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licca

 誰にでもきっと、初恋の人は存在するだろう。  僕の初恋のエピソードには特別なんて一つもなくて、ひどくありきたりな思い出というだけのことだ。  小学生の頃、とあるポップスのガールズグループがあった。僕らと同じくらいの年頃、つまり小学生の女の子三人組で、彼女たちの本格的なダンスと歌唱は、当時相当に一世を風靡していた。やんちゃなmikaのツインテールをクラスの女子はみんな真似して、yuiの大人びた色のリップが流行り、クールなliccaのパフォーマンスに憧れて休み時間に踊った。liccaはパーフェクトだった。ダンスも歌も、他の二人よりずっと上手かった。それなのに、僕の周りではmikaとyuiの人気が圧倒的で、僕は悔しい思いをしていた。  いつもCDを聴いていた。親にねだってDVDも手に入れた。  透き通るような声は同時に鳥肌が立つほど芯があって、どんなナンバーもliccaは自在に歌った。時々わざと振り付けの力を抜いたりするテクニックに痺れた。  そして、僕が十二歳、そして彼女も十二歳の時に、僕の歌姫はテレビの中から去って行った。 「なあんだ、芸能人か」  頬杖を突いて聞いていた彼が、呆れたように笑う。 「そっちから初恋の話をしろって言ったくせに」 「そういうのじゃなくてさ、ないの?」  ふふん、と、寄越される目線に揶揄が込められているのがわかる。この話をすると、大抵みんな、こういう反応をするのだ。 「べつに、ごまかしてるとかじゃないんだって」 「ふうん?」 「俺にとってはさ、liccaが初恋なんだよ、ほんとに。そんなに変かな」 「変じゃないけど、あては外れた」  大学に入って初めて出来た友人にも、どうやら僕は、初恋の相手に芸能人を挙げるようなやつとレッテルを貼られたらしい。 「……ほんとに好きだったんだ」 「はいはい」 「声も、顔も、存在も。俺、liccaが引退してから、誰も好きになれないんだ。ディーバって呼ばれる歌手なんて次々出てくるけど、俺にとってはさ、ずっとliccaだけが歌姫だよ。もう歌ってくれないのかなあ、もう一回、声聴きたい」 「はいはい、はい、わかったって」  まださっぱり慣れない広い広いカフェテリアの、壁際の隅っこで。僕はA定、彼はB定をつつきながら、手始めの恋バナなんかしているわけだけど。 「そーゆうお前は?初恋」 「うーん……憶えてないかな」 「なんだよ、俺よりつまんない答え」 「はは、ごめんごめん」  少し整いすぎている感があるからか、一見とっつきにくい彼は、しかし笑顔を出し惜しんだりしない。今みたいにふっと気を緩めたように笑うと特に優しい印象になるし、多少皮肉っぽい物言いもするがお喋りだ。ただし、大勢での人付き合いはそれほど好きではないみたい。新歓コンパの夜、二次会のカラオケへ流れるルートからフェードアウトした者どうしで仲良くなったのだから、間違いないだろう。 「今日も、お前の部屋に行っていい?」 「いいよ」 「お前んち、CDがいっぱいあって楽しいよね」 「そう?ほとんど実家だけど」 「まじ?」 「まじ。あ、YML聴く?持ってきてるよ」 「はは、ほんと好きなんだな」 「うん。あ、帰りにさ、なんかDVD借りようよ。おすすめ教えて」 「オッケー」  まだまだお互い知らないことの方がずっと多くて、たとえば僕は、彼のことを苗字でしか呼んだことがない。実はそれには、一つ理由がある。 「なー。今さらなんだけど」 「なに?」 「お前の、下の名前って、なんて読むの?」 「わは」  箸を咥えたまま吹き出して、くくく、と、しばらく笑ってから。顔を上げた彼が、悪戯っぽく言う。 「俺は知ってるよ、カズキ」 「うー、ごめんって」  申し訳なさと気恥ずかしさで少し赤くなった僕にまたくすりと笑いかけて、 「リッカ」  キーン……半分ほど水の入ったグラスを、彼の長い指が弾く。 「雪の結晶って意味なんだ。女の子みたいで、子供の頃は嫌いだった」  六花。それが、彼の名前。 「歌もダンスも、得意だったけど、好きじゃなかった」  くらりと視界が霞む。まるで古い液晶テレビを見ているみたいだ。 「でも。カズキが好きって言ってくれたから、いいや」  天気予報では夏日になると言っていた。少し汗ばむくらいの真昼、とても涼やかな音が、僕の頭の中に響き渡った。 終わり
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