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② 剣と愛玩動物
愛しい。
愛しい、愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい――ユリウス。
パウルにとってユリウスは、何より大切なものだったのだ。
……しかし、彼は『死んだ』という。
病死と発表されて以来、姿を消してしまったユリウスは、本当に逝ってしまったのか。
狂おしい心を抱いた皇帝が、全身全霊を傾けて探しても、探しても。
『ユリウス』と言われて見つかるものは、目を閉じ、蒼ざめ、棺 に収まった死体だけだ。
皇帝パウルの愛し、探したのはこんな『もの』ではない。
昏い金髪で、薔薇色の頬と滑らかな肌を持つ青年だった。
パウルがいつどこで何をしても、まるで笑っているかのように、青い瞳を少しだけ細くして、静かに受け入れるユリウス。
昼間の太陽の下では、颯爽と戦場を駆け抜けていた。
真夜中には皇帝の寝室で、煽情的に腰を振る姿の何処に病 の気配があったのか。
しかし、公の場所でカレンベルク家から正式に、当主ユリウスの急死を伝えられてしまえば、なすすべは、ない。
しかも、ついこの前、当主となったばかりのユリウスだけでなく、更に後を追うように前当主だった父、カールも命を落としたという。
次期当主、エルンストの名のもと。
家名に恥じない、大々的な葬儀を見せつけられてしまえば、例え、大陸のほとんどを平らげた大皇帝と言えど、受けいれる他ない。
パウルが皇帝としてユリウスのために出来たことは、少なかった。
せいぜい、今まで皇族にしか出したことがない『死を悼み、三日間の喪に服すように』という御触れを全国民に出したぐらいだ。
その間にパウルは、訓練を自粛させたはずの近衛兵と、自身の身辺警護を担当する隠密のほとんどを使い、徹底的にカレンベルク家当主の死について調べあげては、みた。
……しかし、ろくな報告は得られなかったのだ。
先代当主カールは、貴族のたしなみである狩猟中の落馬死。
カレンベルク家当主として、最近まで皇帝の為の暗殺をもそつなくこなして来た男にしては、間抜け過ぎる死に方だ。
肝心なユリウスの死の原因に至っては、更に酷かった。
公に出た『生来の虚弱により、風邪をこじらせた』とのふざけた発表に、ユリウスの傍にいたパウルが、納得できるわけもない。
探らせれば確かにカレンベルク家の最高の機密として秘匿された『事実』とやらは、あった。
それは、ユリウスが皇帝と寝室と共にした際のこと。
怪しげな薬と器具を使われ、血を流すほどに愛された為の出血過多と、傷から入った細菌による敗血症だというのだ。
ユリウスの死の原因が、パウルの性癖にあるらしい。
こちらの方は、まだ『風邪』より思いあたる節はあった。
だが、それは、パウルにとっての悪夢だ。
心から愛しいと思っている人間を、拷問に近いやり方で死なせた、ということだ。
そんな報告を受け入れる余裕など、パウルにあるわけがない。
愛しい青年を『抱き殺した』のと等しい報告を受けたとき、その場で、パウルは実直に義務を果たしただけの隠密の首を、やり場のない怒りを込めてはねた。
それから皇帝は、ただ、空しく帝国の玉座に座っていたのだが……パウルの目の前に、謎の人物が現れたのだ。
それが、愛しいユリウスの双子の弟、エルンスト、である。
カレンベルク家の葬儀の時、形式的な挨拶を遠目で受けたときは、少し似てる、と思った程度だった。
なのに、自分の足元に跪く、青年。
近くで見る『彼』は、死したと言われても、なお、愛しい男によく似ていた。
期待と、動揺を隠すために必要以上に冷ややかな声で、皇帝は、目の前に恐ろし気な手土産を置いて跪く青年に問う。
「……よく来たな。
カレンベルク家の次期当主……エルンスト、とか言ったか?」
「はい」
嘘だ。
皇族パウルの問いに即答したのは、カレンベルク家の闇の部分を担うと決めたユリウスだ。
カレンベルク家の男たちを次々に亡くした葬儀で、喪主を務めたのは、確かにエルンストの方だった。
しかし、今。
本物のエルンストは、カレンベルク家の生贄の間で、ユリウスに眠りの古典魔法をかけられたままだ。
叙勲式の前夜。
カレンベルク家の当主になる者に秘密裡に行われる『儀式』について、誰も、何もエルンストには教えていない。
明日の叙勲式の準備が始まるまで、何も知らないまま。
生贄の間の隣にある、特別な寝室に運ばれて眠り、朝まで起きては来ないだろう。
「面をあげよ」
促され、見上げたユリウスの顔を見てパウルは、一瞬息をのみ……深々と息を吐いた。
「そなたは……兄のユリウスと、良く似ている」
「はい。同腹、同時に生まれた、双子でありますれば、多少なりとも似ているところもございましょう。
今は亡き兄に成り代わり、精一杯に勤めて参る所存でございます」
本当は、ユリウス本人からの口上だ。
本人を目の前にして『多少』似ているも何も無いのだが、ユリウスは公には死んだ事になっているのだ。
『お前は、死んだはずのユリウスか?』と聞かれれば、それが当たりでも外れても『いいえ、違います』と言うに決まってることぐらい、パウルにも判っていた。
なぜ、ユリウスが、無事に就いたはずのカレンベルク家の当主の座を捨て、死んだ事になっているのにもかかわらず。
エルンストと名を変えて、今、自分の前に跪くのか、パウルには判らなかった。
彼が皇帝の権力を振りかざし、目の前の男を心身共に痛めつければ、『ここだけの話』と、寝室限定の閨話で『真実』とやらが手に入るかもしれない。
それでもパウルは、ユリウスが本当に死んだのかどうかを、身内の口から聞くのが恐ろしかったのだ。
目の前の男が本物のユリウスなら、これ以上嬉しいことはない。
しかし万が一ユリウスは死んだと、弟のエルンストから聞かされてしまったら。
更にエルンストが皇帝に取り入るために『我こそがユリウスだ』と偽り……不本意ながら、見破ってしまったら。
パウルは目の前にいる、次期カレンベルク家の当主を生かして返す自信がなかった。
カレンベルク家は賢聖と称えられ、国民にも人気のある美しい一族だ。
理不尽に殺せば、帝国が半分に割れる。
愛している青年と同じ顔の『彼 』を、どのように扱うか。
明らかに考えあぐねている複雑な表情で、パウルは、重く口を開いた。
「そなたが、ユリウスの代わりを務めると? 本当に出来るのか?」
「はい。兄に出来て、私に出来ないことは、ございまません。
何なりと、申しつけください」
「エルンストは、座学、剣術他と全てにおいて兄ユリウスに劣る。顔だけはよく似た劣化版だと聞き及んでいるが?」
皇帝の意地の悪い質問に、目の前の青年は、怒りの表情を見せた。
それは、ともすると、見逃されそうなほど微かな表情の変化だった。
しかし、いつも隙なく微笑を絶やさない『ユリウス』なら、決して皇帝の前では見せない類 の表情だ。
その顔色を見てパウルは、目の前の青年を愛しいユリウスでなく『エルンスト』だと感じた。
兄より劣ると言われて簡単に怒る、負けず嫌いで、自尊心の高い男だと……
しかし、実際は、違う。
ユリウスにとって、命より大切な弟を皇帝に卑下されて、純粋に腹が立ったのだ。
皇帝パウルは、愛を囁く。
だがそれは、いつでも自分本位で勝手だ、と、ユリウスは思う。
皇帝は、ユリウスが好きな物、愛しているものに全く関心が無く、自分の興味だけを押し付けるからだ。
大体、目の前に死んだはずの愛する者が現れたら、普通はその正体を知りたいと思わないのか?
自分がどんな立場であっても、相手がどんな答えしか繰り返さないのか判っていても、心が答えを欲して、疑問が声に出ないのか?
なのにパウルは目の前にいる青年に『お前は、誰だ?』と、問うことさえ、しない。
青年を心から愛するがための、パウルの葛藤を知らず、ユリウスは考える。
抱いて具合の良い、弄んで楽しい極上の身体を持った玩具が居れば、皇帝は満足する。
皇帝 にとって、自分 の存在価値は、性癖を満たすためのただの愛玩動物に等しいのだ、と。
そう。
ユリウスには、皇帝の不器用な愛は伝わっていなかった。
『皇帝のお気に入り』という立場でならば、地位も材産も思いのままになるだろう。
しかしユリウスは、皇帝パウルの薄っぺらに感じる愛は、全く欲しくなかった。
ため息をついたユリウスは、怒りを収め、その表情を変える。
青い瞳を少しだけ細くして、静かに口角をあげたのだ。
いつもの神秘的に笑って見える顔だ。
目の前の青年を、他人だと思い込もうとした途端。
見慣れた『ユリウス』のよくする表情に、パウルの胸が、ギュッと捕まれ、息が止まる。
皇帝の心情を知らずに、青年はこともなげに返答した。
「兄より劣っていたのは、子どもの時だけです。
また、今までの生涯において、兄以外、他の誰かに後れを取ったことは、ございません」
「ほ……ほほう?」
「お疑いなら、如何ようにも証明させていただきますが?」
手土産持参で、時間通り、皇帝の寝室に推参する。
それが難なく成功している以上、エルンストを皇帝の暗殺者として、認めていい。
しかし、皇帝パウルが狂おしく切望しているものは別にあった。
皇帝自身が持つ隠密が、闇に紛れる服装をした上でなら、五、六人がかりで、なんとかなりそうな物騒な事案ではないのだ。
何でもしてみせる、との青年の言葉に、皇帝パウルは口を開いた。
「今ここに居る事実を持って、そなたが『余の剣』になりえる逸材であることを認めよう。
しかし、どんなに良い剣であっても、余に忠誠心を持ち、服従を誓わぬ限り、話にならぬ。
兄ユリウスは、余と皇族に、絶対の服従を誓ってみせた。
そなたも、同じことが出来るのか?」
「はい、なんなりと」
「では、衣服を脱いで寝台に上がれ。
まず手始めに、余、自らそなたのすべてを検分してくれる。
何をされても嫌がるな。
耐えて、忍ぶことこそが忠誠と服従の証だと心得よ」
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