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第4話

 放課後。誰もいなくなった教室。いくらぼんやりしていても仕方がない。家に帰ろう。  綾は鞄を持って歩き出そうとした。そして痛む足が意思とは反対にくじけた。 「痛……」  この足。この足が恨めしい。だがこれが唯一、律を繋ぎ止めておけるもの。皮肉げにひっそり笑うと綾はゆっくり歩き出した。きっちりと治したはずなのに季節の変わり目や雨の日の前など足に鈍い痛みが走る。もう慣れてしまったがもし、この足が治ってしまったら、と考える。それは恐ろしい将来だった。律はもう綾に負い目が無くなる。そうしたら──。  やっぱり身体で繋ぎ止めておくしかない。それ以外、方法はない。律は決して拒まないけれど許されないことをしているという自覚はあるはずだ。そしてそれは誰にも言えない。周囲との隔絶。それを律に叩き込まないとならない。自分という存在を律に刻みつけるにはそれしかない。  空はもう暮れなずんでいる。校庭には部活にいそしむ生徒たちの声が溢れている。体育館に沿った校外への帰り道を通るのを考えると気が重かった。開いているドアの向こうに一瞬にして律の姿を見つけてしまう。バスケットをしている律は輝いている。どこにでもいる十七歳の健康な男子だ。それを自分の下で従わせる暗い悦楽。自分は壊れてしまっている。綾はため息をひとつ吐いた。その時だった。  いつも覗いてしまうドアから律とマネージャーのミナが一緒に出てくるのが見えた。綾には気付かないようで二人は体育館の向こうへと歩いていった。 ──弟くん、モテるねぇ。昨日隣りの組のあのミナちゃんに告白されたんだってぇ?  まさかもう付き合っている? 綾は胸が苦しいほど痛むのを感じた。あれだけ魅力的な女子になら誰だって飛びつく。律だって健全な男だ。女性に興味があるのは当たり前。そしていつかそんな日がくることを綾は激しく恐れていた。  知りたい。律と川村ミナがどうなっているのかを。  綾はそっと足音を忍ばせながら早足に歩いた。そして角を曲がろうとした瞬間、声が聞こえてきて、慌てて止まった。すぐそこに二人がいる。 「好きなの、本当に……律くん」 「…………」 「ずっとずっと好きだった。だからバスケ部にも入った。知らないなんて言わせない」  律は無言だ。自分の呼吸が漏れ聞こえてしまうのではないか、と思って、綾は片手で口を覆った。 「だからこの間の返事、私は納得できない」 「川村」 「好きな人がいるって言ったよね」 ──好きな人。  胸がどくん、と大きく鳴った。好きな人。律に好きな人がいた。知らない。そんなこと、知らない。自分の知らない律がいる。それは綾の心を大きくざわめかせた。 「誰なのか、教えて」 「その人は、俺が好きだっていうことを知らないし……」  明るく朗らかな律がいつになく困惑している。言葉を選んで慎重になっている。好きな人とは誰? まったく相手の見当がつかない。 「大事にしたいんだ。だから言えない。ごめん」  ミナのすすり泣く声が聞こえてくる。もうそれ以上なにも聞きたくなくて綾は震える足でその場から立ち去った。  もしかして……少しは心を預けてくれているのかと思っていた。  自分の知らない律がいる。それは恐怖でしかなかった。そして相手の女が憎い、と思った。決して忘れさせない。足を傷つけた代償として律を縛り付けてやる。放してなんてやるものか。  綾は走った。激流のように渦巻く胸の中のドロドロとした思いをどこにぶつけることもできず、ただただ走った。

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