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⑧ 誇りを捨て、命を賭けても守るもの

 ユリウスは、全ての衣服をはぎ取られた姿のまま、しかし気高く床を踏みしめて立っていた。  裸足でありながら、軍靴(ぐんか)でも()いているような勢いでつかつかと歩いて来ると、ノアの腕に抱かれていたエルンストを乱暴に分捕る。  そして先ほどまでユリウスを鑑賞していた長椅子にエルンストを横たえるのを見て、ノアは大げさに肩をすくめた。 「私がエロ神ですって?  本当はいつでも拘束から抜け出せるくせにわざわざ囚われて、屈辱を受けるのを楽しむ変態(かた)に、言われたくありません」  不機嫌から一転、気分を変えたのか。  ノアの声が楽しそうにからかうのを受けて、長椅子の前に跪き、優しくエルンストの髪をなでていたユリウスが、ゆっくりと振り返る。 「物理的に束縛できなくても、俺は家名と運命にがんじがらめに縛られている。  どうせ逃れられないのなら、せいぜい楽しめ、というのがお前の言い草だったな」 「おや? 私の言葉を覚えていただけたんですか?」  そらっとぼけたノアの言葉に、ユリウスは眉を綺麗に寄せた。 「エルンストを闇に堕としたのが俺だというなら、俺を変えたのは、お前だ。  ノアに憑依(とりつ)き、混ざり。もはや分離不可能になるまで融合した、精神(こころ)(とき)を司る魔法神(まほうしん)、アニムス」  そう。  ノアは、人に在らざる者。  (いにしえ)の魔法を発動するためには、異世界から召喚した神から魔力を授かる必要がある。  ノアを依り代に、魔力を提供できる魔法神が召喚されて定着させたからこそ、ユリウスは、魔法を使えるのだ。  ユリウスは、生贄台に張り付けられた首輪と、両腕を戒めていた鎖を(とき)の魔法で劣化させて壊した。  いわばノアとユリウスの二人で解いたと言っていい。  なのに心底嫌そうなユリウスの様子に、ノアは、冷たく微笑んだ。 「何かご不満ですか?  あなたは、怪しげな本を読み漁り。  何億とも知れないご自分の子種の命を捧げる淫らな行為と引き換えに、自ら望んで古典魔法の力を手に入れたのでしょう?」  ノアは、たまたまユリウスが魔法神アニムスを召喚した現場にいただけだった。  運命が変わった『その時』をなじるように、ノアは言葉を続けた。 「召喚された神にいきなり魂の半分を喰われて、その一部となれ、と言われた私の立場を思い測っていただけますか?」  芝居がかって見えるほど大げさなノアの表情に、ユリウスも深々とため息をついて応戦した。 「被害者面するな。  お前のやっていることは、神との融合を果たした後も人間の時と変わらない。  むしろ、己の趣味に走り、常軌を逸する淫らな行為を取り繕わなくて良い分、生き生きして見えるが?」 「おや? バレましたね?」  ユリウスの言葉に、ノアはチラリと舌を出した。  神を(おそ)れるものがいなくなり、古典魔法が廃れた今、新魔法『科学』の範疇(はんちゅう)以外の奇跡は起きないことになっていた。  しかし、カレンベルク家の図書室には、この世界で手に入るありとあらゆる本が所蔵されている以上、いかがわしい本も、読んだ人間を実際に呪う書籍もある。  その中で、当主しか出入りできない隠し部屋に眠る本の数点が、絵に描いたような悪書だったのだ。  この上なく淫らで、危険なものだ。  読んだ者だけでなく、読者に最も近いもの、大切に思っている人間ほど強く呪う、本。  神が住む神界から神を召喚し、人間に憑依させることにより、人界に留めて力を使うやり方を書いた書籍。  古典魔法の奥義書の隅々全てを、ユリウスは読みつくした。  カレンベルク家に生まれた以上、抱えざるを得ないことがある。  運命に逆らうべく、ユリウスは、実際に神の召喚を行ったのだ。 「何でもするから力を貸せと、先に泣きついて来たのは、どなたでしたっけ? ねぇ、ユリウスさま?」  ノアはくすくすと声を立てて笑った。 「強大な帝国の最高位の貴族として、この世にあるほとんど全てのものを手に入れられる立場にありながら、本当に望む物は何一つ手に入れられない。  それが、あまりに不憫(ふびん)で私は手をお貸ししたまでのこと。  ご自分が変わった責任を、他人のせいにしてはいけません」 「ノアが膝をつく基準は、より愚かで淫らな方、だったな?  どうせ、エルンストよりもなお、俺の方が愚かだと思ったのだろう?」  ユリウスの言葉に、ノアは目を細くした。 「もちろんですとも。  私は人間であったノアの人生だけでなく、魔法神アニムスとして存在した全ての時間を照らし合わせても、あなたより愚かな男に出会った試しは、ございません」  ノアは楽し気に笑うと、ユリウスの前で跪いた。 「先日のαβΩ血液検査の結果、Ω性は、エルンストさまの方でした。  α性のユリウスさまは既に、叙勲前夜の秘密の試練を受け、公爵となりました。  正式にカレンベルク家のご当主になったにも関わらず。  自らをΩ性だと偽った挙句、帝国貴族最高位の賢聖の座を父君(ちちぎみ)からはく奪され、今や性奴隷寸前です……何か(おっしゃ)りたいことは、ございませんか?」 「カレンベルク家の当主は、表も裏もやるべきことが多すぎる。  俺が当主の座を降りて、エルンストだけを相手する相談役になったとしたら、例え発情期(ヒート)が来ても、俺がエルンストを守ってやれるだろう」 「相談役ですって!?」  ノアは、大げさに叫んだ。 「さすが、賢聖。表は帝国の頭脳を気取りながら、裏は膨大な知識を皇族さま方の夜伽の(しとね)に持ち込み、色で帝国を操る。  そして時には、皇帝の依頼で暗殺までこなす、カレンベルク家らしい『相談役』のお姿ですな。  あなたが、当主のまま。  エルンストさまを生贄の間に厳重に繋いでおいても、良かったのではなかったのですか?」  首輪と鉄の鎖で繋がれて、生贄の台に全裸で張り付けられて、何が楽しいのか。  あざ笑うノアに、ユリウスは初めて目を伏せた。 「楽しいわけがあるか。  俺は、ただ、エルンストの自由を奪いたくないんだ」 「……甘いですな」 「うるさい。  Ω性が発情期になったら、適切な古典魔法を使わない限り、抑え込むのは困難だ。  運命の番を見つけるまで誰も彼も誘って淫らな行為に(ふけ)るのを『科学』で抑えるのなら、命を縮める抑制剤を飲むしかない。  例え、地下室に籠っても、扉を守る護衛にさえ犯される危険がある以上、領主の仕事の片手間にエルンストを守り切るのは、無理だ」  Ωが発情するのが、大体三か月に一度、とはいえ、正確な日程の予測がつかず、突然来る発情期に怯えることになる。  終わらない仕事を抱えたユリウスが助けに入るまで、ずっと地下室に引きこもっていても安全ではない。  ユリウスは、エルンストにそんな生活を送らせる気はなかったのだ。 「カレンベルク家の裏の顔は、帝国の最高機密だ。  男娼紛いの行為については皇帝、皇族の性癖や恥部を全て晒すことになる以上、直接関わる者にしか、明かせない。  皇帝の暗殺者として動く事実も、公になれば、帝国自体が皇族への不安で瓦解しかねないからな。  誰もかれもが、秘密の隠蔽に必死だ。  腐った帝国の暗部をエルンストに教えて、関わらせるつもりもない」  ユリウスは、自分の手駒であるノアをエルンストの側近に仕立てあげ、いらない情報を、隠してるのだ。  双子の父、カールは当然、カレンベルク家の裏の仕事を知り、当主の役目を担っていた。  Ω性だと信じたユリウスを暗殺しようと思ったのも、カールのプライドだけの問題ではない。  色を売るに等しい裏の仕事の担い手が女性でないのは、皇族たちが揃って男娼好み、というわけではないのだ。  高貴であることだけは確かな、誰とも判らない子どもを孕んでしまえば、後々世継ぎ問題でもめかねないからだ。  男でありながら子宮のあるΩ性の身では、禁忌とした女性を使うのと変わらない。 「帝国の暗部をエルンストさまに知らせなければ、誤解されたままです。  ユリウスさまは、鎖に繋がれた奴隷のように扱われても、いいのですか?」 「俺を本当に捕まえておけるモノは、何もない」  ノアの質問に、ユリウスは顔をあげた。 「エルンストにならば、性奴隷ごっこに付き合っても良いだろう。  どんな鎖に縛られようと、簡単に破って逃げ出すことが出来るからな。  カレンベルク裏の顔として夜の床に求められ、皇帝や、皇族の皇子たちにどんなしうちをされても、α性の男である以上、俺は汚れない。  水で身を清めれば、無かったことと同じだ」  そしてユリウスは、考える。  古典魔法を使えば、エルンスト本人にも自分の体質がΩだと知られずに済むだろう。  エルンストにカレンベルク家の裏の顔を知られず、日の当たる場所で、生きられるように。  表の仕事、カレンベルク図書室の管理と領内の統治。インフラの整備は、エルンストに。  皇族たちの夜の相手と、暗殺。  エルンストが発情し、動けないときも、ユリウスが守る二人三脚が理想だと聞いて、ノアは、鼻で笑った。 「その生活の何処に、ユリウスさまの幸せがあると?」 「エルンストが汚れず、俺だけのものになるだろう?」 「貴族のみならず、人間としての誇りまでも捨て、命がけの苦労の末、対価はそれだけですか?  救いようのない愚か者ですね」 「うるさい」  邪険に払ったユリウスの手を、ノアは、大事そうに取った。 「でも、私は好きですよ。  誰よりも、愚かで、美しいユリウスさま。  例えどんなご身分であっても、私はあなたに従いましょう……」  ノアの言葉に、ユリウスは睨む。 「俺に従うと言うなら、少しぐらい言うことを聞け」 「ユリウスさまが私に支払う対価の限り分なら、いつでもお聞きしているじゃないですか」 「……ノア」  不服そうなユリウスの声を無視して、ノアは、ふふふ、と笑った。 「私、ノアの忠誠は、淫らで愚かなユリウスさまのもの。  しかし、私と癒合した魔法神アムニスの力は、本来、異世界にて封印されている古典魔法の最高神ロキシーさまからの賜りものです。  ロキシーさまが眠りについている今、決して満足とは言えない貴重な魔力を、対価分だけでもお分けするのは、それだけユリウスさまを高く買っている証拠です」  そんなノアの言い草に、とうとうユリウスは、はっきりとに顔をしかめた。 「何が対価分だ! そもそも、お前にエルンストを汚すことを許していないはずだぞ!?」 「エルンストさまに触れはしましたが、どこを汚した、と言うんです?  ご自分で満足な快楽を貪るのが辛そうでしたから、少々お手伝いをさせていたまで。  綺麗なものですよ。  いい所に触れられて、それはそれは甘い蜜をだくだくと垂れ流しておいででしたが」 「ノア!」 「なんとおっしゃっても無駄ですよ。  しかも、エルンストさまを汚さない代わり、ユリウスさま。  あなたは、少なくとも倍は汚れていただく契約になっていることを、お忘れなく」  ノアの言い草に、ユリウスは、深く息を吐いた。 「……ああ。  お前から魔力を補給する代価だというのなら仕方がない。  これからエルンストに代わり、皇帝陛下の呼び出しに応じるから、魔力を切らすわけにはいかないからな。  俺のことは、好きにすればいい」 「さすが、良いお覚悟でございます」  ノアは、エルンストを庇うように長椅子の足元に座るユリウスの肩に手を伸ばした。  そして氷のような唇で、ユリウスの花びらに等しい唇を塞ぐ。 「……ん……ふ……」  ノアとユリウスが、わずかに息を漏らしながら、角度を変えて唇同士をつなげる行為は、口付け、というには、淫らすぎる。  ユリウスの口腔をノアの舌が犯し、蹂躙(じゅうりん)しているのだ。

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