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第20話

隼人が一度家に戻ると、しばらくして灯太の見込み通り一気に強い雨が降り始めた。ひっきりなしに轟く雷鳴が、長続きしない雨であることを予感させたものの、規模は大きく、バケツをひっくり返したようなという表現があまりにもぴったりな夕立だった。隼人は窓辺に寄って落ち着かない気分で雨で何もわからない風景を眺めていたのだけれど、やがて居ても立ってもいられなくなり、早足で部屋を出た。時間が経つほどに、灯太の言葉が重く背中に圧し掛かる。 無意味とわかっていつつも傘を手にし、玄関のドアを開ける。瞬間、予想しなかった光景に息をのんだ。 「え……」 ドアの前で、依がまるで捨てられた子犬のような風情で立ち尽くしている。雨が降り出して十分近く経過しているものの、依の衣服に濡れた形跡はなかった。 「っ……」 俯けていた顔をわずかに上げた依が息を呑んだ。一拍の空白の後、また逃げ出そうとした依の腕を、隼人は咄嗟に取った。傘を手放し、依の体を玄関の中に引き込み抱き寄せる。ドアが閉まると、大雨はわずかに遠くなった。 「は、離し……」 「絶対、離さない」 「なっ……」 「……待ってらんなくて、探しに行こうと思ってた。帰ってきてよかった……」 隼人は深く息を吐き、依を抱きしめる腕に力を込めた。依がひどく緊張しているのがわかる。 「急に出てくとか言うから、慌てた」 「は、やとくん……、」 「家賃も玲子との約束も何も関係ない。彼女ともさっき別れてきた。出てくなよ。出てくとか……本当、無理」 依が腕の中にいる安堵が深すぎて、隼人は感情をうまく言葉にすることができなかった。すぐさまこれではいけないと思い直し、気を落ち着けるように深呼吸をする。 「わかってんのかって友達に脅された。知り合って二カ月で、相手男で、覚悟あんのかって。ただ気、遣わなくていいのが楽なだけじゃないのかって」 「……」 「俺は……ただ、もう毎日あんたのことしか考えられなくて、辛い。いなくなるとか考えられない」 「……勝手だよ」 「勝手だし、子供でへたれだって知ってるけど、それでもそばにいたいって思ったんだよ」 依が体を強張らせ、さらなる緊張の糸が二人を縛りつけた。 「なんで……ゲイに、ストレートの人がそんなこと言うの、すごく残酷だって、わかってる? やってみなきゃわかんないとか、どうせそういう風に片付けるんでしょ。俺の気も知らないで」 「やってみなきゃわかんないのは、だいたいなんだってそうだろ。あんたわかんのかよ」 「それは……、」 「逃げられるもんならとっくに逃げてた。でも無理だったんだよ。失えない」 「嘘だよ……っ」 「……、」 言葉を探す空白を置いた隼人に、依が悲しそうに笑った。 「あとちょっとだったのに……なんでそんなこと、言うかな……俺がどんなに……どれだけ……」 「……依、」 「っどれだけ……考えて、悩んで……やっと言えたか……やっと……出てけるって………ていうか俺ほんっとう、趣味最悪……」 「……」 隼人が笑いだと思ったものは、涙だった。隼人は聞き捨てならない言葉に反論しようとしたけれど、言葉とは裏腹にしゃくりあげながら肩口に額を寄せる依に、わずかな安堵の吐息が零れた。 「……だから、出てくなって言ってるだろ」 「俺がどんな思いで……!」 「わかった。それは……わかってるから」 「っ……」 依が抱えた不安を言葉で取り除くことは不可能だと隼人は判断した。腕の力を緩め、真っ赤になった依の目元に浮かぶ涙を指で拭う。依の体は強張ったまま、わずかな振動にも大げさなほど反応した。 「俺が意気地なしのどうしようもないクソチキン野郎で踏ん切りつかなくて、不安にさせた」 「……自虐が下手過ぎる」 やけに冷静な依のつっこみに思わず笑いを零すと、わずかに緊張がほどけたのがわかった。長い睫毛が触れ、感情を後押しする。前髪を梳きながら、引き寄せられるようにして隼人は唇を重ねた。待ちわびた熱が全身にくまなく広がった。 「ふ……、」 軽く舌を吸うキスの後で、隼人は露わになった依の額に自分のそれを合わせた。呼吸が重なり合い、それ以外の全ての音は消え去った。 「前に話したことあったよな」 「え……?」 「女だと思って抱けるのかって」 「……」 「女だなんて、思えるわけない。じゃあ他の男でもって思ったら、そんなの有り得ない。あんたが男でも女でも関係ないとも思わない」 依の瞳が不安に翳りながら、隼人の言葉を待つ。雨音が少しずつ遠のいていく。隼人の声は余韻を残しながら響いた。 「あんたが男で、変わり者で、すぐ人信じて、純粋で、人のことばっか気にかけてるような奴だったから、こんなことになったんだよ。他で似たような奴に会ったところで、こんなことにならなかった。顔も全然好みじゃねぇし、っつーかそれ以前に男だし、性格だって反対で……でも、結局……あんたじゃなきゃだめだった」 今度は隼人の方が泣きそうになって、隼人は寸前のところでそれを堪えた。こんな時くらい、弱いところは見せたくなかった。けれど依には隼人の不安が伝わったようで、彼は瞳を濡らしながら隼人の頬に手を伸ばした。 「怖い?」 「怖い……けど、怖くない」 「怖いけど、怖くない……」 「……わかってるよ。矛盾してんのは」 「……ううん。なんか、わかる。同じだ」 依が微笑むと、力が抜けるように自然に、唇が再び触れ合った。心臓に張った熱の膜が、一瞬で体積を増やしたようだ、と隼人は思った。

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