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第2話 皇帝陛下のお気に入り ①尊き方の慰みもの
当主不在のカレンベルク家が、新当主の座を皇帝から頂 く叙勲式、前夜。
『無垢の象徴』とされた月が、宵の明星を伴って昇り、しばらく経ったころのことだ。
人類の住む大陸のほとんどを掌握した皇帝、パウル・フォン・イグナツィウス・ドルーデが命じた場所と時間に、一人の青年が現れた。
けれども、その人物の登場に呼びつけたはずの当人、パウルは内心、ギョッとする。
侵入者がわざと窓のカーテンを揺らして気を引くまで、誰かが入ってきたことに全く気がつかなかったのだ。
本来、正規の手続きが無ければ、侵入どころか、見ることもできない皇帝の寝室だ。
無断で立ち入れるものは、帝国の夜をあまねく照らす月光、ただそれだけ。
そう噂されるほど、帝国で最も警備が固いのだ。
しかも広く豪華な寝室には、皇帝だけが居る訳ではない。
声が届くほど薄い扉の向こうには、皇帝が招待した男が五人ほど待っていた。
明日正式にカレンベルク家を継ぐ、当主の忠誠を受けるのにふさわしい、皇族の男たちだ。
他にも、やんごとない身分の方々の『御用』をすぐさま執り行うために、気配を消した小姓が何人も寝室の中に控えている。
そんな輩が待ち構える部屋に『彼』は誰にも知られず侵入したのだ。
服装は、闇に紛れる黒服ではない。
夜目にも鮮やかな白を基調に、金糸銀糸の刺繡で飾り立てた、豪華な衣装だ。
肩を覆う蒼いマントでさえ、周囲の暗さに溶け込むことなく、真昼の空の色にも似て輝いている。
最新式の魔法と言われる科学の申し子、夜闇を真昼に変えて照らす、明るいガス灯の下だけではない。
昔ながらの質の悪い蝋燭一本の明かりでさえ、彼の姿を遠くから丸見えにする装いだった。
そして、基本、無言で控えることになっている小姓たちが小さく声を上げ、皇帝パウルの心胆を寒からしめたものがある。
侵入者の持っている『手土産』。
それは人の生首だった。
帝国庫の金を横領した上、麻薬を製造していた高位の貴族の首だ。
皇帝はいづれ、その貴族に極刑を申し渡すつもりでいたが、身分の高さと立場の複雑さに、公に裁判に持ち込むと面倒な男では、あった。
カレンベルクの家を正式に継ぐ叙勲式前夜。
新当主になる者が手土産持参で、皇帝の寝室に訪問するには、意味がある。
これから皇帝の暗殺者としてやっていけるかどうかを、確認する場でもあるのだ。
手土産に厄介な罪人の首を所望したのは皇帝として自然だったし、パウル自身が命じたことだ。
パウルが皇帝として大軍を率い、あまたの戦場で鍛えあげたのは、引き締まった体躯だけではない。
『いかなる時も冷静であれ』と言った単純で有益なことも骨身に染みていた。
初陣から二十年以上、帝国皇帝となって五年は経つ今もなお、パウルは、総大将であり、戦場で先陣を切る。
燃えるような紅い髪をなびかせ、自ら敵を蹴散らすことも厭わないことから深紅 ノ殲滅 皇帝とも呼ばれるくらいだ。
今更生首の一つや二つ目の前にしても、どうと言うことはないはずのパウルが肝を冷やした。
大抵の事には怯まないように躾を受けた皇帝直属の小姓たちでさえ、小さな悲鳴を堪えることが出来なかった。
なぜなら、首はたった今、すぐそこから刈り取って来たような状態だったからだ。
生首の切断部分からは、紅い血が点々と滴り落ち、鉄さびに似た強い臭いを辺りに漂わせている。
何かに包む事さえしてない首の髪を掴み、片手にぶら下げて持って来ているにも関わらず、だ。
寝室の窓際に立つ侵入者の存在に、皇帝パウル自身も含めて『誰も気がつかなかった』など、普通はありえない。
本来なら、指定の時間までに佇むこと自体さえ、至難の業のはずだ。
寝室へ向かう、生首持参の侵入者の姿を見たものは、まず間違いなく悲鳴を上げるだろう。
そして震える口で、どこから来て、どこへ行くのか尋問するに違いない。
しかも、今夜は特別な日だ。
皇帝が特別に招待した皇族以外、誰も入れるな、と言ってある以上、顔見知りの高位の貴族であろうとも、例外はない。
正面から寝室に入るなら、命がかかる。
完全装備の近衛兵を百人と、闇に潜む手練れの隠密を十二人をまとめて行動不能にする必要があるのだ。
過剰気味の防衛陣を嫌い、窓から直接寝室に入り込むにも、無理がある。
皇帝の寝室へは、何の足掛かりのない石壁を、七階分登ることになるからだ。
途中、隠密に見つかれば、不安定な登攀器具やロープ一本で身を支えた壁面戦闘になる。
案外重い、人間の生首を抱えた状態で、手練れの隠密と戦うのは、想像を絶する難易度のはずだった。
けれども、現在。
侵入者が、自ら寝室に来たと告げるまで、正面突破を試みれば騒ぎになるはずの廊下は静寂に包まれていた。
窓から入って来たとしても、壁面を登攀した結果、窓を開けば必ず入ってくるはずの風の流れもない。
彼は、何も無い場所に、突然現れたように見えたのだ。
人間離れした侵入者の手際に皇帝は舌を巻き、もし、暗殺の対象が自分だったら、と背筋が寒くなる。
しかし平静を装うパウルの心は千々に乱し、皇帝の心を本当に動かしたのは『そこ』ではなかった。
皇帝の配下には、目を見張る特技を誇り、取り入ろうとする者が多数いる。
侵入者の見せた技は、そんな輩と比べるべくもないほど素晴らしい腕前だったが、パウルとしては、それをのんびり分析評価している場合ではなかったのだ。
『皇帝』という肩書を通りこし『パウル』という一個人として、目を見開き、眺め、肝をつぶすほどに驚愕することが他にあったのだ。
昏い金髪と、青い瞳に彩られた端正な顔立ちの、未だ少年のようなあどけなさを残す、侵入者。
次期カレンベルク家当主の青年の顔が、先日『病死』と公に発表された前当主、ユリウスに驚くほど似ていたからだ。
確かに、カレンベルク家の次期当主は、ユリウスの双子の弟だ。
ともすると今は亡き母親さえ見わけのつかなかったほど似ている、との噂も聞いてる。
けれどもパウルには、どんなにユリウスに似た人間が何人集まろうとも、親でも見分けられない双子を絶対に見分ける自信があったのだ。
なぜなら。
――なぜなら。
パウルは、その心と身体。
帝国の宝であるはずの皇帝の命と魂にかけて、ユリウスを愛していたからだ。
ただし、それは、酷く歪んだ形の溺愛だったのだけれども。
確かに、深すぎて病んでいるかもしれない、皇帝の愛をもってしても、なお。
生首を捧げ、目の前で跪く人物を『ユリウスではない』と言い切ることが出来なかったのだ。
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