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背骨の二番目
「おかえり」
寝返りを打った僕がそう言うと、君は大げさなくらいびくりと身震いして、ややあってふんわりと笑う。
「……ただいま」
舌足らずに応えて、少し乱れた前髪を耳にかけ、尖った膝でベッドに乗り上げる。近づいてくる、熱く湿った、浅い呼吸。アルコールと煙草の混じった匂いを纏った君になどそうそう会えるものではないと思いながら、君のキスに応える。シェリーのような甘い香りと、舌先を刺激する辛み。どうやらウィスキーを飲んだみたいだね。
終電もとうになくなった真夜中。珍しくも、君がずいぶん酔って帰ってきた。
「良い酒だったみたいだな」
「……そう、かな」
潜めるように笑って、また、僕にキスをする。
「少し淋しいよ」
「ああ、そうだよな」
僕と違って、付き合いの飲み会など大嫌いな君だ。
そんな君が、終電を逃すまで帰って来なかった理由は、あらかじめ聞いている。若い頃から世話になっていた上司の、今夜は退官パーティーだったのだ。僕らがこのマンションを買った時に、保証人になってくれた御仁でもある。
「今度、一緒に挨拶に行こう」
「うん……会いたがってた」
「はは、ほんとかよ」
「気に入られてるんだよ、数回しか会ってないのにね」
「それは、可愛い部下が決めた相手だから、だな」
ふふっ、と、ひときわ熱い息。
「……そう、かもね」
眼鏡を外して、ネクタイを解いた君の美しい指が、僕のパジャマのボタンにかかる。君は酔った僕の相手をするのが面倒らしいが、僕は、いつものようにじっと恥らう君も、こんなふうに酔って大胆になった君も、どちらもたまらなく感じる。
ワイシャツの下の肌着に、じっとりと汗が染みている。きっと、早く全部脱いでしまいたいだろう。
「シャワー……浴びてくるよ」
「いいよ」
「馬鹿……」
わざと君の身体を嗅ぐ僕に狼狽えてみせて、しかし、重ねられた手は一緒になって愛撫の軌跡を辿るだけ。
喧嘩の最中を除けば、一つのベッドで眠る僕らだが。
なんだかずいぶん久しぶりのような気がしてしまうのは、単に、今夜の一人寝が堪えていただけなのだろう。日頃の自分の行いを棚に上げて、隣の枕に君の小さな頭が乗っていないことをひどくつまらなく感じていた僕なのだから。
さっきまで空っぽだったその枕に、丸みのある後頭部を手のひらからそっと落とす。怜悧な額に、高い鼻筋に、薄い目蓋に唇を押し付け、すっかりはだけた胸にも口付けをする。十二年と少し、こうやって君を抱いているけれど。
「きれいだ」
これ以上に相応しい言葉を、いまだに探せないでいる。
細い指先が、僕の背筋をつい、と、なぞる。
てっきり寝てしまったと思っていたから、不意打ちのくすぐったさにぞくりと震えてしまった。横を向くと、手枕にぐったりと頬を押し付けた君が、気恥ずかしそうに笑いながら、また、僕の背筋を指で伝う。
「なんだよ」
「なんでも……」
と言いながら、また。
「まだ酔ってる?」
「そうかも」
やがてくすくすと笑い出した君が、それでもまだやめないので、僕は背中の占有権を君に預けることに決めて目を閉じた。
「ここ……」
「ん?」
「このへん……かな……」
首の付け根あたりの骨を、少し強く押す。
「二番目の背骨は……俺にちょうだいね」
――さて。君の心境は、今の僕には計り知れないが。
「なあ、いつも、俺より長生きする前提で話すよなあ」
心から僕が抗議すると、君はきょとんと目を瞬いたあと、それは可笑しそうに笑うのだった。
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背骨の二番目は俗に喉仏と言われ、納骨の際に特別に扱われる骨です。
「Suger」の二人のイメージで書きました。
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