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あかいみはじけた

 校庭の真ん中だった。  あつい。体操着の襟元を引っ張って、しきりに煽っていた。  あつい。声変わりの途中の、擦れた声。  細い首、尖った喉仏、ちらちらと見え隠れする鎖骨、そこを伝う汗。  あつい。何回目か、何十回目か言った時。  つう、と、鼻血が垂れた。  あ、と、驚いた僕を不思議そうに見返している間にたちまち鮮血が滴り、彼の真っ白な体操着の胸元に、真っ赤な染みができた。  あろうことか、僕はその時、勃起していた。 「ねえ、どうしてそんな話を?」  笑っているのか息苦しいのか、胸を浅く上下させるのが、ひどくセクシーだと思う。 「どうしてって……思い出したから、かな」 「それが初恋だったんですか?」 「初恋と呼ぶには、いささか生々しいと思うけどね」 「でも、初恋なんでしょう?」 「まあ、そういうことになるのかなあ」 「はっきりしないんですね」 「性分でね」  膝と膝が触れ、そのうちに、脚が絡み合う。  間近に嗅ぐ君の息はずいぶん酒臭く、君にとってもそれは同じだろう。  僕らはお互い、強かに酔っている。  そうでもなければ、こんなことはできない。少なくとも僕は、その程度には意気地がないのだ。  二人で開けた、そこそこ年代物の赤ワイン。  最後の一杯の、最後の数センチを飲み干そうとした君がうっかりそれを胸元に零し、真っ白なワイシャツに染みを作ったから。それを口実に、きちんと着込んだ君の服を、ようやく脱がせている。 「僕は……少し戸惑ってますよ」  手首のボタンを外してやると、するり、細い腕を抜いて、僕の胸を押し返す。  だから自分は駄目なのだ。  これから抱き合おうという相手に向かって、少年時代の思い出とはいえ、初恋の話などしてしまう。 「ああ、その、ごめん」 「なぜ?謝るんです?」 「いや、きみ、怒ってるのかなあと」  正直に僕が告げると、君はくつくつと笑って、人差し指で僕の唇に触れた。 「違いますよ」 「そう?」 「ええ。僕はただ、もしかしたら吸血鬼を好きになっちゃったのかもって思って」  悪戯っぽく言うものだから、思わず笑ってしまう。開いた僕の口に君の指先が挿し込まれ、それを吸ってから軽く歯を立ててやると、君は愉快そうに目を細めた。 「先生ってば」 「なあ、きみだって先生だろ」 「……おおしま、さん」  冗談めかして水を向けてみたところで、急に下の名前でなど呼べない、君の奥ゆかしさが本当に好もしい。僕はもう一度、今度は少しいやらしく、その細い指を吸った。 「……ねえ、先生」 「なに?」 「僕のこと、どう思ってますか?」  もう片方の袖からも腕を抜いて、白い肌を露わにした君が、ワインの息を吐きながら僕にしなだれかかる。既にほんのり汗ばんでいて、熱い。 「言ってなかったっけ」 「聞いてませんよ。僕は言ったのに」 「いや、まあ、だってさ。こんな状況で」 「ずるいですね」 「それも、性分でね」  手指を組んで、胸を合わせて、すい、と、ダンスのように腕を伸ばして。  ぼふん、二人してベッドに倒れ込むと、弾みでリバウンドする。口付けに応えながら、君が器用に脚を使って、どうやら散らばった衣服をベッドから払い落としたようだった。 「足癖悪いな」 「嫌いですか?」 「いいや、いいよ。好きだ」 「……ずるい」  柔らかい肢体。採用二年目の、若く瑞々しい身体と感性。  どうしてこんなことに、というか、どうして俺なんかに、と、何度自問したろう。  シーツに広がった黒髪の先に、鼻を埋める。頭のてっぺんからつま先まで可愛いというのは、こういう気持ちなのだと思う。  これはいわゆるオチというやつだが、この春、彼の息子が入学してきた。  親父そっくりの、大した美少年だったが。  僕はその頃にはもう、彼らの後方で子供たちよりよほど緊張した面持ちで立っている担任の君にすっかり夢中で、あの光景など本当に、君がついさっきワインを零すまで忘れていたのだ。 「あ……」  あえかに君がすすり泣く。  皮膚を突き破って君に襲い掛かりそうな劣情を宥める日々が、今夜、終わる。 終わり

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