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第1話

「13歳おめでとうございます。エレン様。」 「ありがとう。」 目の前で紫色のドレスを纏った令嬢が頭を下げた。 エレンは微笑んで礼を言う。 もう十何回とこの会話を繰り返したが、エレンに誕生日の挨拶をする列は、まだ半分も減っていない。自分はアイドルか何かか、と思わず突っ込みを入れてしまいそうだ。 彼女たちはαの中でも特に政治家や古くから続く名家の令嬢で、のちにエレンは彼女たちの中から妻を選び、身を固めるようにと言われるだろう。 この世界には3つの性がある。多くが社会の上に立ち、民を導くα。努力次第で成功が約束されるβ、そして社会的な保護を制限されたΩ。 しかしこの国に被差別民は存在しないと、エレンたちは学校で習った。ある国ではΩはαの奴隷となり、服を着ることさえ禁じられると言うが、この国ではそんなことはない。 生きていくために最低限必要な保護はされている。病などに気をつけていれば、十分生活が保障されるのである。 エレンはこの国の総理大臣の息子で、α。のちに国を背負う立場にある。数々の英才教育を受け、すでに自分の道も自分で決めていた。 すでにシリウスでいくつかの研究結果を出しているが、15歳までには臨床の実習を済ませ医師免許を取得し、18になれば婚約者を決める。30になれば国会の議員になりたい。 強制されたわけではない。全て自分で敷いたレールである。 誰にでも手を差し伸べるこの国が、エレンは好きだ。 そしてより民の役に立てるよう、決めたのだ。政治家になる前に、医療の研究に貢献すること。 「エレン様、おめでとうございます。」 そんなことを思いかえすうちに、最後の一人が挨拶を終えた。 体調が良くないからと伝え、近場にいた警護人に付き添いを頼み、エレンは早めにホテルの自室へ戻った。 きっとこの時間に本を読んだり、研究結果の解析をしたりするほうがよっぽど効率的だ。 父が言っていた。上に立つものは誰よりも努力をしなければならない責任がある、と。 だからエレンにとってはこのパーティーの間さえ、学ばないことが歯がゆくてたまらないのだ。 ちなみに先ほど挨拶に来た令嬢たちの名を、エレンは1つも覚えていない。 興味がないのだ。もし学ぶために本を持ってきたり、あるいはエレンの父親にもっともらしい意見をのべる人などがいれば別かもしれないが。 「ふう… 」 ため息をつき、読みかけの資料に目を通す。次の研究は、どんな実験道具を用い、どんな結果を目指そうか。 臨床実習の復習もしなければ。午前中にみた、有名な教授のオペは圧巻であった。思い出すだけでニヤついてしまう自分が少し変なのはわかっているが、1人なので関係ない。 「エレン様。」 しばらくして、部屋の外から呼ぶ声が聞こえた。だれだろう、と思いつつ扉を開ける。 「…ジェシカ?どうしたの?」 「パーティーがそろそろ終わります。流石にエレン様を抜いて終わるわけには行きませんので、お父様が呼んでくるようにと。」 「そっか、今いくね。父様の秘書で忙しいのに、手間かけさせてごめん。」 「いいえ。これも仕事のうちですから。」 ジェシカは父の秘書で、βの女性だ。父の秘書は4人いて、そのうち女性は1人だけ。立ち振る舞いが美しく気品があり、αと言っても誰も疑わないだろう。 ジェシカの後に続いて会場へ向かう。彼女が歩くとエレンと同じ栗色の長い髪がさらりと揺れて、エレンはついついその動きを目で追ってしまった。 第一ボタンまできっちり締められたシャツに、パンツスーツ。むしろイケメンとでも言うべき姿なのに、彼女はなぜだか色気がある。 「先ほどは何を?」 「…実は、免疫学の本を読んでた。父様には秘密にしてほしい。体調が悪かったって言っておいて。」 「承知しました。 しかしまた難しいものを…。あまり頑張りすぎないでくださいね。13歳なんて、まだまだ遊び盛りですから。」 「うん…」 まだ、13歳。その言葉がすこし胸に引っかかる。そう、エレンはまだ、13歳なのだ。 どんなに背伸びをしても、政界に入れるのはあと12年も先のことで。 「そんな顔しないでください。大人になんて、急がずともなれるものです。大人にしかできないことがあるように、子供にしかできないこともありますよ。」 「子供にしか、できないこと…?」 エレンは首を傾げる。子供というのはまだまだ未熟で、大人の劣化版のような気がしてならなかったからだ。 「やりたいことをすればいいのですよ。」 彼女はふわりと微笑んで言ったが、やはりエレンにはよくわからなかった。やりたいことは、勉強くらいで、それ以外のことを、そもそもエレンは知らない。 そうこうはなしているうちにパーティー会場について、ドアを開ければ多くの視線が一気にエレンの方を向いた。 その中の1人が、堂々とエレンの方に歩んでくる。 「エレン、体調は大丈夫か。」 「ええ、お父様。すこし休んだら良くなりましたので。」 エレンの父親、アレク。つまりこの世界の現総理大臣だ。エレンと同じ金色の瞳は穏やかに細められている。 「いつもはなかなか時間を取れないからな、今日くらいはゆっくりどこかでディナーとでも思ったが、なかなかそうもいかなくてな。 すこし話がある。誕生祝いについてだ。パーティーが終わったら、私の部屋においで。」 「ありがとうございます。お父様」 「父親としてこのくらいはさせてくれ。」 アレクは申し訳なさそうに笑う。その表情はこの国を筆頭になって導く者の表情とは違う、優しい父の顔だった。 「本日は息子を祝っていただき、皆ありがとう。まだまだ楽しみたいところだが、明日もあるだろう。本日はこの辺で、閉じさせていただこう。」 マイクを持ったアレクがそう言うと、やがて話し声が落ち着き、ひとり、また1人と参加者が帰っていった。 一緒に最後まで彼らを見送って、エレンたちもその場を後にする。 「最近調子はどうだ?」 「概ね計画通りに進んでいます。」 「そうか、エレンの計画をそれ通りに進めるのは、とても難しいことだろう。君は努力家だな。」 「そんな。…お父様に近づくためです。」 尊敬している人物に褒められたことが嬉しくて、自然と顔が赤くなる。しかしアレクはエレンの頭をぽんぽんと叩くと、すこし寂しそうに笑った。 「私はそんなに立派なやつじゃない。エレンくらいの頃は授業をサボったり、官邸を1人で抜け出したり、無茶をしたものだ。」 「お父様にも、そんなことが?」 「そうだ、だから君は、もう少し遊んで、寄り道してもいい。」 「先程ジェシカにも似たようなことを言われた気がします。」 「エレンの姿を見ていれば、誰だってそう思うだろう。君は、自分が思っているよりずっと、頑張っている。 だから今年の誕生日は、難しい本はやめたんだ。ああ、君、ここまででいい。」 「ですがお客様が… 」 「いいから。」 アレクが何度か部屋の中での警護を断り、警護人が渋々その場を立ち去る。 「エレン、おいで。」 アレクの部屋の中に入ると、誰か違う人の気配がした。

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