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恋とはどんなものかしら[7]

 それ以来、僕は生徒会室に足を運ばなかったし、会長が僕の前に姿を表すことも呼び出されることもなかった。僕の平和は取り戻された――はずなのにずっと付きまとうこの空虚感は何だろう。    体育祭当日、開会宣言をする会長は、ムカつく程にいつも通りのカリスマ性溢れる龍ヶ崎智也会長だった。僕がいようといまいとあの人にとっては大して影響もない。大して仕事をしていたわけでもないから当たり前だ。 「なんで陸上部だからって選抜リレーから外されんの?納得出来ない」  悠は馬場の活躍する場面が見られなくて不服らしい。再来週行われる関東大会まで行くことになっているのに、これ以上まだあいつが走るところが見たいのか。 「全員参加のクラス対抗には出るんだからいいじゃん」 「でもそれだと俺も出るんだから、ゆっくり見れないじゃんか」 「あれだけ放課後毎日見ててよく飽きないね」 「飽きる?何で?一本一本違うのに?」 「はぁ……」  僕にはその区別はつかないよ。  クスクス笑いながら優希が口を挟む。 「でもいいんじゃない?選抜なんかに出たら馬場の人気が上がっちゃうかもよ。悠達みたいにおおっぴらにラブラブしてるのなんてあんまりいないけど、学校内での恋愛は結構あるし、付き合いのある女子校の女の子だって来てるんだから」 「うーん……そうか」  馬場のルックスはタラシな性格の割にはそこまで整ってるというわけではない。せいぜい雰囲気イケメン、中の上程度といったところだ。  ただ、確かに走ってる姿が格好いいというのは、百歩譲って認めてやらないこともない。いや、僕は何時いかなるときも馬場が格好いいとは認めないのだけど、スポーツとか何かに懸命になってる姿ってのは、その人自身をより良く見せるフィルターがかかるという一般論は理解できる。 「知る人ぞ知る格好良さってのも良くない?」 「うーん。わかった」  馬場フリークの二人は二人で仲良くやってくれ。僕は付き合いきれない。  障害物競争で悠は案の定というか何というか、しっかり怪我をした。網を抜けるときに肘を擦りむいたらしい。馬場が大騒ぎして救護テントに駆け込もうとしてたが、本人の出番が近かったらしく同じクラスの生徒に引きずられていった。傷口を洗ってから、二人で救護テントに向かうことにする。 「うぅ~痛い。歩はあっさりクリアしてたのになぁ」 「だから悠も合気道やればって前から言ってるでしょ。やっておいて損はないよ」 「うーん。そっか。なるほど……」  生憎僕も悠も運動神経には恵まれてなく、足は遅いし腕力もない。ただ僕の場合はその貧相なスペックの身体でも、長年やってる合気道のおかげで多少身体の使い方を知っている。だからクラス対抗リレーでは遅くても、障害物競争なんて器用さが求められる場合だとそこそこのスピードでゴールできたりするのだ。  今までの悠は僕が勧めても、人と向き合って稽古するのが怖かったのか全然興味を示さなかったのに、わりと前向きな気配になってきたな。出来るだけ早めに道場に突っ込もう。 「すみません、手当てお願いしま……」  救護テントに入ると、そこに何故か会長がいた。  思わず何処か怪我をしたのかとその全身を確認してしまったが、何処にも怪我をした様子はなかった。  会長は僕と目が合った一瞬だけ軽く目を見開いたものの、それからは何時ものふてぶてしい態度で、けれど僕の方は見なかった。 「歩?どうしたの?何かあったの?」   後から入ってきた悠がキョロキョロと会長と僕を見ながら、心配そうに聞いてくる。 「大丈夫。何もないよ。うん、なーんもない」  何故か突き刺さる視線を感じる気がするが、きっと気のせいだ。だって会長にとって僕は、あんなことまでして追い払いたいくらいの人間なのだろうから。 「会長、今の時間帯までの怪我人の数です……って君怪我してるじゃない。そこ座って」 「はい」 「結構派手にやったね。水道で洗ってきたみたいだけど、中に砂利とか入ってたら困るから、もう一回生食で流すよ。あ、会長そこにあるので持っていって下さい」 「わかった」  受け取るべきものを受け取ったらしい会長はそのまま去っていった。その後ろ姿をつい眺めながら、基本的に人に働かせて自分は極力動きたくないらしい人が、何故このタイミングに限ってわざわざ自分で取りに来たんだろうなどと、どうでもいいことを考えていた。  体育祭が終わり日常に戻ると、余計になんとも言えない虚無感が増した。 「なあ、歩」 「何?」  今日は馬場が先生に呼ばれて用事があるとかで、悠も合わせて四人での昼御飯だ。悠がおずおずといった雰囲気で聞いてきた。 「救護テント行ったとき会った人となんかあったの?」 「はい?」 「救護テントであった人?」 「うん。前に図書室来た人。生徒会長だっけ?」  悠は何を気にしているんだろう?何もないって言ったのに。  「いや、別に仕事押し付けられてただけで。一時的なものだし。体育祭も終わるしもう関係ないよ」 「でも歩、少し前からちょっと変。今も変」 「変?」 「うん。ボーッとしてたり考え込んだりしてる」  そうだっただろうか?いつも通りにしているつもりなのだが。  僕、変?と思わずたっくんと優希にも聞いてしまった。 「歩ちゃんが何か心ここに在らずなのは知ってたよ」 「変っていうか、まあちょっと何か気にかかることがあるのか?とは思った、かな?」 「そうなんだ……」 「珍しいとは思ったけど、それが生徒会長と関係してるの?」  「別にあんな人もう関係ないし、向こうも関係して欲しくないだろうし」    何となく聞いてくる優希の顔を避けて、ゴニョゴニョと答えてしまう。 「なんか確かに歩らしくないね」 「え?」 「何があったの?」  非常に答えづらい。  会長のことは所詮僕が感じた印象だけだとは言え、あれこれと人に話す内容ではない気がするし、何故そんな話になったのかも説明しづらい。何よりその結果されたことというのが非常に言いにくい。 「いや、まあ僕が踏み込んじゃいけないところに踏み込んじゃっただけで……。余計なことだろうなとはわかってたんだけど、ただ、なんかほっとけなくて。あの人。だからつい……」 「それで、拒否された?」 「拒否……、いや普通に拒否されるなら仕方ないって思ってたんだけど。僕が気になっただけで、別に会長にそれに応える義務なんてないわけだし」 「じゃあ何て言われたの?」 「いや、何も言われてはないけど……」 「ん?歩が踏み込んじゃったーって思う位内面的な話をして、それで何も言われてないのに、何で向こうももう関わって欲しくないだろうになるんだ?」  確かにまったく話が繋がらない。 「いや、がらせ?みたいのされた」 「嫌がらせみたいの?」 「ゴフッ!」  黙って話を聞いていた悠が突然僕にアタックしてきた。 「ちょっと悠!苦しい。突然抱きついてくるのはやめてって言ってるでしょ」 「何されたの!?殴られたの?」 「いや殴られたりとかはしてない。むしろ叩いたの僕の方」 「歩が叩いたの?!」  悠が驚くのも無理はない。僕がどれだけ暴力で物事を解決するのか嫌いかよく知っているはずだから。 「ねぇ、歩。何されたの?最近歩が変だなとは思ってたけど、あの時あの人に会ってから余計ひどくなった。歩が言わないなら、あの人に聞くから」  いやいやいや。前会ったときにオーラに圧されまくってた超絶人見知りが何を言ってるんだ? 「俺だって出来るんだからな!歩が変なのがあいつのせいなら。お、俺だって歩を助けるんだから」   しがみつかれながらの悠の台詞は嬉しい気がするのだけど、なんかどんどん僕が追い詰められているのは気のせいか? 「待った。いや、別に何されたっていうか」 「何されたの?」 「…………キス、された」  友人にこんなこと伝えなきゃいけないなんて。恥ずかしさで顔が熱る。 「「はぁ~~~~~~!?」」  悠と優希の声が綺麗にハモった。たっくんもビックリした顔で僕を見ている。  蟀谷(こめかみ)を押さえながら優希が聞いてくる。 「ちょ。ちょっと待て歩。それで何で嫌がらせになんの?」 「え?それ以外どう解釈しろと」 「いや、だから……」 「口にされたの?」  割り込んで来た悠が意味不明な質問をする。 「は?」 「キス、口にされたの!?」 「う、うん」 「口にするキスは恋人のキスだよ!会長は歩が好きなんだ!」 「はぁ?」    間違いない。タラシ馬場の理論だ。 「そんなわけないでしょ。あの人は嫌がらせで――」 「何で?」 「え?何で優希まで?」 「いや、逆にキスされて嫌がらせとしか思わない歩が何でなんだけど。嫌がらせでするか?普通」 「いや、だって……」 「歩ちゃんはどうだったの?」 「え?」  たっくんの落ち着いた声から出た質問が、ますます僕を混乱させた。 「歩ちゃんは会長にキスされて、嫌だったの?」 「嫌っていうか――」 「それとも悲しかったの?」  悲しかった?そう、悲しかった……かもしれない。なぜ? 「悲しかったんだねぇ。でもそれって嫌がらせでキスされたと思ったからだよね。もし、そうじゃなかったら?」 「そう、じゃない?」 「うん。ボクは会長じゃないから、なぜそうしたのかはわからない。だから確かめた方がいいんじゃないかな?中途半端なままだと多分歩ちゃんがずっと苦しいだけだ」 「よく、わからない」 「うん。でも歩ちゃんならすぐわかると思う。ゆっくり考えてみて」  たっくんに言われると不思議と受け入れられることがある。 「優希くんと悠くんも今日はここでおしまい。気になる気持ちはわかるけど、少しそっとしておこう?」 「わかった」 「悠くんは?」 「……わかった」  言いたいことを我慢した顔だけど悠も頷く。たっくんはすごいなぁとこういうときに思う。  頭は混乱したままだけど、見ないふりはやめて自分のこと、会長のことちゃんと考え直そうと思う。たっくんはそんな僕を見て微笑んだ。

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