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風薫る[2]

 歩相手に吐き出しても、どうしても日々目の前で二人が幸せそうにしていると胸が詰まる。そんな俺に配慮してくれたのか、歩がこれ以上甘ったるい空気吸いながら弁当食べたくないから、昼は二人でどっか行けと命令した。  ものすごく我が儘で勝手な感情だってわかってはいるし、なんか変な話だけど、俺は馬場本人にも嫉妬していた。  なんであんな風に躊躇いなく真っ直ぐに、好きな人に好きって言えるんだろうって。何も怖くないのかな?って。そんな強さがあるから馬場はあれだけ速いのかな?なんて。くだらない戯れ言だなと思いながらも、そんな風に考えることもやめられなかった。  俺の気持ちとは裏腹に、部活は都大会に向けて加熱していた。  都大会に参加出来るのは馬場を含めて極一部の選手だけれど、その数名がいることで部全体の空気が一気に引き締まる。馬場は好調を維持していて、各地区大会の結果をまとめてみたところ、目標の南関東ブロックには手が届くのではないかと予測している。  練習していたはずの馬場が、不意にあっ!と声を上げて校舎に向かって手を振った。  見上げると悠が校舎のどこかの窓から身を乗り出して手を振っている。二階であの辺りといえば図書室かと見当をつける。前のめりになった悠を、小さい身体で窓から引っ張り上げて、お説教を始めたらしい歩の姿も見えた。  馬場はそんな二人を見上げてクスリと笑っていた。 「教室からだとグラウンド見えないからって、見えて居心地いいところって探したら図書室だったんだって」  聞いてもないのにそんな風に答えた馬場の顔は、心の底から嬉しくてたまらないって感じの幸福そうな笑顔だった。 「そう」  絶対に俺では引き出せない笑顔を見ているのが辛くて、タイムとるぞと誤魔化した。俺の気持ちになんて欠片も気付く気配のない馬場は、おうと応えて準備する。  その後ろ姿に安堵と苛立ちの両方を感じた。  翌日の昼休み、少し遅れると連絡の入った馬場を待ってる悠は、昨日見ていた練習での馬場の姿を興奮しながら語っていた。  悠は馬場と付き合いだしてから、以前より人を怖がらなくなって、俯きがちだった姿勢も矯正されてきた。そうするともともとの整った顔立ちがはっきりと現れるのだけど、その印象が変わった気がする。以前はあどけない可愛らしさって感じだったのに、今は何というか綺麗になった。  女は恋をしたり愛されると綺麗になるって言うけど、男でもあれだけ真っ直ぐに甘い愛情を注がれたらそうなるんだろうか?  俺は恋をしてから、どんどん惨めになっていく気がするのに。 「それでさ、大樹が走ると全然違うんだ」  知ってる。馬場の走りは綺麗なんだ。そんなこと、俺は中学の頃から知ってたよ。 「走ってると気持ちよさそうで、一番格好いいんだ」  そうだね。別に馬場はそこまでイケメンというわけではない。でも走ってる時は本当に格好いいと思うよ。 「いいなぁ、優希。近くで大樹の走りが見れて」  俺は本当は心の底から悠が羨ましいよ。何にもしてないのに馬場にあれだけ愛されて……なんて伝える努力を初めから放棄していた自分が思う資格もないんだけど。 「あ、俺もマネージャーになったら――」 「それは駄目!!」  気付いたら思わず机を叩いて立ち上がって、叫んでいた。  でも、それだけは嫌だ。お願いだからそれだけは俺から取り上げないで。 「あ、ごめ……違……」  謝ろうとしたけど、言葉が出ない。悠の顔もまともに見れない。  情けないけど俺はその場を逃げ出した。 「優希!」  歩が追いかけてきてるのはわかってたけど、脚を止められなかった。校舎のどこにいるのかもわからなくなりながら、不様に、みっともなく走った。やがて息も切れ、廊下も行き止まり、よろよろとその壁に崩れ落ちた。  しばらくして、同じく息を切らした歩が近づいてきた。二人の吐く息の音だけしてたけど、それも落ち着くとなんだか全部虚しくなってきた。 「もう嫌だ。俺、格好悪すぎる……」 「そんなことないよ。優希は格好良いよ」 「慰めはいいよ」 「違うよ。昨日部活やってる時見せてもらってたでしょ。あと競技会も。そりゃ走ったり跳んだり投げたりしてる選手もすごいなあと思うけど、それ以上にたくさん道具運んで、誰よりもたくさん動いて、部員の皆にテキパキ指示して、働いてる優希が格好良いなぁと思ったよ、僕」  ゆっくりとした声でそう言われて、思わず嗚咽が溢れた。隣に座った歩は自然な仕種で肩を貸してくれて、しばらくの間俺を泣かせてくれていた。 「もういい。ありがとう」 「落ち着いた?」  ポンポンと背中を軽く叩かれてティッシュを差し出される。そういうのが本当にお母さんなんだよなとこっそり思いながら、ありがたくもらっとく。 「こんな小さい肩で良ければいくらでも貸し出すけど?」 「もう大丈夫」 「うん。わかった」  歩はそれから何も言わずに、ただ隣に座っていた。  しばらくして、ふと俺から切り出した。 「歩は『後悔するくらいなら告白すれば良かったのに』とか言わないよな」 「だって、その人にとって一番大事なことはその人にしかわからないでしょ」 「……そうかもね」 「自分の感情なのか、相手の感情なのか、相手との関係性なのか、まわりの人との関係性なのか、それ以外か。どれを優先しなきゃいけないかなんて正解はないよ。多分どれを大事にしてもいいし、選べなくてもいいんだと思う」 「選ばなくてもいいのかな?」 「選ばないことで受けるリスクもある。でも時間は不可逆だから。何かを決断して行動するということはその前までにはもう戻れない。もちろん、その後努力すれば修復出来たり、新たに構築出来る場合だってあるけれど」 「それでいてじたばたと喚いて、人に八つ当たりしてるなんて最低じゃない?」 「まあ、そうする自由はあると思うよ。同時にそれを受けた相手には離れていく自由があるってことを理解してればいい」 「優しいこと言ってるようで、手厳しいな」 「少なくとも僕は多少優希が悠に八つ当たりしたところで離れないよ。それに、ちょっと悠も浮かれすぎだ」 「俺の気持ち知らないんだからしょうがないじゃないか」 「そうなんだけどさ。まあだから悠も今、何で優希が怒ったのかわからなくてオロオロはしてるだろうけど、優希から離れたいなんてちっとも考えてないと思うな」 「うん」 「閉じこもってた悠の世界に、辛抱強く入って来てくれた数少ない友人だから」 「そうだね」 「まあ優希がしんどくて離れていくとしたら、悲しいけどそれはそれで仕方ないなとは思うよ。やっぱりどこがいいのか全然わからないあいつのせいでって思うと腹立つけど」  冗談めかして言う歩に笑って首を振る。 「大丈夫。そんなこと思ってない」 「そう?」 「うん。悠や歩との友情も、やっぱり俺にとって大事なものの一つだよ」 「うん」 「だからちゃんと悠には言うね。やっぱり馬場と一緒にいたいからってだけでマネージャーやろうとするのは歓迎できないって。それで考えて陸上部全部を手伝いたいって想いが悠にあったら、受け入れるから」 「うん。ありがとう」 「よし、戻ろうか。オロオロしてる悠が待ってる」 「たっくんに任せて来ちゃったけど」 「まぁ匠なら大丈夫でしょ」 「間違いない」 歩と笑い合って立ち上がる。 「あれ、そういやここ生徒会室前?」 「え!?あ、本当だ。何も考えないで走っちゃったから」 「もうちょっと細かく曲がられて走ってたら、確実に僕の脚じゃ追いつけなかったね」 「確かに」 「即、肯定しないでよ」 「中、誰かいるかな?聞かれてたら嫌だな。恥ずかしい」 「まあ、物音しないし誰もいないよ多分」  教室に戻ると泣きそうな悠にしがみつかれて、まずはしっかり謝った。それから、悠としっかり話をした。悠も自分のことしか考えてなかったと謝ってくれて、陸上部には入らず今まで通り外から見ていたいということに落ち着いた。  馬場じゃないけど感情をストレートに表す悠はやっぱり可愛くて、そのまんまでいてほしいなと思った。

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