一緒に暮らし始めた頃は、二人で朝食を食べていた。 　グラノーラにヨーグルトをかけただけとか、菓子パンにインスタントコーヒーとか、簡単なものばかりだったが、寝汚い自分が無理をして三十分も早く起きて、欠伸を連発しながらも彼と過ごす朝の時間というのは、二人暮らしをしているのだなあと感じ入るような特別なひと時でもあった。 　これは笑い話だけど。 　実は僕らはお互いに朝食を食べない主義で、お互いそれを知らずに、毎朝テーブルを挟んでいた。 　今ではお互いギリギリに起きて、洗面所を交代で使い、どちらの物かわからなくなったネクタイを結んで――行ってきますのキスだけは変わらず交わして、慌ただしく朝を過ごしている。 「おはよ……早いね」 　十時を過ぎてやっと起き出した洋（よう）が、僕を見て寝ぼけ眼を見開く。 　驚くのも仕方ない。日曜日なんて、二人して昼過ぎまで寝ていたっておかしくないのだから。 「おはよ。たまにはね」 「たまには早く起きて、しかも、台所に立って？　どうしたんだよ」 　揶揄含みの失笑の息と、顎ひげのざらついた感触が頬に近づく。後ろから僕をすっぽり抱き込んで、じゃれついてくる大男をしばらくあやしてから、僕はスウェットの胸を押し返した。 「ねえ、俺のホットケーキを食べたいなら、顔を洗って着替えてきてください」 「了解」 「あ、できればひげも剃って」 「りょーかい」 　洋はスボンのゴムに両手を突っ込んだまま、洗面所に去っていく。普段の良い男は半減しているが、これはこれで……なんて思っている自分は、今もじゅうぶん盲目なんだろう。なんて。 　僕がホットケーキの袋をまじまじ読んでいると、背後をのっそりとした足音が通り過ぎ、冷蔵庫の開く音がする。 「俺も何か作ろっかな」 　とひとりごちて、しばらく物色していたが、やがて玉ねぎ、キャベツ、にんじん、使いかけのベーコンなんかを出して、僕の隣りに立った。 「何作るの？」 「スープ。コンソメがいい？　トマトがいい？」 「コンソメ」 　にっと笑うと、包丁とまな板を揃えて手際よく材料を切り始める。 　平日の朝食こそ摂らない僕らだが、外食より家での食事の方が好きなのも一緒で、夕食はできるだけ二人で食べるようにしている。出来合の惣菜で済ませる日もあれば、たまには料理だってする。意外と不器用で大雑把なのが僕で、意外と器用で繊細なのが彼。洋のほうがだから、料理が上手い。シャク、シャク、玉ねぎをくし切りに、トントントン、にんじんを乱切りに、ザク、ザク、キャベツは大きくざく切りに。 「潤（じゅん）、見てないで」 「あ。ごめん」 　ぼうっと彼の手元を見ていたら叱られてしまい、なんだか急に気恥ずかしくなって、僕はボウルに手を伸ばした。 「ホットケーキなんていつぶりだろ」 「うん」 「十年は食ってない気がする」 「そんなに？」 　他愛のない話をしながら、狭いキッチンで肩をぶつけたり肘をぶつけたり、スリッパの先っぽを踏んだりして、遅い遅い朝食を二人で作った。 　大きさのちぐはぐな四枚のホットケーキを、平等になるバランスで二枚ずつ。バターをのせて、今日のためだけに買ったシロップをかけて。ごろごろ野菜のコンソメスープは、寒い日にはしみじみおいしかった。 「甘いのとしょっぱいのの組み合わせって、最高」 　僕が思わず言うと、向かいの洋が愉快そうに笑う。 「潤ってさ、時々すっごい、子供っぽいな」 「……そうかな」 「そうだよ。普段はしれっとクールなのに」 「……そう？」 「そう。そこが、たまんなくそそるんだけど」 「……洋さんこそ」 「俺？」 「うん。洋さんこそ。普段は大人の男って感じなのに、時々おじさんですよ、そういうとこが」 　好色な揶揄への反撃は果たして効果があったのか。洋はほんの一瞬黙り込み、きれいに剃刀を当てた顎を撫でた。 「潤」 「なに？」 「いいかげん、俺のことさん付けするのやめない？」 「なに、急に」 「急にじゃないだろ、何度もお願いしてる」 　そう、確かに、付き合い始めた頃から折に触れて言われてきたことだ。ただ―― 「そんなこと」 「嫌？」 「嫌じゃないけど」 　年上の恋人を呼び捨てにするのが、妙に気恥ずかしい。そのことはきっと、彼だってわかっているから。 「ね、潤」 　小首を傾げて、ほら、そうやって挑発してくる。 「……スープ、冷めるよ」 「潤」 「……ホットケーキも。せっかく俺が作ったんだから」 「ねー」 「…………洋」 　声まで赤くなっていたと思う。 　ふふふふ、と、俯いて肩を揺らして。彼はくすぐったそうに笑い出した。 「うん。嬉しいよ」 終わり