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第23話
翌日、篠宮が呼んだ車に乗り俺らはどこかへと移動した。
車中では刺すように痛んだ尻に顔を歪めた俺を、途中から篠宮が膝の上に抱えていたのだが、運転手の人の気まずそうな顔が見えてしまい居た堪れなくて仕方がなかった。
ひたすらに意識を逸らそうと外に視線をやって1時間半ほど過ごした頃、車はいくつもの建物が並ぶ広大な敷地の中へと入っていった。
停まった車を降りてから勝手知ったる場所のように建物に向かっていく篠宮。
「ここは別企業が経営してたのを数年前にうちが事業ごと買い取ってね。バースの研究と製薬を行っているんだ。」
歩きながら篠宮は、バースに関しての薬の種類が少ないことや効能がまだ不充分であることからバースについての研究、新薬開発はこれからもっと大きな市場を生み出していくだろうことを伝えてきた。
「バースとは何なのか。そういうのも研究してるんだけど、そんな中で俺が今1番注目してる研究がこれ。」
篠宮はそう言って、ある一室の扉を開いた。
そこにはパソコンに向かい何かを打ち込む人々の姿。その向こう、ガラスを隔てて奥にある部屋では衛生服姿の研究員らしき人たちが大小様々な器具を扱っていた。
初めて見る本格的な研究所の雰囲気に俺はキョロキョロと視線を動かしっぱなしだ。
「ここは各バースの違いが生まれる仕組みを研究してるんだよ。」
篠宮の説明に感心したように頷く。
確かに人類、特に男性は第二次性徴期を迎えるまでは全員が同じ体なのにそこからΩだけが子供を妊娠できる体へと変化していく。
それはとても不思議な事だったのでメカニズムを明らかにすることは有意義なことに思えた。
「───後天的にバースを入れ替えるために。」
篠宮がそう言うまでは。
言われた言葉に反応して動かしていた視線を止めて篠宮を見る。
「バースを…入れ替え……?」
大きく脈を打った心臓に押し出されて出てきたようなひどく震えた声に、自分でもなんとなく驚く。
「そう。αをΩやβに。Ωをαやβに。そしてβをαやΩに。そうやって今あるバースを入れ替える研究。」
最後のΩだけが、やけにゆっくり、はっきりと耳に届いた。
何を言っているのか理解できないのはきっと、言葉が理解できないからじゃない。
「研究はもう9割方完成してるんだけど…それでも実用までは最低でもあと10年は必要っていう見通しなんだ。」
視線を落として浮かべたのは悲しそうに曇った表情。
「でも佐伯も、時間が必要なことは理解してくれたよね?」
次いで浮かべたのは満面の笑み。
以前に篠宮の部屋で交わした言葉が脳裏を過ぎって、喉を締められている訳でもないのに苦しくなっていく呼吸に、何も言えないまま死にかけの金魚みたいに口をゆっくり開いては閉じる。
「っ…!待って…。聞いてない…。そんな…。」
「ごめんね。やっぱ10年は長いよね…。けど佐伯が不安になりそうな時はまた項を噛んであげるから。」
動けずにいる俺の首に、ひやり、と篠宮の指が触れ、そのまま項へと向かう。
「俺の番は、佐伯だけだよ。」
篠宮の言葉に反応するように以前噛まれた箇所がズキズキと途端に痛みだす。逃れられない、逃がさないと、言われている気分だ。
また言葉を失ってしまった俺の前で、篠宮は瞳の奥に何か暗いものを携えてずっと微笑んでいる。
「凄いでしょう?この研究、これは俺たちが産まれるより前から研究されてきたんだよ。それをうちの会社が買い取った。俺と佐伯が出会うより前に。そしてもうすぐ完成しようとしてる。」
優しく項を撫でるように何度も指を往復させながら、熱の篭った声で語る篠宮。
俺の心臓は痛いくらいに鼓動して血液を送り出しているというのに、指先はどんどんと冷えていき遂に震えだす。
「ねぇ?これを運命って言わないで何て言うの?」
ここに入った時には多くの研究員の人たちの姿が見えていたはずなのに、今は誰の姿も見えない。
視界が、ただ暗く、闇の中へと沈んでいく。
「俺たちが出会うより前に俺たちが愛し合って、こうしてバースに手を加えようとすることは決まっていたんだ。」
ただ1人。微笑む篠宮の姿を残して。
ねぇ、佐伯。
愛してるよ。
篠宮が首に這わした指を支点に、俺を引き寄せ囁いた。
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