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恋とはどんなものかしら[4]
昼休みに仕事を受け取った帰り道、ふとこの間のことが気になって、恐喝の起きた場所に脚を運んでみた。
やっぱりここ死角になりやすいんだな、来るまでの道も図書室の奥の方の窓か、その上階くらいにしか目に入りにくいしと考えてながら歩いていくと、先客と出会した。
この学校は比較的偏差値の高い私立校で、大学の付属校である。そういうタイプでは珍しく中高一貫校ではないから、公立中学で成績の良かったタイプが集まりやすい。つまり何が言いたいかというと、見るからに悪ぶったスタイルを選ぶ人はこの学校では稀少だということだ。
そしてここでボーッと空を見上げている同級生は、そんな稀少な人種だった。綺麗に染められた金色の髪は少し逆立てた感じにセットされ、耳にはいくつものピアス、唇にも一つ。そして何よりもその手に握られている煙草。
思わず苦笑してしまってから先客に近づいた。甘ったるい煙草の匂いがする。
「虎尾 サン、隠れて喫煙するなら人の気配には敏感になっておいた方がいいと思うよ」
ゆっくりこちらに目を向けた虎尾サンは、僕を確認すると無言で煙草を挟んだ右手を軽く上げ、挨拶をくれた。
「どうも。また変なところで会うもんだね」
「ここはあまり人が来ないんだけど」
いつもの抑揚のないポツリポツリとした喋り方。
虎尾サンとは何故かこういう変なタイミングで会うことが何度かあって、その度に少し会話をする。
何故この人がこういうスタイルで過ごしているのかは知らないけど、多分攻撃的な人ではないし、人嫌いというわけでもなさそうだと思っている。だって虎尾サンは僕が近寄ると、いつもさりげなく煙草を消す。今もそうだ。煙草はまだ随分と長そうだったのに。
「そうなんだ。やっぱりな。ちょっと前にここで恐喝があってさ、それで気になって」
「またそういうのに関わってるんだ」
「通りすがりに見かけたらね」
そういえば虎尾と初めて関わったのも、以前の似たような事件でだったか。あの時は恐喝じゃなくて、強姦だった。犯人の取り押さえに協力してくれたのだった。
どちらの事件も卑怯で低俗な、一見“普通な生徒”が犯人だった。
「喫煙場所潰す様で悪いんだけど、僕近いうちにこの場所の改善を提言すると思うよ」
「それがいいと思う。問題ない」
「そう。それじゃ行くね」
黙ったまま見送る虎尾サンは、もうすぐ午後の授業が始まるというのに動く気配がなかった。多分、サボってここにいるつもりだろうな。
自分で決めて動いているだろう人に、正しいとか間違いとか押し付けるのは趣味じゃない。自分に抱えられる範囲の人でないなら尚更だ。
今日も今日とて学校の自治に滅私奉公である。
渡される仕事の指示は毎回、簡潔で的確だ。それはつまり仕事を采配する側の能力の高さの表れでもある。生徒会室に出入りするようになって、噂で聞いていた生徒会長の有能さは本物だったということがよくわかった。
あの性格の悪さも広まるべきだと思うのだけど、そんな話は聞いたことがない。傲慢さもリーダーシップだとかに変換されてしまうのだろうか。顔の良さもきっと影響してるだろう。それが本人にプラスと共にマイナスを与えることも知ってるけど。
「失礼します」
下校前に生徒会室に入るとそこには珍しく蛇石 副会長しかいなかった。艶々の黒髪に眼鏡を掛けた理知的な印象の人だ。つい最近聞いたのだけど、三年の学力一位は常に会長ではなくこの人らしい。
「あぁ、ご苦労様。今日はもう大体片付いたから帰るところなんですけどね、龍ヶ崎が隣の資料室に入ったまま出てこないんですよ。寝てるんじゃないかと思うんですけど」
「はぁ」
人に仕事押し付けておいて呑気なものだと思う。
「そこの扉から入って叩き起こしてやってください。貴方なら入っていいので」
「面倒なので副会長がコレ確認してくださいませんか?」
「おや」
非常に含みのある顔で微笑われて、嫌な感じがビンビンする。物腰は常に丁寧だが、この人もなんか喰えないなと思ってはいたんだ。
「嫌ですよ。龍ヶ崎の最近のお気に入りとの時間を奪うなんて、後がもっと面倒になること間違いないんですから」
「はぁ?お気に入り?」
「お気に入りでしょう?」
それは玩具みたいな感覚なんでしょうかね?
「とにかく私は帰ります。鍵は龍ヶ崎が持っているので起こさないと出ていけませんよ。責任感のあるらしい貴方が、ここを無人にして去っていけるとは思いませんから。では」
そういうと本当にその場を去っていってしまった。
生徒会メンバーは僕の鬼門だ。
仕方なく資料室のドアを開けて中を覗き込むと、確かに会長が隅におかれたソファで寝ていた。
身体を投げ出してというわけでもなく、お行儀よく手足を揃えて寝ているのが意外だった。そういや良いお家柄なんだっけ?
普段浮かべているふてぶてしい薄笑いがない分、元々持つノーブルな顔立ちが浮き立つ。眉の間の皺がなければもっといいのに、なんでそんな苦しげな顔して寝てるんだろう。起きてる時は暴君みたいに振る舞うくせに。
きっちりと結ばれたネクタイ、一番上までとめられたボタンが息苦しいのかなと思うと、無意識に首もとに手が向かっていた。
「っ!!」
「え?」
伸ばした手は瞬時に払われ、一瞬揺れた眼は敵意を帯びてこちらに突き刺さる。
「……お前か」
「ええ……」
見つめあった目線を先に外したのは会長の方だった。
「驚かしてすみません」
「いや、悪かったな」
「気にしてません。これ、今日の分です。確認を」
「必要ねぇよ」
「は?」
「お前の仕事に不備があったことはねぇ」
不本意ながら、こんな誉め言葉にも満たない言葉を嬉しいと思ってしまった。散々けしかけるようなことは言うくせに、まともにその評価を受けたことはそう言えばなかった。
そうですかと返した声は、むず痒い気持ちを押さえようと随分と小さなものになってしまった。
会長が軽く身体を伸ばしてから立ち上がると、微かに香水の匂いが漂った。柑橘系に色々足された華やかな香り。あまり意識していなかったけど、そう言えば会長と話す時にこの匂いがしていた気がする。
「仕事、忙しいんですか?」
「はぁ?」
「いえ、あんなところで寝てたから疲れてるのかと」
「あぁ?俺はこんな仕事量で疲弊するほど無能じゃねーよ」
いつも通りの傲岸不遜さにあきれながら、少しほっとしていた。
さっき見たものも、きっと気のせい……とそう思ったのだけど。
「あそこで寝んのは癖みたいなもんだ」
「夜、眠りでも浅いんですか?」
何も考えずただ応答しただけのつもりだった。けど多分、この質問が一歩自分から踏み込んでしまうきっかけだった。
「ハッ俺が?」
「……」
嘘だな、と何故かはっきりわかった。いつもの傲慢な言動とほとんど違いはなかったのに。
眼の奥の色というか光が違うのだ。
「そうですか。では失礼します」
気にかかることはあるが、これ以上踏み込むことをこちらもあちらも望んでいないだろう。僕が嘘に気付いたことに気付いているかはわからないが、退いた僕を呼び止める声はかからなかった。
帰り道一人で歩きながら、あの手を払われた時に見たものがちらついて仕方なかった。
こちらに敵意を向ける直前、一瞬だけ大きく揺れた瞳--
あれは普段の“龍ヶ崎智也”という存在からかけ離れた、何かに怯える子どもような瞳だった。
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