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可愛いあの子[4]

 地区予選当日、俺は本当に悠君が来てくれるかと少しそわそわしていた。  場所とか時間とかの詳細な情報を伝えたいから連絡先を教えてくれないかと聞いたが、呆気なく根津に防がれた。結局、根津が日辻に詳細を聞いて、連れて来てくれることになったらしい。根津からは一応本当に行くかはわからないから、と事前に忠告を受けていた。慣れない場所に行くのも、人が多く集まるところも悠君が苦手だからということらしい。  今日の俺は昼ごろの100mの予選と決勝だけの予定だ。予選と決勝の間が二時間くらい空くから、決勝の予定時間の少し前位に来てくれると嬉しいと伝えてある。これで予選敗退していたら滅茶苦茶に恥ずかしいから、いつもならやや流しがちな予選の一本も思いっきり全力で走った。問題なく組一位で通過してちょっとホッとしている。  決勝に向けて入念なウォームアップをしていると、あちらこちらで忙しそうに働いていた日辻が寄ってきた。 「調子はどう?この時間帯だと昼飯は食べられないけど、ゼリー飲料とかちゃんととっといたか?バナナもあるけど」 「大丈夫。ちゃんとエネルギー補給してマス」 「マッサージは?」 「今は大丈夫そう」 「そう?じゃまた。頑張って」 「おう」  あ、悠君のこと聞き忘れたと思ったけど、俺よりはるかに忙しそうな日辻に聞くのも悪いかと思い直す。  陸上はトラックとフィールド同時に各種目が進行していくからマネージャーの仕事量は大変なものになる。今年の三年にマネージャーがいないから、日辻が出場しなかったり時間の空いている部員に指示して仕事を振り分けてもいた。本当によく働くな、陸上好きなんだなと感心する。  俺が記録を伸ばしたりした時一番喜んでくれるのも日辻だ。あんな優秀なマネージャがついてくれただけでも、この学校でラッキーだったなと思う。  やがて時間になって本トラックに向かう。  少し前までは悠君来てくれてるかなとか考えていたけれど、まっすぐに伸びたレーンに立つともうそんな思考も何もかも飛んで行った。  ピストルがなって、極限まで高めた緊張感を一気に開放する。  走る。ただ走る。  終わってしまうとほんの一瞬。  けれど、その一瞬が味わえるのはここ、競技のトラックだけなんだ。  走り終えて、息を切らしながら順位とタイムを確認する。  ある程度納得のいく走りが出来たけど、次はもっと出来るという欲もまた強くなる。 「お疲れ」  ジャージとボトルを抱えて日辻がやってきた。 「サンキュ」 「まあまあ出たじゃん」 「おう。でもベストじゃない」 「都大会で出せばいい。馬場ならできるよ」 「そうだな」  誰よりもそばで支えてくれる日辻の言葉は力強かった。 「今日は馬場はこれで終わりだな。ダウンして少し休んだらこっち手伝って」 「わかった。あ、悠君って結局来てくれたか知ってる?」  日辻は少し苦い顔をした。根津ほどではないけど、日辻も俺が悠君に関わるのにあまりいい顔をしない。 「来てたよ。連絡もあった」 「本当⁉嬉しい」 「スタンドの方に歩といると思う」 「俺、ちょっと行ってくる」 「ちゃんとクールダウンしてから行けよ」 「いや、でも悪いし……」 「そういうのおろそかにするのが一番の怪我のもとなんだからな」 「はい。ワカリマシタ」 「……ったく。連絡しておいてやるから」 「まじで?よろしく。んじゃ行くわ」 「ちゃんとやれよ」  きちんと、しかし手早くクールダウンしてから、スタンドの方にまわって悠君を探す。  そんな俺を見つけたらしい悠君がこっちに向かって走って来ようとしている。え、嬉しい……と思ってる間に、悠君は隣の根津につかまれて止められていた。また妨害されるのかと思いながら近づいていくと、根津の怒った声が聞こえてきた。 「だからこんなところでコケたら、下手したら下まで転げ落ちてくよ!階段で走っちゃ駄目だろ!」  おう、おっしゃる通りだよママ、と思った俺は脚を緩めて歩いて最後の距離を詰めに行った。だがしっかりと根津の視界に捉えられていたらしい。 「アンタも!階段駆け上がんな。」 「ハイ」 「こんな所じゃ人を巻き込みかねないんだからな。それに悠もつられるし、悪影響だ。アンタ一人の怪我ならどうでもいいけどーー」 「どうでもよくない!」 「悠?」 「悠君?」  根津ママの説教を遮って悠くんが声をあげた。俯きがちな普段と違い、ぐっと俺を見上げているせいで、興奮していきいきした表情がばっちり晒されている。目がきらきらしていて本当に可愛い。 「すごかった!走るの!速くてビックリした」 「本当?!」 「うん。今日ここで見てて確かに跳んだり投げたり、同じ高校生なのにこんなに出来るんだスゲェって思ったけど、馬場が走ってるのが一番すごいって思った」 「え?めっちゃ嬉しい」 「だから怪我しちゃ駄目」 「うん。気を付ける」 「いや、真っ先に駆け出した悠が言うなよ……」  呆れたように言うものの、気が削がれたのか根津は説教を再開しようとはしなかった。 「まあ正直、僕もちょっと驚いた。真剣に陸上やってんだなってのは見てて良くわかった」 「根津……」 「悠追いかけ回すだけの頭軽い馬鹿としか思ってなかったけど」 「……。俺の評価低すぎない?!」 「ま、何にせよ、きちんと向き合って頑張れる奴ってのはすごいと思うよ」  ママにも誉められた!俺陸上頑張ってて良かった! 「で、では悠君との……」 「それとこれとは別問題」  撃沈。いつもながら手強いぜ……。 「それでこれでインターハイ行けるの?」  悠君がわくわくしながら聞いてくる。 「いやいやまだまだ。今日のは地区予選で今度都大会があって、そこで六位に入れば南関東のブロック大会に行けて、そんでまたそこで六位に入らないと行けないの」 「なかなか長い道のりだな」 「去年はブロックにも行けなかった。今年は少なくともそこまでは行きたいな」 「あんなに速いのに?」 「う~ん。まあ俺はそこそこ速い方だと思うけど、上には上が山程いるからなぁ。今日のタイムだってこの地区一位にはなれなかったし」 「そうなの?!一番だったじゃん」 「地区予選の決勝じゃ明確な順位決めはしないからね、その上に行けるかどうか順位と補足タイムで切るだけで。だから一緒に走ってないから何とも言えないけど、今日のタイムだけなら俺は二位だよ」 「そうなんだ」  ちょっとしょぼんとした悠君が可愛い。 「今日見ててどうだった?」 「すっげぇ楽しかったよ」 「良かった。都大会だと最後まで順位決める本当の決勝があるからさ、良かったらまた来てよ。悠君が来てると思うといつもよりもっと力湧いてくるよ。好きな子に見てもらえるってすごい嬉しいね」 「!」  悠君の顔がぼっと赤くなった。その横で根津が苦虫を百匹くらい噛み潰した様な顔をした。 「そういう台詞をさらっと言えちゃうところが信用出来ないんだよ!」 「え?!本心そのまま言ってるだけなのに!理不尽!」 「タラシ!!」 「え?俺が誑し込みたいのは悠君だけだから問題ない」 「問題ある!」  なんかまたここ最近の空気になってきたぞ?せっかく悠君がいっぱい喋ってくれるようになったのに。根津と言い合って肝心の悠君と喋れないなんて本末転倒だ。 「悠君、今日は来てくれて本当にありがとう」 「あ、あのさ……」 「うん?」  悠君は何か言いたいことがあるようで、少し俯いてもじもじしている。俺が少し屈んで目線を合わせると、真っ赤な顔をした悠君がぽつりと言った。 「……悠」 「悠君?」 「ゆう!」  やり取りを見ていた根津がため息をつきながら言う。 「悠君じゃなくて悠って呼べだって」 「呼び捨てでいいの?」  コクッと頷いた悠君――悠にじっと見上げられて、思わず熱が上がりそうな身体を必死になだめる 「ありがとう、悠」  見合わせた顔が真っ赤になっていくのが可愛すぎて、正直しんどい。我慢、がまん~と言い聞かせてるうちに、悠も限界を迎えたらしくビクッと飛び退いてからまた保護者の背中に引っ付いてしまった。その保護者が小さい声で、もうやだやってらんない……と口にしたのは聞こえなかったことにしとこう。 「じゃ俺、そろそろ行くね。根津もありがとう。良かったらまだやってる他の競技も見ていって」 「うん。馬場は明日もあるんだろ?明日は俺ら来れないけどまあ満足いく結果出せるといいな」 「ありがとう」    またね、と言い残してその場を去ろうとした俺に悠の声がかかる。 「大樹!!」  大樹って!俺の名前ちゃんと覚えててくれた!呼んでくれた!!  びっくりしながら高速で振り返る。 「またな」  満面の笑顔で手を振ってる悠は可愛すぎた。  天使か!!

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