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紫陽花
一つの町ほどある大きな団地で育った。灰がかった白の、マッチ箱を立てたような、まるで同じ形の建物が等間隔にどこまでも並ぶ故郷の風景。勉強机にかじりついていた少年時代、開け放った窓から漂うコンクリートの湿ったにおいが、雨降りを知らせるにおいだった。
カタン、と玄関が鳴る。
来訪の予告から、ずいぶん時間が経っていた。
出迎えた僕の目にはまず、傘をたたむきみの背中が見える。それから振り向いたきみは、両手いっぱいに紫陽花を抱えていた。
「どうしたの、それ」
こんもりと零れんばかりの、水色の紫陽花だ。思わず差し出した両手に、それが押しつけられる。青臭さの混じる土のにおいが鼻を、きみの傘と少し似た色の花びらが頬をくすぐる。くしゅん、とくしゃみが出た。
「研究棟の裏からもらってきた」
紫陽花の向こうで、きみが悪びれずに笑う。
「もらったって、勝手に」
「お前だって知ってるだろ? あそこ、誰も手入れなんてしてないって。半分は花瓶に活けて、半分は庭に植えよう。挿し木が上手くいったら、来年からはこの殺風景な庭にも紫陽花が咲くよ」
自他ともに認める悲観主義者の僕だが。きみと出会って少しマシになった。なんでもない日に花束なんか持って帰って、ついでのようにさらりと来年の約束なんかするきみと出会って。
「……肩、濡らしてさ」
「ああ、ほんとだ」
欲張って抱えきれないほど持つから、傘はずいぶん差しづらかったろう。すっかり濡れた左肩は、シャツの下から肌が妖しく透けている。その肩を掴んで、つま先を浮かせる。
少し汗ばんだ首筋に口付け、唇を探し当てると、そこだけざらざらと乾ききっていて、僕はなんだか妙に感じてしまった。今夜の雨のにおいは、摘んだばかりの紫陽花と、きみのかすかな汗のにおいだ。
「ん……」
「なあ」
「なに?」
「俺、アパート引き払うことにしたよ」
「そう」
「ここで一緒に暮らす。いいだろ?」
「うん……」
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