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③ 服従の証
「はい」と頷き、衣服を脱ぐため立ち上がったユリウスに、パウルは、一杯の椀を差し出した。
「……これは……?」
小姓たちに任せず、皇帝自らの手で注いだ緑色の液体は、注がれた銀の椀をあっという間に白く染めあげる。
何某 かの妖しげな薬が入ってるのは、誰の目にも明白だ。
皇帝のベッドに何度も呼ばれた事のあるユリウスには、良く見かけるものだった。
媚薬。
その言葉を飲み込んで、ユリウスは、皇帝を見上げた。
皇族の『秘薬』とされる薬は、即効性でありながら、効果も長引く。
今、この薬を口にしたら、明日の叙勲式の最中でさえ、まだ媚薬に犯されているかもしれない。
明日の叙勲式は、国家の威信をかけた儀式だ。
臣下の貴族や、民衆が大勢詰めかける。
なのに皇帝は、主人公であるカレンベルク家の当主を淫らな状態のままで、群衆の中に放り出すつもりらしい。
思わず奥歯を噛み締めたユリウスに皇帝は、ふっと息を吐いた。
「なに、無垢なるそなたは、今宵初めて身体を開かれるのだろう?
気を付けてはやるが、そなたの虚弱な兄のような『事故』が起きぬように、な。
事の初めに飲めば、どんな病 にも……風邪にも効くらしい」
嘘をつけ。
パウル は、ただ、我を忘れて淫らに狂う、自分の痴態を見たいだけだ。
ユリウスは、心の中で毒づき、しかし……思う。
皇帝には、無茶なことを無理矢理やられたけれど、致命傷になることなかった、と。
ユリウスの死。
公の原因『虚弱による風邪』は、世間に当たり障りのない嘘だ。
まさか、ユリウスをΩ性だと思い込んだ前当主のカールに暗殺されかけた、と、事実は言えない。
『風邪』では納得しないことが判っている皇帝向けに『出血過多及び敗血症』という話を捏造 したのだ。
しかし、今までユリウスは、皇帝には散々弄ばれたものの、古典魔法魔法を使わないといけないほど発熱したことはない。
もしかして怪しげな薬は、毒ではなく、皇帝が愛玩する物を本当に守るのか?
皇帝から賜った色の変わった銀椀に口をつけたまま、中の液体を飲み込む寸前で、手を止めたユリウスに、皇帝の叱咤が飛ぶ。
「よもやそなたは、余の椀を飲めぬのか!?」
「いいえ。陛下の恩情がありがたく、感動に打ち震えておりました」
「また、適当なことをいう。そなたは相変わらず、いつも、いつも小賢 しいことを、平気でぬかしおって……」
……と、そこまでパウルは呟き、はっと我に返った。
目の前に居るのは『ユリウスではない』のだ。
かつて、ユリウスがそうしたように、いかにも怪しげな液体を一滴余さず飲み込んでから、手の平で口を拭く癖が同じであっても。
すぐに効き出す薬の催淫効果をいなすように、軽く息をつき、大人しく服を脱ぎ出す横顔が、まるでいつも見慣れた風景のように感じても……!
目の前に居る者がパウルにとって、誰よりも、何よりも愛しい、ユリウスではないなんて、信じられなかった。
あの青年が、自分を置いて一人で死んだ、などと信じたくない。
突然せり上がってきた、制御不能な苛烈な欲望に身を焦がして悶え、我を忘れるほど狂ったのは、媚薬を飲んだユリウスではなく皇帝パウルの方だった。
愛しい青年を亡くした男は一声、獣のような咆哮を上げると、ユリウスを攫 うように、横抱きにして、ベッドに放り投げた。
そして、そのままユリウスにのしかかると、既に半分脱ぎかけていた衣装を引き裂き、がむしゃらにその肌を貪ったのだ。
「ユリウス、ユリウス、ユリウス、ユリウス、……!!」
パウルは、愛しい名を呟き、囁き、あるいは絶叫した。
ユリウスの傷一つ無い白い肌を次々に啄 み、噛みついて、キスマークと、歯型をつけてゆく。
その激情を纏 て、燃える狂気の沙汰に押し倒されたユリウスは、パウルの下で、苦し気に声を出した。
「陛下、私は……!」
「うるさい! 黙れ!!!
今、この閨 において、そなたは『ユリウス』である!
それ以外の名は聞かぬ!!
偽り、と申すなら、死を覚悟せよ!」
怒鳴った皇帝は、ユリウスの首に片手一掴みで手をかけた。
「……く」
ユリウスは小さく呻いたが、パウルに気遣う余裕は無い。
そのまま、ユリウスを片手で軽々と持ち上げると、もう片方の手で、残りの衣服をはぎ取った。
そうして晒した肌を見て、皇帝が獣じみた唸り声を再びあげる。
ユリウスの肌が、パウルが見慣れたものではなかったからだ。
パウルに喉元を鷲掴みにされたまま、千切れた服の残骸を纏い、無抵抗な青年の裸身は、美しかった。
『見せるため』に造られた筋肉ではない。
誰よりも上手く剣を振るい、高く飛び、早く駆ける。
馬を走らせたらユリウスの右に出る者はなく、空から滑空してきた大きな鷲 を腕に止まらせ、びくともしない。
自然に出来た身体は、人の視線を捕らえて放さない、。
できることが多い割には、細く引き締まり、あるいは『華奢』と表現しても良いぐらいだったが、その代わり細かい傷が多いはずだった。
実戦であれ、訓練であれ、刃の潰していない本物の剣を振り回していれば、どこかに必ず切り傷が出来る。
馬に乗れば、馬具で擦れることが癖になる所がある。
普段から鷲が止まる腕なら、鋭い鉤爪が、衣服を突き破ることもあるだろう。
そんな、ユリウスの身体中にある細かい傷の一つ一つをパウルは覚えていた。
なのに、今、目の前に居るこの青年には、ユリウスにあったはずの傷痕を一つも見つけることが出来なかったのだ。
それどころか、高々と釣り上げたユリウスをベッドにうつ伏せに下ろし、背中を確認したパウルが息をのむ。
ユリウスの肌に一生残すつもりで、パウルの手づから鞭で刻んだ痕も、戦功での褒美に国宝の剣を下賜した日、熱した刃で焼いた傷でさえ見当たらない。
激情のまま、今さっきパウルが付けたキスマークと、噛み痕以外、傷もシミもそばかすも、ほくろさえない。
現代科学では修復不可能な古傷も、大きな傷も、古典魔法を使えば、跡形もなく消える。
徹底的に『ユリウスであるとの痕跡』を排除した肌だ。
ユリウスのことを何でも知っている、と自負してる皇帝だからこそ判る『差』を意図的に『作って』来たのだ。
そして、古典魔法のことを知らないからこそ。
例え誰かにユリウスだと見抜かれたとしても、皇帝だけは『絶対に違う』と言うに違いない。
実際、ユリウスの目論見通り、混乱したパウルはとうとう、全てを忘れて叫んでいた。
「そなたは、誰だ! 何者だ!」
「……ユリウスです」
「嘘だ! こんな……こんな、余の付けた痕もない!
そもそも、陶器で出来た人形のように滑らかで、染み一つ無い肌など人としてあり得ない!」
「私は『ユリウス』です。
それ以外の、どんな名前も認めない、と陛下が仰ったので」
『ユリウス』は、本当の事を言ったのに、首を振ったのは、パウルの方だった。
「いいや……貴様は……エルンスト。エルンストだ!!!!」
この男は、ユリウスでは、ない。
『ユリウス以外認めない』と言った自ら、禁を破ってパウルが絶叫した。
その目には、狂気が宿り、次の言葉は、低く低く紡がれた。
「そなたは、ユリウスではない。
ああ、認めよう。
貴様は、全くの別人であると。
ならば……ならば、より『服従の証』をその身に刻んでやる!!!」
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