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可愛いあの子[5]
「サッカー?」
昼休み、いつもの様にC組まで出掛けて悠達と食べていると、全く想像もつかなかった単語が飛んだ。
地区予選の日からは悠と自然に会話できるようになった。時々、俺の言うことで真っ赤になって俯いたりすることはあるけど。そういう時の悠はもう本当に可愛くて可愛くて、思わずニヤニヤしてしまう。けれどその横で大抵根津が般若みたいな顔していたり、苦り切ってしかめていたり、はたまた半眼の無表情で遠くを見つめてたりするものだから、一生懸命顔を繕う努力をする。そんな俺に対して根津はタラシ、変態、むっつりと言いたい放題のままだから、何の意味もない努力かもしれない。
「そう。アンタの大会見に行って、生で観戦するのが楽しかったみたい。もともとテレビとかで見るのが好きだったサッカーを生で見てみたくなったんだってさ」
「え、なんか嬉しいなそれ」
「嬉しい?」
「え、だって俺を見て、今まで踏み出せなかったところに行ってみたいって思ったってことでしょ?そんなん普通に嬉しいよ。ましてやそれが悠ならなおさら」
「……大樹は似合わないって言わないんだな」
「似合わないって何が?悠はサッカー好きなんだろ?いいじゃんいいじゃん」
そういうと悠ははにかんだように笑って、こくりと大きく頷いた。
「サッカー部知り合いいたな……。練習試合とかあんのかな?聞いてみる?」
「うーん」
行きたいと言ってるわりにあんまり乗り気ではなさそうだ。他の高校?あ、高校とかじゃなくてもしかしてプロか!
「Jリーグ?」
そう聞くと悠はバッとこっちを見て大きく頷いた。
「そう!Jリーグとか見てみたい」
「代表戦とかも?」
「青のユニフォーム着たい!」
目を輝かせて期待に胸を膨らませた悠に、隣から冷や水がかかる。
「待って。悠は人混み苦手でしょ。サッカーの日本代表戦なんて観客何万人だよ。行き帰りの電車も満員電車だよ、多分」
「うぅ……」
悠がしゅるしゅると萎れてしまった。ここで力にならなくてはとスマホを鷲掴む。助けて!グーグル先生!
「でもさ、Jリーグなら行けるんじゃない?多分3部とかなら大した人数じゃないよ。まずはそういう所から行ってみたら?」
「J3?」
「ほら、こことかだったら行けるんじゃないかな?ちょうど今週の土曜の夕方に試合あるね」
「本当だ!」
悠が嬉しそうに笑う。最近は俺相手でも俯かないでまっすぐ見て喋ってくれるから、くるくる変わる表情がよく見えて嬉しい。
「これならどう?」
「ふーん。この路線から歩いていけて、観客の人数もこんなもんか。だったらまあ行けるかもね。でも土曜は僕用事あるなぁ。その次は?」
「えぇ~?残念。次、次…」
試合日程を検索している悠に、そろりと切り出してみる。
「あのさ、俺と行かない?今週は試合後だから、土曜の練習は午前だけなんだ」
「行く!」
「は?」
跳ねるように返ってきた悠の声とトゲが百本突き出たような根津の声が重なる。悠君の即答は嬉しいけど……。
「はい?悠何言ってんの?二人でなんて行かせるわけないでしょ」
だよねー。過保護ママが許すわけないよねー。
「やだ。大樹と行く」
「別に行かないって言ってないでしょ。また次にしようって言ってるだけなのに」
「でも次だと大樹は行けないじゃん」
「え?う、うん来週過ぎるとまた練習だけど。都大会も近いし……。っていうか、悠は俺と行きたいの?」
「うん、行きたい。」
え?まじで?
頭の中でファンファーレが鳴り響く。
「行こう。観戦デートしようね。俺が絶対に守るから」
思わず悠の手をとってきゅっと手を握りながらそう言うと、悠は二、三秒惚けた顔をしてから全面真っ赤になって突っ伏した。あー可愛い。
この幸せ過ぎる光景を、興奮しないようにしながらも思いっきり甘受していたが、そんなのを根津が見逃すはずもなく、繋いでいた方の腕を叩かれた。
「あぁー。いい加減アンタの言動には慣れたと思ってたのにまだまだだった。びっくりして反応も遅れたわ。あーもう、鳥肌立ってる。」
痒い痒いと繰り返す根津は失礼なことに両手で両腕を擦っている。そんなに変なことをしてるつもりはないんだけど。
「馬場くんってフランスの血筋入ってる?もしくは子どもの頃イタリアにいたとか」
いつも通りおっとりと見守っていた牛島にまでそんなことを尋ねられる。何故に地中海なんだ?
「いや、先祖代々日本人だしヨーロッパには行ったこともないけど?」
「先祖代々の日本生まれ日本育ちの男子高校生には、あんな台詞普通吐けないんだよ」
「いるんだねえ。天然でこういう人」
俺の言動はそんなに変だっただろうか?
「悠は俺にこういう風に言われるの嫌?」
そう聞くと悠は突っ伏した顔をあげて、俺と目を合わせた。まだ少し顔が赤くて、潤んだ目も可愛くて目の毒だ。
「悠が嫌だったら気をつける……んだけど、俺何が駄目なのかよくわかってないからなぁ。悠が好きだからそのまま行動してるだけで。でも悠に嫌な思いさせたいわけではないし」
「……ない」
「ん?」
「……嫌じゃない。大樹なら」
「本当?嬉しいな」
根津に叩かれて離してしまった手をもう一度、今度は両手で握り直した。
またすぐ叩かれるんだろうなと思って構えていたのに、根津からの攻撃はなかなか訪れなかった。不審に思って顔を向けると、苦いような泣きそうなような、それでいて少しほっとしたような、ものすごく奇妙で複雑な表情でこちらをじっと見ていた。
ああ、それだけずっと、根津は悠を必死に守って来たのか……。
思わず目を剥いてしまった俺に気付いた根津は、あぁー!と呻き声をあげながら頭をかきむしった後にキッと俺を睨み付けて早口で言った。
「わかった。取りあえず日曜は行っていいから、これ以上ここでそれを続けるな」
「え?!」
「歩、本当にいいの?」
「もういいよ。これ以上馬に蹴られたくないし」
「馬場だけに?」
「たっくん、それつまんない」
つまんないと言われた牛島は、にこにこ笑って根津の乱れた頭を撫でて整えた。
「ようやく観念したねえ。お疲れ様」
「もう、やめてよ。僕だってね、わかってんの。わかってたんだけどさ」
「うん。そうだね」
しばらく牛島に撫でられていた根津ははぁと大きなため息をついてから、何故か顔を叩いて姿勢を正す。
そして――
だからねと言ってこちらを見上げた根津は夜叉を背負っていた。
「責任持って、絶対に、何の間違いもなく、家に返すって、約束出来る?」
「します。約束します」
「絶対に、目を離すなよ。怪我させたり、危ない目になんか、合わせたら、もう、ずぅえっっったいに、二度と悠と、会わせないからな」
「ハイ。心得ております」
「言うまでもないけど、アンタの欲望のまま、同意なく、強引に何かして、悠を泣かせたら……」
「……」
「僕が、責任持って、チョン切るから」
「!!!」
思わずきゅっと縮んだ。目が本気だ。
「返事は!」
「はいぃぃぃぃぃ!!!」
俺の全力の回答にある程度満足したのか、根津はフウと息を吐くと、このやり取りを黙って眺めてた日辻の腕をひいた。
「あぁもう、砂吐きそうでお茶のみたい。ねぇ優希、飲み物買いに行くんだけど付き合ってくれない?今日に限って甘いの買ってきちゃったんだ」
「あ、うん。わかった。行こう」
日辻は何故か少しほっとした顔をして、根津についていった。
煩い保護者のいない間に、俺は悠と土曜日の打ち合わせをして連絡先の交換も出来たのだった。
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