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寝顔

 静まり返ったコンクリートの階段を、足音を気にしながら上る。  二階の踊り場に差しかかると、頭上の蛍光灯がチリチリと明滅を繰り返しているに気付く。管理会社に電話しなきゃな。いや、もう誰かがしているか。  四階の右手側、402号室が愛しい我が家だ。慎重に鍵を挿し込み、錠を開け、やはり音を立てないようにゆっくりドアを閉める。すっかり癖になった当直明けの一連の行動だが、見る者が見れば空き巣か何かと間違えるかもしれない。それでなくても、平日昼間にうろうろしていたり、こんな夜明け前に帰って来たり、不審に思われているかも。実のところ自分はそれとは正反対、取り締まる側の「お巡りさん」なのだが。  オレンジの常夜灯がぼんやり灯る、ひたひたと冷たい玄関。  壁際のカレンダーに目を凝らすと、今日の日付には赤い丸と、隅に小さく★のマークが書き込まれている――今日は可燃ごみの日で、千歳は遅番の日だ。  そのまままっすぐ寝室のドアを開け、奥へ進む。  ベッドの真ん中にこんもり盛り上がったかたまり。頭まで布団を被って眠っているのが、この家が愛しい我が家たり得る理由、自分の恋人だった。  一緒に暮らす前は、誰かと暮らすのは苦手、自分だけの部屋が欲しい、なんてさんざん言っていたくせに、2LDKの狭いこの家の中でどこにいても今では彼が隣りにいる。  慎重に布団を剥がすと、まずはゆるい癖っ毛の頭が、そして安らかな寝顔が現れる。  今日は遅番だから、また夜中までゲームでもしていたのかもしれない。身体を丸めてすやすやと眠るのは、これでも今年で二十五歳の成人男子。幼い印象の消えきらない頬のライン、ふっくらと閉じた目蓋、その際から伸びる黒い睫毛を、順番にあやす。そのうちに柔らかい目蓋と唇が細かく震え、 「……ばんり、くん?」  恋人が浅瀬に上がった。 「うん、ごめん、起こした」 「……もう朝?」 「まだ夜」  千歳は寝ぼけ眼をうっそりと細め、布団の中から両腕を伸ばす。万里は腰をさらに屈め、恋人の要求に応えた。 「ん」  すっかり温まった千歳の身体を抱いて、唇と唇を合わせる。脱がずにいたダウンが、少し身じろぐだけでかさかさと衣擦れの音を立てる。 「おかえり」 「ただいま」 「今日は非番?」 「うん」 「ついてない……俺は遅番なんて」  警察官の自分と、図書館司書の恋人。お互い週休二日とは無縁のシフト勤務だが、いやそれゆえか、すれ違いも多い。 「ちぃ」 「なに?」 「俺がシャワー終わるまで、起きてられる?」  言下の願いは一つ。薄明りの中でも、千歳が恥ずかしそうに笑ったのがわかった。 「自信ない……けど、眠ってたら、起こして」  もう一度唇を合わせ、千歳の身体に顎まで布団を被せる。  そうした途端に気持ちよさそうに目を閉じてしまうから思わず吹き出してしまったが、交わしたばかりの約束を反故にされても万里は構わなかった。起きている彼が最も愛しいのは間違いようもないが、その寝顔を眺めながら同じように眠りの海へ落ちてゆく夜明けの時間が、案外に自分は好きなのだ。

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