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第17話

都の外れにある霊園は朝早くにも関わらず依が危惧していた通りの人出があった。とはいえ、都内最大の巨大な霊園は、家族連れが笑い合いながら門をくぐっても、真夏の強い日差しが緑を溶かしても、少しもその色には染まらず、大きな岩のようにずしりと構えている。 隼人が途中で買った花とバケツを、依が線香を持ち、二人で玲子の墓石がある区画へと向かった。玲子が選んだのは広大な敷地のこの霊園での最奥の区画で、そこに辿り着くまでに、長い坂道を抜けなければならない。陽炎に歪む濃い緑をぼんやりと捉えつつ、坂を上りながら、隼人は顔の表面に浮かぶ汗を拭った。 「あ……っつ……」 急勾配の坂道は、隼人の運動不足、寝不足の体からあっさりとエネルギーを吸いとっていく。 「いいところだね」 隼人の少し前を行く依が振り返って感心したように言う。依はとても非力そうな顔と体格をしているわりに、汗もほとんどかかずにけろりとしている。隼人は息を切らしながら項垂れた。 「何であんた平気なんだよ」 「大した坂じゃないよ」 足が止まってしまった隼人のところまで戻ってきて、依は隼人の持っていた花とバケツを取り去った。一瞬だけ指先が触れて、その冷たさに血が燃える。 「っ……何」 「持つよ」 「……いい。返せよ」 依の余裕ぶりが面白くなくて、隼人がバケツを取り返そうと手を伸ばすと、依はさらりと身を翻して、坂道の残りを上り始めた。隼人は力を溜めるように深く息を吸って後を追いかける。 「待て。持つって。貸せよ」 「無理しない方がいいよ」 「なんかプライドが許さないんだよ」 「あはは。なに、それ」 依が立ち止まったのは、坂道をちょうど上り終えたところで、緑を抜けた二人を広い青空が迎えた。隼人は素早く依から荷物を取り戻し、短く息を吐いた。 「何であんたより俺の方が疲れてんだよ。おかしいだろ」 「俺に言われても」 「……もう、平気。坂、終わったし」 呼吸を整えて、隼人は依を追い越す。坂の上は、そこから更にいくつかの区画に分かれているようで、二人が出た道に立てられた案内板に細かな番地が書きだされている。隼人は玲子の墓石の番地を確認し、そこに向かった。ここまで来ると、さすがに入口ほどの人気はない。ちらほらと人影を見つけられる程度だ。景色は開けていて、綺麗なところだ。完璧主義の玲子が選んだだけはある、と隼人は納得して、目的の区画に入った。心臓破りの坂のお陰で、昨日墓参りをすると決めてからずっと抱えていた憂鬱さや緊張はいくらか和らいでいた。 途中、バケツに水を汲んで二人は玲子の墓を探した。墓は、巨大霊園の最奥区画の、さらに最も奥まったところにあった。時折吹く風の音以外は何もないような静かな場所だった。 「静かだ」 墓石の前で立ち止まった依が、感情の篭った声でふと漏らした。依の綺麗な声はこの風によく似合う。花束のフィルムを剥がしながら、隼人はぼんやりとそんなことを思った。 白い正方形の墓石の両脇に玲子の好きだった花を供え、線香に火を点けた。昔からよくリビングに飾られていたその花の名前を隼人は知らなかったけれど、花屋の店員がカラーという花なのだと教えてくれた。滑らかでシンプルな花弁の形状は、いかにも玲子の好みだった。 「俺も、いい?」 「ん」 隼人は細く煙を燻らせる線香を半分依に渡し、墓石の前にしゃがんで線香を置き手を合わせた。 汗ばんだ手のひらは吸いつき合い、太陽の熱に眩暈を覚える。手を合わせたのはいいものの、隼人は何も考えることができなかった。何かを祈ればいいのか、玲子に向けて何かを伝えればいいのかもわからない。やっぱりこんな状況で、来るべきではなかったのかもしれない。 「っ……」 しゃがんだままその場に倒れそうになった隼人の腕を、ひやりとした手のひらが掴まえた。隼人がはっとして見上げると、視線の先で、依が心配そうに表情を曇らせた。 「大丈夫?」 依の柔らかく綺麗な声と、真夏の空気を裂くように空と平行に吹いた風に、いつの間にかほとんど音を失くしていた鼓動が大きくなり、あっという間に駆け上がった。一瞬とはいえ強く握られた腕には依の温度が残り、その熱に、心臓は焼けた。 「あ……わ……りぃ」 「うん」 依は頷いて、すぐに手を離した。隼人はそれを心許なく思いながらも、立ち上がって場所を空ける。依が同じように線香を供え、手を合わせるのを、隼人は触れられた手首を押さえながら待った。出掛けに外すべきか悩んで、結局身に着けてきてしまった指輪が指に食い込むような痛みがあった。 十秒ほどの祈りの後で依はふらつくこともなく真っ直ぐに体を起こした。隼人を振り返り、お待たせ、と笑む。他意のないその笑みに、隼人は自分の中で堰き止めていた感情が一気に流れ出す感覚を覚えた。突然生まれたわけでも、どこかから知らない間に注がれたわけでもなく、ただ溢れたようだった。 「……依、」 残った線香やライターなどを片付けようと手を伸ばした依を、ふと隼人は呼んだ。名前を呼んだのは初めてかもしれない、と思う。少なくとも記憶にはなかった。 「どうしたの? 急に」 依は驚いたような、戸惑ったような表情を浮かべ、ゆるく瞬きをした。心音に急かされるように、隼人は依の腕を取り引き込む。暑さに参ったわけではなく、自然にそうしたいと思えたからだった。揺らいだ風に、急に距離をもどかしく感じた。 「は、やとく……っ」 骨ばった固い体と自分と変わらない目線を確認しながらも、抱き締める力を強めようとした隼人の体を依が拒絶し突き飛ばした。 「っ……」 上空を飛ぶ飛行機の音に、隼人はまた鼓動が大きくなるのを感じる。 「あ……と……」 「気分、悪い?」 依は隼人と目を合わせず、冷静を努めた様子で言った。気分が悪くなったわけではなかった。ただ、依に近くで触れたいと思った。 「ちが……」 「そこの木陰で休んでて。飲みもの、買ってくる」 隼人の返事を待たずに、依は小走りでその場から去ってしまった。依に拒絶を受けたことがショックで、隼人は追いかけることもできず宙に浮いた手を力なく下ろした。 落ちるようにしてその場に座り込み、隼人は目に入った指輪を外す。外すことが怖いとも思ったはずのに、いざそうしてしまうと、心も指も信じ難いほど軽くなった。罪悪感以上に、粘度を持った熱い感情がある。 十分ほどで二人分の飲み物を買って戻ってきた依は、それから二度と隼人の目を見ようとせず、家に帰るまでずっと隼人が距離を縮めることを恐れるように隼人の仕草に注意を払っていた。不安ともどかしさが理性を飲み込んでいく。まだ小さなものだと思っていた感情が一気に爆発するような衝撃が全てを支配して、とうとう崖の淵に追い込まれたような、そんな気分だった。

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