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可愛いあの子[7]
悠の家に着くすぐ手前に小さな児童公園があって、悠はそこの入り口にさしかかるところで不意に足を止めた。
「悠?どうした?」
「うん。まだ時間大丈夫?」
「全然大丈夫だけど……」
「じゃあちょっとここ寄ろう?」
そう言いながら俺の手を取って、隅にあったベンチへ引っ張っていく。
俺としては長く悠といられるのは大歓迎だし、悠から手を繋いでくれたことも嬉しかったわけだけど、さっきの駅での会話から少し思い詰めた表情をしている悠が心配で、あんなこと言うんじゃなかったかなと後悔していた。
「ここね。子どもの頃よく歩と遊んだ公園なんだ。俺と歩同じマンションで、それで子どもの時からずっと一緒なんだけど」
「そうなんだ」
「うん、それでね……」
何か伝えたいことがあるのだろうと思うのだけど、悠はなんだか不安そうだ。大丈夫だよの意味を込めて、繋がったままだった悠の手をぎゅっと握った。
「昔、同じマンションにお姉さんがいたんだ。多分若くて綺麗な人だったと思う。優しくてよく俺達にお菓子とかくれて、俺その人のことすごく好きだった」
「うん」
「それでうちはお姉ちゃんばっかりで、歩も大人しいタイプであそこも妹だけだったから、あんまり男の子らしい遊びっていうのかな?ライダーごっことか戦闘ごっこみたいのはしてなかったんだ。かくれんぼとか鬼ごっことかはしても。でも幼稚園に行き始めると他の子とかとも遊ぶようになるじゃん?それで多分、俺はそういう男の子の遊びが楽しかったんだ。段々自分のことを“ゆう”って呼んでたのからボク、それからオレって呼ぶようになって、それで……」
俯いて震える悠の身体をそっと抱きしめる。
「ある日そのお姉さんの前で、ヒーローみたいに空中キックしたりパンチしたりして見せたんだ。格好いいって言ってくれると思ってた。でも――」
悠は泣くのを堪えているような声で続けた。
「悠ちゃんは“そんなことしちゃ駄目でしょ、似合わない”って怒られて、その人に閉じ込められたんだ」
真っ蒼な顔で俺にしがみつく悠を見てられなくて、思わずぎゅっと強く抱き返した。
それから悠が途切れ途切れ吐き出した内容は、あまりにも身勝手で腹立たしいものだった。
監禁されている間、“俺”と口にする度につねられ、叩かれ、恐怖心から相手を罵れば、“悠ちゃんはそんな汚い言葉は使っちゃ駄目でしょう?”“外の世界なんかにいたからだわ、こんなにも美しい子が汚されちゃう”“私がここでずっと守ってあげる”と正気を失った目で縛られて、食事はその人に手ずから差し出されるケーキだけ。助け出されたのは三日後だったらしい。
そんな環境で子どもが三日も過ごせば、その後極端に人を怖がるようにもなるだろう。今もケーキは食べられないんだと静かに溢した悠が痛々しい。
悠の背をゆっくりと撫でながら話を聞いていくと、強張っていた悠の身体から少しずつ力が抜けていって、今では完全に俺の胸に体を預けた状態になっている。
「最後の方はもうずっとごめんなさいしか言ってなかったと思う。自分が悪い子だからこんなことされたんだって思ってた。助けられて、家族や歩に自分は何も悪くないって何度も何度も諭されて、そうだよなオレはオレだしって思って、なんかなんていうのかな?あの女性 に対して怒り?反抗?したい気持ちにもなって、わざと乱暴な言葉とか使うようになった。
でも他の人の前でそう振る舞おうとすると、駄目なんだ。また似合わないとかそんなだとは思わなかったとか言われるんじゃないかって。っていうか実際に言われるし。」
「そうなの?」
「うん。別に多分、深い意味もなく言われることもあるし、あとはなんか嫌な感じで寄って来て……、俺わかるんだ、なんか嫌な感じで寄ってくる奴」
邪な欲望を持って近づいてくる奴ってことなんだろう。幼少期の経験のせいだろうか。
「そういう奴が近づいて来たら全力で叫んで逃げるようにしてるんだけど、なんか俺ってそういう時に声も出せそうにない、かよわい感じに見えるらしくて……」
知り合った時に思いっきり叫ばれて逃げられたことを思い出した。俺は今は悠のわりとやんちゃな素の性格を知っているが、根津に引っ付いておどおどしている様子からだけだったらそう思う馬鹿どもがいてもおかしくないかもしれない。
「反抗されるとは思ってなかったりする奴は、なんか滅茶苦茶に悪態ついてきたりするんだ。“この餓鬼大人しいと思ったのに”とか。そんな時、言われてることが理不尽だって頭ではわかってるのに、なんかもう怖くなって気持ち悪くなって動けなくなる。大体全部対処してくれる歩に引っ付いて、なんとかその場から逃げ出すだけ。歩がいなきゃまともに生活も出来ない自分が嫌だった」
わかってはいたけど、根津滅茶苦茶強いな。
「でも大樹に会って、大事にしてくれて。何と言うか……」
「え?!」
驚いて悠の顔を覗くと耳まで真っ赤な顔が、うるうるした目でこちらを見上げている。この重い話の着地点が全くもって予想外の、もしかして俺にとって幸福なものになる予感がして、一気に心拍数が跳ね上がる。
「大樹はあんな風にすごく格好良く走れて、そのためにきっと努力もしててそんなすごい奴が、あんな風に何度も何度も好きって言ってくれて、俺のままでいいって言っていってくれて、なんか初めて本当にそう思えた気がするんだ」
そう笑った悠は本当に満開の笑顔で、俺にありがとうと伝えてくれた。
「それを言いたくて、さっきまでの話をしてくれたの?」
あんな話、思い出すのも人に伝えるのもしんどいだろうに。
「うん……。そうだけどなんか大樹には知ってて欲しくて」
「そうなの?」
「うん。だってーー
俺も大樹と友達じゃ嫌だ。大樹が好きだ」
そう言って真っ直ぐ俺を見つめる悠は凛としていて、今までに見たことがないほど綺麗だった。
俺はみっともなく震えそうになる声を、生唾を飲んで押さえ込む。
「俺は悠が好きなんだよ。わかってる?」
「うん、俺も好き。わかるよ。歩とか優希とは違う」
「本当に?俺の好きっていうのは、“嫌な感じな奴”と大して変わらない欲望を悠に持ってるってことだよ?」
怖がらせたくないけどこれをきちんと伝えないと誠実じゃない。
「え、全然違うよ」
「違くない。俺は悠にキスしたいし、もっと色々その先だってしたいんだよ」
「キス……」
「そう。怖くない?」
悠は俺の唇をしばし見つめてから、熱に浮かされた顔で言った。
「大樹なら大丈夫、怖くない……と思う。俺が怖くないって思うんだから、それでいいんだって」
「でも……」
「だったらねぇ、試して?」
好きな子にそんな風に小首を傾げてせがまれて、耐えられる男なんている訳がない。
けれどやっぱり怖がらせたくなかったから、出来るだけ丁寧に前髪を払ってから、ゆっくりとそのおでこに、それからほっぺたに口付けた。
ドキドキしながら、どう?と聞く。
真っ赤な顔でほっぺたをおさえた悠はそれだけで殺人的に可愛くてしんどいのに、悠はそのまま次々と爆弾を投下してくる。
「全然怖くない。大樹からされるのはなんか温かくて優しくてくすぐったくて気持ちいい。でも、なあキスって口にするんじゃないの?」
「口にするキスは恋人のキスだよ」
「なる。俺大樹と恋人になる」
だからして?という可愛い言葉を最後まで聞くには、俺の理性は持たなかった。
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