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第8話 抱擁と抱接

 二階の寝室に、日暮れの光と夕闇が混ざり合っている。 白い布に覆われた緑のシーツの真ん中で、風呂上りの男と待ちわびた年下の男が、抱きあったままじっとしていた。 梶原を包むバスローブはふっくらとタオルのようで、その背中を撫で上げると指がパイルに沈んで背骨を遠くに感じる。 茶色い髪の隙間にのぞく肌はほんのりと赤く、甘い匂いがゆらゆらと早瀬の鼻先をくすぐっている。 緊張しているのだろう。 ドキドキと早鐘を打つような心臓の鼓動が、早瀬の胸に布越しに響いてくる。 その何もかもが、熱烈に早瀬を誘惑する。  それにしても、初々しい。 自分の”初めて”は、どんな風だったろうと、早瀬は少し記憶をさかのぼる。 ガチガチに緊張していたことは確かだ。 でも、それを凌駕する好奇心と欲情と生意気な気持ちが、荒っぽい情事をやり通すエネルギーだった。 顔も覚えていないけれど、あの時の男はさぞやつまらなかったことだろう。 今、腕の中にいる人から感じるのは、もっと繊細で柔らかな寄り添う気持ちだ。 「しのぶさん」 早瀬は、その名を呼びながら、ゆっくりと少し湿った髪を撫でてみた。 耳元で小さな吐息が聞こえて、ふっと力が抜けたと思うと、早瀬の肩に頭を持たせかけるように体を預けてきた。 その素直な動きに、こうやってくっついているだけでも幸せなんじゃないかと思い始めていたら、淡い抗議の声が聞こえてきた。 「……はやせ、どう、したら」 「は、はい。あの……」 問われて慌てて、丸い頬に手を伸ばす。ゆっくりと持ち上げるようにすると、濡れた目元が早瀬の欲を煽る。 「……ああ、しのぶさん、可愛い」 感に堪えないと、早瀬が呟く。 やっぱり、何もしないなんて、できっこない。 梶原を映す目は細く眇められて、唇が、目の前の鼻の先や額にマーキングのように触れていく。 「すっごい、ドキドキします。白くて、フワフワで、すべすべで、色っぽくて可愛い」 言われて照れたのか、梶原はすっと目を伏せた。 伏せた目を上げるタイミングを逃している合間にも、早瀬は、甘やかにかき口説くように言葉を重ねて、キスを重ねる。 それは、本当に嬉しいことだけれど、梶原には、事に踏み切る前に、言っておかなければいけないことがあった。 「早瀬……あの」 なあに?と動きを止めた早瀬は、梶原の言葉を聞こうと目を合わせる。 「僕は……僕は、何も知らないわけじゃないけど、やったことはないんだ。質の悪い耳年増といっていい。だから、できたら君に任せたい。おかしなところがあれば、言ってほしい。それから……それから、ジェルとか、ゴムはここに……」 慌ててベッドサイドの引き出しを開けようとした手を、早瀬は緩やかに掴んだ。 「忍さん。ゆっくり、しましょう?」 そのまま、腕を引いて抱き寄せると、慎重に眼鏡をはずした。 「ゆっ……くり?」 「はい。いっぱいくっついて、触って、気持ちよくなりましょう。ね?」 梶原は、言葉の意味を推し量りながら、それでも大きく頷いた。 その様が愛らしくて、早瀬はぽってりとした唇を親指でなぞる。 応えるように、バスローブの袖からのぞいた指が、早瀬の口元の黒子をなでる。 鼻がくっつきそうな至近距離で見つめ合って、どちらからともなく唇を合わせた。 「んんぅん……」 梶原の甘い息が、鼻声になって早瀬の耳をくすぐる。 スイッチが、入った。 早瀬は、梶原の腰を強く抱き寄せて、首から後ろ頭を大きく手のひらで支える。 上から圧し掛かるようにキスをすれば、梶原はその背中をしならせながら、離れまいと早瀬の肩にしがみつく。 そのまま、ゆっくりとベッドに押し倒せば、真っ白なバスローブの襟元がゆるむ。 早瀬は、唇で頬や額に繰り返しふれながら、魅惑的な襟元に手を差し入れる。 すると、キスでとろんとしていた梶原の目が、また理性を取り戻す。 ゆっくりと、じっくりと。何度でも。 梶原の目が、とろりと濡れたままになるように。 早瀬は、一度上体を起こして、シャツのボタンを二、三個はずすと、頭からずぼっと脱ぎ捨てた。 困った顔でそれを見つめる梶原は、何かをこらえるように膝をこすり合わせている。 「足、見せてね」 分厚い手が、バスローブの合わせ目に差し込まれて、大きく布を開く。 予想通り、手入れの行き届いた白い足が伸びる。 その足を舐めるように見つめて、膝を撫でる。 「あ、あの」 なに?と目を合わせれば、梶原は情けなさそうに眉を下げて、何か言おうとしている。 早瀬は、言葉を聞こうと顔を寄せた。 「どうしたの?」 「君、も、脱いで」 つるりとした爪の先が、早瀬の腹筋をなぞり下ろす。 「なんか、見られるのって恥ずかしいね」 早瀬は、苦笑いをしながらボトムを下着ごと脱いだ。 「あ……」 顕わになった熱の塊に、梶原は自分の腹の奥が熱くなるのを感じる。 「こわい?」 フルフルと頭を左右にふって、梶原はその熱に手を伸ばす。 「こんな……?僕で?」 「そう、なんだけど、触っちゃだめです。すぐに入れたくなっちゃう」 早瀬の揶揄うような言葉に、梶原はあっとすぐに手を離す。 「俺にも、見せて」 梶原の返事は待たずに、バスローブの紐を解く。目の前に晒された体は、細身で、少し骨ばったがっしりした男のものだ。 「かっこいいね、しのぶさん……それに、きれい」 そんなの嘘だという苦情は聞き流して、バスローブの袖を腕から抜きながら脇を撫でる。背中からバスローブ全部を抜き取りながら、さらりと足の付け根も撫でていく。 どちらの毛も短く整えられていて、その奥の柔らかな素肌がのぞく。 「下着は、ベッドでは、つけないんだ」 「最高」 早瀬は、梶原の体全部を抱きしめて、首や鎖骨、肩の先へと強く口づけた。 梶原も、圧し掛かる背中を抱き寄せて、梶原の指は肩甲骨や背骨をなぞる。 この、分厚くて重い体が気持ちいい。 自分との行為を前に、大きくなった熱塊が愛おしい。 この先どうなってしまうのだろうと思っていると、予想外の刺激に体がはねた。 見れば、早瀬の唇が自分の胸の先を咥えている。 「なっ、なんでっそこ……っ……んんっ」 「気持ちよく、なれそうだね」 にやりと笑いながら、片方の手で熱くなったものをぎゅっと握られる。 ……ああ、そ、れ 梶原は、待ち焦がれた刺激に目まいがしそうで、ぎゅっと目をつぶる。 あまりにも長く、自分の手だけが触れてきた体に、早瀬の指と舌先が触れる。知らなかった感覚に、まるで触覚と痛覚が何倍にも増えたような気さえする。 胸の先の小さな塊は、甘やかされて緩んでじんじん痺れるようだ。 「……っあっんっっそ、れ、や」 「これ、ね」 早瀬は、わかっているよと小さく笑って、乳首を柔らかく口に含んで、先を舌で撫でる。 嫌じゃないのに、梶原の口からは「や」という平仮名が、ぽろぽろとこぼれ続ける。そして、その「や」を打ち消すように、腰が揺れる。 素肌を重ね合わせたら、こんなにもじっとしていられないものだったのか。 梶原は、知らなかった感覚が目覚めることに、驚いてばかりだ。 そして、驚きの後ろから、気持ち良さと嬉しさが体中を駆け巡る。恐れにも似た羞恥の気持ちは、どこかへ弾き飛ばされてしまった。 だから。 だから? そう。だから、好きな男の手で開かれていく自分に、没頭した。 「ああ、あ、ね、うそ、ね、はや、せ、ね、ああ、んんんん」 言葉にならない言葉を溢れさせながら、梶原は早瀬を見上げる。 「気持ちいい?」 「わか……んない」 眉を八の字にさげて、潤んだ目で早瀬を見つめ、両手で首を抱き寄せる。 「すげー、可愛いよ、しのぶさん」 返事はなくて、梶原は早瀬に深くキスをする。舌をさしいれながら、熱く硬くなった自分を早瀬の腹にこすりつける。 ああ、もっと。もっと、もっと触ってほしい。 大丈夫だと言ったことを、証明してほしい。この先、自分がどれほど乱れても、君は喜んでくれると確信させてほしい。 早瀬は、梶原の舌を味わいながら、彼の熱を握りしめて先端を親指でくちゅくちゅと弄りはじめた。 その刺激に、梶原の喉奥が鳴る。 溢れた唾液と一緒に梶原の唇をじゅっと吸い上げて、早瀬はキスをほどいた。 「全部、してあげる」 仰向けの梶原の体を横に倒して、早瀬はやっとジェルを手にとった。 ……とうとう触られてしまう。 混乱と快感に痺れた頭は、うまく働かない。 それでも、ジェルを手にとる音を聞けば、やはり梶原の体に緊張が走る。 一方、早瀬はと言えば、一つ一つに敏感に反応しながらも、体が強張る様を可愛らしいと思う。 あまり、酷くいやらしくなりすぎないようにと、自制しながらジェルを塗りこめていく。 「痛かったら、言ってね」 「……大丈夫」 「うん。無理しないで」 また体の力が抜けてきたところで、入り口の周囲を撫でていた指を縁にそって差し入れる。 「う……そ、自分で、してきた?」 質問形式をとってはいるが、質問ではない。 答はなくても、分かっている。梶原が、何をしてきたのかを想像して、早瀬の腹の奥には凶暴な熱情が滾って仕方がない。 走り出しそうな気持ちを散らすように、数回息を吐いた。 「色々知ってると、いいことあるね」 揶揄うように囁きながら、指をためらいなく増やしていく。 「んん……よくないよ。一人が、長すぎた……だけ」 「そう?」 早瀬の指が更に増やされて、広げられた入り口がみしりと指を締め付ける。 そのままゆっくりと指が動き始めて、出し入れされながらもバラバラに内壁を圧迫していく。 「や、や、ああああ、そん、な、ああああ、そこ、そこ、んんんんっ」 梶原が、あられもない声をあげる。待ってましたとばかりに、早瀬がその場所ばかりをぐりぐりと押した。 自分でしてる時には、こんな事はなかったのに、こんな場所は、なかったのに。どうして。なんで。 梶原の感覚は、梶原の知らない自分を生み出していく。 まるで違う体になってしまったかのように、快感にびくびくと跳ね、たっぷり滴をこぼしてしまう。 逃げたいような、もっとしてほしいような。 どっちつかずの心は、体の快感に負けてしまったようだ。 横向きだったはずの体は、いつの間にかうつ伏せになって、触ってもらいやすい位置を探してうずうずと動く。 「よく、見せてね」 早瀬は、一度指を抜いて、梶原の腰を高く持ち上げて、足を開いて四つ這いにさせた。 こんな姿勢もしたことがない。 きっと、緩んだ入り口はジェルでてらてらと光り、空白を埋めてほしいとパクパクと蠢いているに違いない。 首をひねって背後を見れば、早瀬の目が自分を見つめ、早瀬の手が早瀬自身を強く握っている。 「それ、ね、それ、入れて。ここ、ほっとかないで」 切なく声をあげ、腰を軽く揺すれば、早瀬の両手がその腰を強く掴んだ。 ずる、ずると、入り口に充てた先端を滑らせるように、長い塊がこすりつけられる。 「んんんっん、お願い」 梶原は、足の間から片手を後ろに回して、早瀬の付け根をなぞりあげる。 「も、むり……!」 早瀬は、梶原の入り口をもう一度指で大きく開いてから、自身の先をあてがった。 ゆっくりと腰を押し出して、ぬぷりとくびれまで押し込む。 「力ぬいて……じょうず」 梶原が、大きく頷いてから細く息を吐くと、背中の強張りが緩んで腰から緊張が抜けた。 早瀬は、そのタイミングに合わせて、ゆっくりゆっくりと中に入っていった。 内臓の温かさ、まとわりつくジェル、蠢く内壁。 早瀬を受け入れたそこは、あつらえたようにその姿を変えて、全部を包み込んでしまった。 「すっげー、気持ちいい」 「はや、せ、あ……」 枕に押し当てていた額を持ち上げて、梶原が早瀬に向けて片手を伸ばす。 「怖い?」 その手をしっかりと握りながら、早瀬はもう片方の手で梶原の腿や背中を撫でる。 怖くないと頭を小さく腑って、梶原は小さく笑って顔をもとに戻した。 何か、伝えたいことがあるんだよな 早瀬は、押し込んだ自分を馴らすようにニ三度ゆすって、それから背中に覆いかぶさるようにして、耳元に顔を寄せた。 「どうしたの?何かあったら教えて?」 「これも、嫌じゃない、けど、君が、見えない」 「見えないの、いや?」 「ちゃんと、君だって、わかりたい」 早瀬は、梶原の頬にちゅっとキスをして、つながったまま体制を入れ替えた。 それすらも強い刺激になるのか、断続的に喉の奥から苦し気な声が漏れて、しかめられる眉頭が色っぽい。 「これで、いい?」 もう一度、顔を寄せて問いかけると、梶原はにっこりと笑って早瀬の首に縋りついた。 そのまま、ゆっくりと。時には強く、弱く。 二人は、揺れて、揺れて、果てた。 ☆ 「カエルが別のカエルに背中から抱き着いてるの、見た事ある?抱接っていうんだけど、あれ、交尾みたいで交尾じゃないんだよ。ただぎゅーーって雄が雌にだきついて、卵をゆっくり外に押し出して、そこに自分の精子をかける。所謂体外受精だね。そのために抱き着いてるんだけど、見てるこっちが照れるくらいに、ぎゅーって、ぎゅーって抱き着いてるんだよ。なんかさ、雌のことが好きで大事にしてるんだなって感じがする」 「今みたいな感じ?」 「そう」 早瀬は、梶原と並んで横になって、背中から腹に腕を廻して寄り添っていた。 「そんなに熱烈なのに、交尾じゃないのか」 「そういう体の作りに、まだなってないんだ。両棲類は古いんだろうね」 「生物学の世界では、性欲は否定されない、だっけ?」 「そう。あれは、救いだったな。相手もいないのに、やらしい妄想ばかりして一人でしてたから、罪悪感がすごくて」 皆同じだよと、早瀬が背中で笑いながら、梶原の髪を撫でる。 「そんな可愛いこと考えてたのかぁ。大人になる前に出会ってたら、俺が高校生くらいのしのぶさんに襲い掛かってたかも」 「何言ってるんだよ。その頃君は小学生だろ?そんなガキ、嫌だよ」 確かに。 笑いながらそう囁いて、早瀬は梶原の髪に鼻を潜り込ませる。 「ぎゅーってしていい?」 「いいよ。蛙より、もっと」 早瀬は、梶原の体を後ろから強く抱き寄せて、また反応し始めてきた熱を腿に押し付ける。 「はや、せ、こっち」 梶原は、その熱に手を添えて、内腿の間にさしはさむ。 「ここで、擦って」 「……っ!ほんっと……エロくて可愛い」 誘われた男は、目の前の耳たぶに軽く歯をたてて、ゆっくりと腰を動かし始めた。 濡れた内腿の間に挟まれて、熱が本格的にぶり返してくる。手が添えられて、先端を包まれて、まるで中に入れているようだ。 「しのぶ、さん、すっげー気持ち、いい、んんん」 「そのまま、動いて」 梶原の手が、硬く大きく育ったものを一緒に包んで、ごりごりと扱きあうのを助けている。 「ちょ、あ、だめ、だ、出ちゃう」 荒い息をつきながら、早瀬が辛うじて梶原の肩に手の平をあてて、なんとか自分の体を引きはがす 「……だめ?」 振り返りながら、流し目のような視線をよこす梶原は、その目元の色っぽさに気づいていない。 「そんな……ここ、汚せない、でしょ?ゴムしないと」 「あ……」 気が付かなかったと、恥ずかしそうに目を伏せる。その姿も、声も、何もかもが、早瀬を魅了してやまない。 「あああああ、もう、だめ、ね、もっかいさせて?痛くないように気を付ける、から」 「……うん」 小さく頷いて、梶原は早瀬の体に正面から抱き着いた。 すると、切羽詰まった声を出していた早瀬が、ふふふと小さく笑った。 「……何?」 「しのぶさん、何かあると俺の首にぎゅって捕まってくれるでしょ?可愛いなぁって」 「可愛くないよ」 「可愛いの」 いつものように反論しようとしたのに、梶原の言葉を封じるように早瀬が腰をぐいと突き出して、互いの熱がぶつけ合う。 濡れた塊は、互いの腹に糸を引きあって、滴を混ぜ合っている。 早瀬は、ゴムを二個手にとって、潤んだ目をした梶原に一つ渡した。 窓の外には、新月の暗闇が広がっていた。

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