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第10話

「お帰り、ヨルっ!」 1週間の休みを経てヒートも無事終わりエレンの元へ帰ってくると、人目もはばからずエレンは、ヨルに駆け寄りぎゅっと抱きついてきた。 「エレンさん、もう15だというのに、そんなに甘えたではヨルさんが困ってしまいますよ。」 「ご、ごめん、つい…。 嫌だった?」 「嬉しいよ。」 注意されてしぶしぶヨルから離れても、結局甘えたな様子はかわらずに大変可愛らしい。横で見ているジェシカは頭を抱えているが、その愛らしい問いかけを無視する非情さは持ち合わせていない。 "もし、告白されたらどうするんだ?" 休暇中ヴィクターに言われた言葉が頭をよぎり少しぎくりとしたが、絶対にそんなことはないのですぐに落ち着く。 「今日は久しぶりだから休みを取ったんだ。部屋でゆっくりしよう?」 「ああ、それもいいな。」 キラキラと目を輝かせたエレンはどう見ても15歳に見えない。見た目はせいぜい13かそこらだ。 中身はあんなに大人なのに。…まあそれはヨルの前以外での話だが。 「リサに教えてもらって、クッキーを焼いたんだ。一緒に食べてくれる?」 「もちろん。すごいな、手作りしたのか?」 「うんっ!」 いつもだったら多少は気にするジェシカの目も気にせず、手などをつないで引っ張ってくる。やけにテンションの高いエレンを不思議に思いながら、手を引かれるまま歩いた。 「何かあったのか?」 「… 」 先ほどまであんなに騒いでいたエレンがすっかり黙ってしまった。 問いかけにも返答せず黙々と準備を進める様子が、さらに不安を煽る。 「…はい、これ… 」 ようやく口を開いたのは、コーヒーと可愛らしい型抜きクッキーを差し出す時だった。それでもなんとなくよそよそしい。先ほどの子供っぽさはどこへ行ってしまったのだろう。 「…どう?」 「美味しいよ。…それで、どうしたんだ?」 クッキーを一口かじると、甘さと香ばしさが一気に口中に広がった。焼きたての菓子特有の芳醇な香り。 しかしそれよりまず、気になるのはエレンの様子だ。 再度問いかけると、エレンは気まずそうに目をそらしながら、コーヒーを含んだ。 初めて会った時は飲めなかったものを、平気な顔して飲んでいる。その光景に、彼と会ってから経過した時間を感じた。 ちなみに飲めるようになった理由は、論文の締め切りに追われたとき眠らないようにと常飲していたかららしい。 そんなに言いにくいことなのだろうか。エレンは何か言いたげに口をもごもごと動かし、そして結局口を開かない、というのを繰り返している。 「なんだ、休みの間に何かあったのか?」 うつむいた頭を撫で、柔らかい頬に触れる。するとようやく彼は口を開いた。 「…き、なんだ…。」 ただでさえ小さい声が、途切れ途切れでよく聞こえない。 「ん?き?」 「ヨルのことが好きなんだっ!!」 「!?」 言われて、変な声が出そうになった。まさかヴィクターの言ったことが事実になったというのか。しかも言われたそのタイミングで。 絶対ない。多分あれだ。いつものありがとうをちょっと違う形で伝えてくれただけだ。 「俺も好きだよ。」 そう返すと、エレンはわずかに首を横に振った。爪痕がつくのではないかというほど固く握り締められた手は、小刻みに震えている。 「…ヨルのとは多分違う…。れ、恋愛的な意味のっ… 」 「… 」 一瞬、頭が真っ白になった。 少しして嬉しい、という感情が先立って、このままΩであることを隠したまま付き合うのも悪くないと思った。愛おしい、抱きしめたいと。 そして後を追うように、だめだ、という声が脳にこだまする。まるで、波乗りを追いかけるように立つ大波のように。 なぜなら付き合い続ければΩだということなどいつかバレる。その時エレンは、苦しむだけだ。 けれど、どうすればいい。俺も好きだよ、でも付き合えないよ、なんて言えない。 「どうすればいいかわからないんだ。どうせダメならいっそ手酷く振って欲しい。 …ねえ、どうしてヨルはこんなにいい匂いがするの…?」 椅子から立ち上がりすがるようにして背中から抱きついてきたエレンを、ヨルは反射的に突き飛ばした。 弱くソファーに叩きつけられたエレンは、苦しそうな顔をする。 反射的に力を加減できたのは、ヨルのどこかで理性が働いたせいだろう。 彼が抱きついてきた、その触れた場所から、身体が熱をもったのだ。ヒートはつい最近終わったはずなのに、いきなり全身が熱を帯びて。 「エレン、俺から距離をおけ。」 気づいた時にはもう遅く、エレンはヒートに当てられて顔を赤くしていた。 「嫌だ、近づきたい。」 どうすればいい。必死に考えた。このまま彼に触れて仕舞えば、きっとそのまま本能的に自分たちは性行為に及ぶだろう。 もしそうなれば、取り返しがつかない。この国でαは、Ωはαを脅かす卑しい存在だ、と教育を受ける。エレンも例にもれないだろう。 幼少期から当たり前のように刷り込まれてきたことなのだから、当たり前にその考えは定着しているはずだ。 そんな中で自分がΩと行為に及んだなどと知ったら、絶望で彼が壊れてしまう。 「俺はΩだ。だから一緒にいられない。」 エレンに向けて、静かにそう吐き捨てた。一瞬彼が怯んだ隙に、バスルームに移動して鍵をかける。 「俺が今接触したら、周りのαに迷惑がかかる。この扉を開けずに、ジェシカさんを呼んでくれ。βなら大丈夫なはずだ。」 エレンのいる方に向かって言ってみる。聞いているかわからなかったが、ガチャリとドアの開く音がしたから、おそらく聞いてくれたのだろうと安心した。 それと同時に、今度は、Ωだ、と言われた時のエレンの表情を思い出す。 なんと言っていいかわからない、という表情をしていた。驚いたのと、混乱したのと、辛いのと、そのほかにも色々な思考が巡ったのだろう。 仕方ないことなのだ。エレンは悪くない。誰も悪くない。 何か悪いとしたら、ヨルがこの国に生まれたしまったことと、この国でエレンと出会ってしまったことだろう。 それでも少し寂しかった。きっともう一緒にはいられない。 …エレンのことが大好きだからこそ、その行く先を自分が阻みたくないから。 「さよなら。」 小さく呟いたさよならは、バスルームにこだまして、そして消えた。

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