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風薫る【優希】[1]
彼の走る姿が好きだった。
初めて見たのは中学の競技会だったと思う。
彼以上に速く走れる人はいた。けれど彼以上に綺麗に走る人なんていなかった。
高校で陸上部をのぞいてみたときに再会して驚いた。てっきりもっと陸上の強い高校に行くのかと思っていたから。
「なんか強豪校でガツガツやるのは性に合わない気がして。マイペースにやれればいいし」
そう微笑った彼を見て、それなら自分が支えたいと思った。だからマネージャーという道を選んだ。もともと選手として走っていても、自分の走りは自分の理想から程遠いものでしかない。誰よりも近くでその走りを見て支えられることの方が、ずっと魅力的に思えたのだ。
やがてマネージャーと選手として、友人として過ごす距離感に馴れるうちに自分の気持ちに気付いてしまった。これは友情でも憧れでもなく、恋愛感情だと。
気付いたその日にその想いを殺すことを自分で決めた。
その時の彼には彼女がいたし、何より俺たちは男同士で、自分の想いを知られてこの関係が壊れるのが一番怖かった。
けれど恋心は、選手をやめると決めたときみたいにすっぱりとなくなってくれなかった。会心の走りをしたとき、記録を更新したとき、彼は喜んで無邪気にハグして来たりもする。見返りなんて期待してないけど、そういう時に彼が俺と喜びを共有したいと思ってくれることは俺の喜びではあった。けれど、同時に苦しくて息が詰まりそうにもなる。
そんな彼――馬場大樹がまさか男を好きになるなんて、一欠片も想像できなかった。
「優希お疲れ」
部活終わりの昇降口で、歩がポツンと一人で残っていた。
「あれ?歩なんでいんの?悠は?」
「馬場と一緒に帰りたいから残るって言うからさっきまで付き合ってた」
「うわ……」
「で、二人を先帰らせたけど優希がまだいるみたいだったから待ってた」
それはなかなかにご苦労様だと歩に同情すると同時に、さっき馬場が随分と急いで帰り支度をしていたのはそういう理由だったのかと納得して、また無駄に胸を痛める。
気持ちに蓋をすると決めたのは自分自身で、馬場も悠も誰も何にも悪くない。なのにどうしてこのざらざらする気持ちが押さえきれないのか。情けなくて自分が嫌いになる。
「優希、大丈夫……じゃないよね」
「ぅえ!?な、何が?」
帰る道すがらとりとめもなくしていた会話が不意に途切れ、労るようにかけられた歩の言葉につい過剰に動揺してしまった。しかしそこから続く歩の言葉は、さらなる衝撃を俺にもたらした。
「わかるよ、優希見てればその気持ちが誰にあるのかなんて」
「ええ!?いや、えっと……」
「好きなんでしょう?」
ヤバイ。俺はそんなにも分かりやすいのだろうか?もしかして馬場にも筒抜けだっただろうかと冷や汗が流れていく。
「あ、大丈夫。気付いてるのは僕と、確認してないけどたっくんだけだと思う」
「うぇ!?そ、そうなの?」
「たっくん、よく見てるからね。多分わかってるんじゃないかな?」
「そうか。そうなのか。そうだよね」
びっくりしたが、歩と匠だけだというならばほっとした。馬場にも、悠にも絶対に知られたくない。
「あ、ごめん。陸上部内で気付いている人がいる可能性については僕はわからないや」
あー……。二人にばれているのならば、その可能性はもしかしたらあり得て嫌だなと思うけど、一応今のところ誰にも指摘されてないし、変なそぶりを見聞きした記憶もないから、この際ないものとして振る舞おう。そうしよう。
「いや、大丈夫だと思う。多分」
「そう。しっかし僕にはアイツの何がいいのか、ちっともわかんないんだけど」
そんな風に呟く歩はものすごく自然体で、嫌悪感とかはもちろん、同情とか憐れみとかそういう感じもなくて、ただ気にかけてくれてるだけというのがわかる。今まで自分一人で持て余していた感情を、誰かが知って見ていてくれたというだけで、何だか力が抜けた。
「歩相手だといっつもコテンパンにされてるもんね」
「別にしたくてしてるわけでもないんだけど」
「まあ、あのくっそ甘い言葉の羅列はびっくりするよね。あんな風になるんだって初めて知った。彼女といるのも見かけたことあるのに、ああじゃなかった。彼女に優しくていい彼氏なんだろうなって思ってたけど、悠にはそれだけじゃないんだ」
今まで口にしてなかった、出来なかった想いを口にしていいんだって思ったら、口から次々に漏れていく感じがする。歩はそんな俺の背中をぽんと叩いた。
「こういうときって自棄酒とかすればいいのかな?自棄ジュースじゃやっぱりしまらないのかな?」
「歩?」
「ねえ、優希わかってくれる?そりゃ恋愛感情ではないけどさ、僕だって寂しいんだよね。ずっとそばで面倒見てきた悠を、どこの馬の骨だかわかんないやつにとられんの」
「……馬場だけに?」
「優希までソレ?だからつまんないってば」
「ハハッ。しかし馬の骨って。娘を嫁に行かす親父じゃないんだから。それも平成すら飛び越えて昭和の」
「親父でもおかんでも小姑でもいいからずーっといびってやる。まあそんなわけで僕今傷心中なわけ。やけ酒っていきたいけどそれは無理だからやけ食いにしよっかな?つきあってよ。うちおいでよ」
「うん。行く」
寂しいのは本当だろうけど、そう言って俺に付き合ってくれる歩の優しさに、俺は間違いなく救われていた。
その日は初めて行った歩のお宅で散々喋って愚痴ったおかげか、久しぶりに熟睡が出来た。
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