき」  そして、ネギ味噌煎餅という、常連でうちの肉味噌おにぎりが大好物なおばあちゃんのお勧め品をカゴに追加した。 「公平は少し太った方がいいくらいだから」 「ちょっ! 照葉さんってば!」  言いながら、昨夜も抱き合った時にしっかり確かめた公平のウエストの細さを両手で再現して見せると、真っ赤になった。別に周囲の人には俺の手が何を表現しているのかなんてわかりっこないのに。勿論、その両手で示したものをどうやってどんな時にどんな状況で知り得たかを、ここで想像できる人もいないのに。 「あははは」  それでも公平は真っ赤になって、照れて口をへの字に曲げていた。 「旅行なんだからお菓子はたんまり持っていこう」  そう旅行に行くことにしたんだ。今年の正月は。店はお蕎麦は扱っておりませんし。正月早々からおにぎり食べる人もそういないと思う。先代のばーちゃんも正月くらいはのんびりしたいと店閉めててたしね。だから俺たちも閉店ガラガラってして、温泉に行くことにした。  一泊二日で、電車に乗って、のんびりと。  ――うわぁ、すごい。……温泉だって。  夕食の後だった。君が、テレビを見ながらそう呟いたから。  ――じゃあ、行こうか。  そう言ったんだ。  俺の返事に目を丸くしてたっけ。旅行に行くとか、行きたいと思うとか、そんなことはこれっぽっちも頭になかったんだって顔をしてた。  うわぁすごい温泉、じゃないよ。まるで他人事みたいに、へぇすごいね、楽しそうだね、じゃないでしょ。  行きたいなら行こうよ。一緒に。  そう思った。 「さ、あとは飲み物」 「え、照葉さん!」 「ほら、早く行くよ。公平」  三回目の冬が来た。 「あ!」 「どうしたの? 照葉さん」  君は、気がついてないかもしれない。  でも、俺は知ってる。 「飴! 忘れた!」 「えぇぇ? じゃあ、これ、チョコレートひとつキャンセル」 「え……やだ」 「やだって、もう、照葉さん、子どもじゃないんだから」  ほんの少し、きっと君も気がつかないくらいにほんのちょっぴり、空が澄み切って空気が冷たさを増す冬になると、不安そうな顔をする。ずっとじゃないよ? ごくごくたまに、けれど、笑って、あははって声を出して、その次の瞬間、ふっと笑みが消える。いつもキラキラ輝く君の笑顔が、寒そうな空を窓から見上げる時に、ふと、その雲のように陰る。  そんな瞬間がある。  俺はその理由に気がついてる。 「チョコも飴も」  君に出会ったのは寒さが厳しくなってきた秋のことだった。君はひどく寒かったその日にとても薄着で、サンダルに素足なんて格好で雨宿りをしていたんだ。  冷たい空気はあの時の君の気持ちを甦らせる。  どんよりとした冷ややかな雲はあの日、店先から見上げた空を思い出させる。 「欲張りだなぁ、照葉さんってば」  寒さはあの日凍えてしまいそうな辛さと痛みと悲しかった君の気持ちをその胸の奥底から引っ張り出してしまうんだ。

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