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第2話

 あれからヌート兄の、様子がおかしい。  教科だけでなく、武術訓練が、異常に厳しいのだ。  僕はヌート兄の様子が変わってから1週間の間、あまりの厳しさに、訓練の後に立てなくなるほどだった。  それなのに、夜になると何食わぬ顔で、ヌート兄さんは僕の部屋にやってくる。  僕はもう、勝手な兄さんに振り回されたくなかった。  だからその日、僕は部屋に鍵をかけた。  それは初めてのことだった。  そして夕食もとらずに寝台に沈み込んだ。  それから僕は、夢を見ていた。  子供の頃の夢。  小さいころは幸せだった。  父、母、ヌート兄さん、ジェルファ、そして僕。  皆で暮らしていたころ、僕は幸せで。  母もヌート兄さんも優しかった。  そして……僕はふと、頬に触れる温もりに顔をしかめた。  温かい、手。  手は優しく僕の顔に触れ、そしてゆっくりと僕の唇に、触れる。  とても心地よいい、指の愛撫に、僕は思わず唇を開く。  ずっとこうしていたい……僕はその温もりに、体を預けていた。  だがその手は、急にいなくなった。  まだ……もっと……僕を愛して欲しい。  僕は、夢の中で、その手の持ち主を捜した。 「ファリー、起きろ!」  ヌート兄さんの乾いた声が響き、僕ははっと目を覚ました。  僕は驚きのあまり、体を固くする。 「……兄さん、どうやって入ったの?」  僕の喉はカラカラに乾いていた。 「……どういう意味だ?」 「……鍵をかけてたんだ。  眠る前に」  ヌート兄さんははっと息を飲んで、扉を確認した。  そして何度か扉と鍵を確認すると、確信した様につぶやいた。 「……鍵が、壊されている」 「え?  壊れたの? 古くいから?」  ヌート兄さんは、今まで見たことのないほど、青ざめた顔をしていた。 「……そうじゃない。  壊されたんだ。  故意に」  僕には意味が分からなかった。  本当に意味が分からない。  ここは神殿だ。  金目のものが置いているわけじゃない。  鍵だって、僕のプライバシーを守るために作られただけの、簡単なものだ。 「……どういうこと?  意味が分からない」 「……思ったより、時間がないみたいだ」 「ちゃんと説明してよ、兄さん」 「……ファリー。  明日だ。  明日話すから。  それより、ちゃんと、私の話を聞け。  いいか?  今日はもう、張り型は入れなくていい」 「……ほんと?」 「ああ、ゆっくり体を休めろ。  だが、いいか、ファリー。  私が出ていったら、タンスで扉を塞ぎ、明日私が迎えに来るまで、何があっても、扉を開くんじゃない。  いいな?」  ヌート兄は、真剣な眼差しで私を見つめた。  私はその瞳に威圧され、素直に頷く。 「……分かった」  だが私の体は、また私を裏切る。  さっきから、嗅いだ事のない香しい匂いが兄さんから漂ってきていて……僕は体の奥に熱を感じ……そして自然と、勃起していたのだ。 「……ファリー?  どうした?」  僕の顔を、覗き込むように、ヌート兄さんは寝台の横にしゃがみこんだ。 「匂い……」 「え?」 「兄さんから……匂いがして……」  僕の声は震えていた。  それでやっと、兄さんは服を押し上げているそれに気付いたようだった。 「……お前には、分かるんだな?」  ため息のように、ヌート兄さんの声が響く。 「え?」 「……早く始末しろ。  タンスを途中まで動かしておくから」  ヌート兄さんはそういうと立ち上がり、部屋の奥にあるタンスの引き出しを外し、軽くはないタンスを、少しずつ動かしていく。  ……いま、僕にここで、触れと?  僕は兄さんの背中を見つめながら、震える手でズボンの前を開くと、硬くなったペニスを握る。  硬く張りつめたそこは、刺激すると先から液がにじんで、僕の指からぐちゃぐちゃと濡れた音を響かせた。  しかし……どう頑張っても、イケない。  無理だった。  兄さんが作業を終え、僕を見つめている。  だけどいつまでたっても、無理なものは無理。  だけどそんな僕を煽るように、兄さんの匂いは、僕を狂わせる。 「……お、ねがい!!  触っ……て!!  じゃないと……イケないからぁ!!!」  僕は涙をこぼしながら、ヌート兄さんに嘆願した。  兄さんはゆっくり僕に近づいてきた。  その手が僕に近づいたとき、僕の心臓がドクドクと激しく脈を打った。  ペニスの先に少し触れただけで、蕩けるほどの快感が体をめぐる。  兄さんの手は優しく僕を包み、ゆっくりと動かされた。 「はぁん! あああ!  ……すごいぃぃ!!  いい!!  好きぃ!!  ああぁぁぁ!!  もっとぉぉぉぉ!!」  僕は我慢できずに声を上げた。  兄さんはそんな僕を、どうして冷ややかな目で見ているのだろうか?  その手は切ないほどに優しいのに。  瞬く間にのぼりつめた僕は、兄さんの手の中に精を放った。  だがいつもより、深い快感に、しばらく身動きが出来なかった。  兄さんは黙ったまま、すっかり汗ばんだ僕の全身をタオルで綺麗に拭き取っていく。  いつもそうだ。  僕は兄さんに、かき乱される。  その甘い手つきに、大事なものを扱うような手つきに、騙されるのだ。  兄さんは、しばらく僕を休ませた。  それだけ、全身の力が失せていた。  だが、夜が更けてくると、僕を促した。 「ファリー。  もういいだろう。  起きろ」  僕はのろのろと、起き上がった。  そして兄さんは部屋を出て、ドアを閉めた。 「ファリー。  タンスを動かせ」  タンスはとても重かった。  ドアの近くまで兄さんが動かしてくれなければ、到底僕一人で扉を塞ぐことはできなかっただろう。  時間をかけて動かすと、ドアの外から兄さんの声が聞こえた。 「終わったか?」 「ああ……まだいたんだ?」 「ちゃんと、確認が必要だから」  そういうと、兄さんは何度も扉を押し、タンスがしっかり役割を果たしているか、確認していた。  何を警戒してるんだろう?  兄さんが何を考えているのか、本当に分からない。  だがしばらくすると、その音はやんだ。 「兄さん?」  僕が問いかけても、返事はなかった。  僕は疲れた体を休めるように、ベットへと潜り込んだ。  体の熱が完全に冷めたわけではない。  だけど、疲れていたせいもあって、僕が再び眠りにつくまで、そう長い時間は必要なかった。  瞼を閉じるとやがて、僕は深い眠りの中へと落ちた。  がたん! と、大きな音がして、僕は目を覚ました。  ギシギシと、扉が壊れるんじゃないかと思うほど、大きな音が鳴り響いた。  何が起こっているのか分からないけど、兄さんの心配は、杞憂ではなかったようだ。  誰かがこの部屋に入ってこようとしている。  いったい誰が?  僕は怖くなって毛布を深くかぶり、体を丸めて、その音が鳴りやむのを待った。  だが結局、明け方まで、その音はずっと鳴りやまなかった。  ドンドンと激しく叩かれたり、時折何か金属のような音もしていた。  もしかしたら、斧か何かが使われているのかもしれない。  そして、何より怖かったのは、「ファリー……ドアを開けろ!」と、低くくぐもった声が、扉の向こうから響いてきたことだ。  しかし、タンスと扉が思った以上に頑丈だったせいで、いくら時間が過ぎても、その扉が開かれることはなかった。  明け方、一番鶏の声が鳴り響くなか、ようやくその音が止み……僕はそのまま気を失った。  そして、再び扉が大きな音を立てていた。 「ファリー! ファリー!  大丈夫か?  お願いだ!  返事をしろ!!」  兄さんの声が響いていた。  僕は急いで起き上がった。 「兄さん!  待って!   今、扉を開ける!」 「……ファリー!!」  兄さんは扉をたたくのをやめ、僕がタンスを動かすのを、黙って待っていた。  ようやくタンスをどけて扉が開くと、兄さんは突然、僕の体を抱きしめた。  僕は驚いて言葉を失いながらも、その心地よい温もりに、すべてを忘れて縋り付いて泣き出してしまった。 「ファリー。  大丈夫か?」    ヌート兄さんは僕を膝にのせ、寝台に腰かけると、僕が落ち着くまで、頭を撫でてくれた。 「兄さん……怖かった!  凄く、怖かった!!」 「……すまない……ファリー。  すまない」  兄さんずっと僕の頭を撫で……そして、僕と同じように、だけど静かに、泣いていた。  だからそれ以上、僕は何も聞けなくなってしまった。  僕が落ち着くのを待って、兄さんは朝食へと誘った。  僕は長いこと泣いていた。  ジェルファが変に思わないだろうか?  僕がそういうと、兄さんは優しく頭を撫で、心配いらない、と言った。  私が来たのはまだ夜明け前だったから、と。  兄さんは僕の涙を優しく拭い、瞼にキスを落とした。 「……顔を洗っておいで。  私は食堂で待っているから」  この日の兄さんは、いつもよりずっと、優しかった。  僕は頷いて、洗面台へと向かった。  泣いてしまったせいで、僕の瞼はすっかり腫れている。  すこしでもマシに見えるように、僕は時間をかけて、冷たい水で顔を洗った。  そしてその日は、午前の学科が済むまで、いつもと何も変わらなかった。  僕は授業をぼんやりと聞きながら、今夜のことを兄さんと話し合わなければと思っていた。  昨夜は大丈夫だった。  しかし今夜は、扉が破られるかもしれない。  何があるかは分からなかった。  何しろ相手が、相手だ……。  昨夜は兄さんのお陰で逃げられたけど。  いつまでも、逃げられない。  僕は深くため息をついた。  そして武術訓練のため、学校の広場にみんなが集まった時だった。  集落の警鐘が突然かき鳴らされた。  見ると、東の物見の塔から、煙が立ち上がっている。  ボウド族の長年争う、グルス族の襲撃だろうか?  だが今は皆、警鐘に合わせて避難しなければならない。  教官を勤める兄さんの指示で、生徒たちが避難を始める中、僕はこういうとき、いつも言われているように、神殿へと戻ろうと走り出した。  だがすぐに、その手が捕まれる。 「ヌート兄さん?」 「こっちだ……」  兄さんは、僕に長いローブをまとわせ、神殿とは全く違う方向へと、僕を導いた。  それで僕は、この騒ぎが兄さんの起こしたものだと気付いた。  僕を助けるために、兄さんが。  しばらく歩いたのち、僕らは古く使われなくなった祭壇の残る洞窟へとたどり着いた。 「ファリー、水を飲むか?」  兄さんは僕に水の入った筒を渡した。  僕は素直に受け取って、水を飲む。 「兄さん、これから、どうするの?」  僕は不安になって尋ねた。 「もう、神殿には、戻れない。  それは、分かるな?」  僕は頷いた。  昨夜、僕の部屋に押し入ろうとしたその声の主は、僕が良く知っている、声だった。  いつも僕に優しいのに、昨日は全く違っていた。  僕はその声に、ただ怯えるしかなかったのだから。 「兄さん……。  どうして……どうして父さんは……?」  僕が涙ぐんで尋ねると、兄さんは苦しそうに息を漏らした。 「……父さんは、もう、昔の父さんじゃないんだ……。  ずっと、前から」  兄さんはいつから知ってたんだろう。  もしかして、母さんもそうだろうか? 「……ヌート兄さん、今日、話してくれると言ってたよね?  どういうことなの?  僕にちゃんと教えて?」  僕は兄さんに問いかけた。  だがその時、洞窟の壁の一部が、突然音を立てて崩れた。 「すまない、ファリー。  もう時間がない。  後は……トゥールに。  お前の番に聞け」  兄さんは僕の顔に優しく触れ、微笑んだ。 「トゥール?  兄さん、それって……?」  だけど僕の視界はぐにゃりと歪んだ。  そして、僕は意識を失った。  兄さんに飲まされた水に、睡眠薬が入っていた。  目覚めたのは、すべてが済んだ後だった。  僕は香しい匂いに包まれていた。  あの最後の夜に、兄さんがにおわせていたあの香りだ。  僕は兄さんの優しい手を思い出す。  あの日僕に深く懊悩を刻み込んだその手を思い出し、僕は体の奥が熱くなるのを感じた。  無意識に下肢に伸ばされた手を、途中でとめられ、僕は不満げに声を漏らす。 「……止めないで」  兄さん、と続けようとしたとき。 「ファリー。  起きて?」  と声をかけられた。  驚いて、目を開くと、美しい男性の顔が、すぐ近くで僕の顔をのぞいている。 「だ……れ……?」  僕は、声を絞り出した。  だけど、心のどこかで分かっていた。  「お前の番に聞け」ヌート兄さんがそう言ってたではないか。  男性は、悲しそうに微笑んだ。 「トゥール。  僕はトゥールだ。  君の番だ。  ファリー、僕はずっと……君に会いたかった!!」  トゥールはそういうと、僕を抱きしめた。  ヌート兄さんから感じたよりも、ずっと濃い匂いが、僕の鼻腔に広がる。  甘く切ない匂いだ。  その匂いを嗅いでいると、身も心も溶かされてしまいそうになる。  なるほど、番とは特別なものであるらしい。  それから僕は、トゥールからすべてを聞いた。  母さんと兄さんの、長い物語を。

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