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5.迫り来る未来
☆PM.5時30分
「まぁ、優人先生!」
黒のタキシードに着替えた優人が、パーティー会場に入った瞬間、一人の女性が歓声を上げた。
「やぁ、百合亜君。今日はお招きありがとう」
片手を上げて答えた優人に、その女性――百合亜は早足で駆け寄ってくる。
実の所、光は初めて会うのだが、とても三十七歳には見えない。
あえて言うなら、二十代後半に見える、気の強そうな美人だ。
また、高級そうな白いシルクのドレスに、白百合を胸元や腰で上品に飾った姿は、とても清楚に見えた。
対する光は、優人と同じ型で、ベージュのタキシードに着替えている。
「来てくださって嬉しいわ、優人先生。……お隣の方は?」
「彼は僕と親しくしてくれてる、同僚の天神光さんだよ」
社交的に会釈した百合亜に、優人が隣で百合の花束を抱えた光を紹介した。
「君の母校である聖ヴァルキュリア学院の校長と、美術を担当している天神先生の息子さんだ」
「まぁ、校長と天神先生の? 懐かしいわ」
母校を思い出して目を細めた百合亜は、改めて光に、上品なお辞儀をする。
「初めまして、光さん。美術の天神先生と混同してしまうから、名前で呼ぶわね?」
「はい。こちらこそ初めまして。父と母からも、お祝いを言付かっています」
「……ありがとう」
顔ではニコニコと笑いながら、ほんの一瞬だけ、百合亜の目は光を睨んだ。
光が親の名代ではないと気付いているらしい。
十何年も優人を思い続けていたのは、伊達ではないようだ。
互いに微笑みながら、相手を詮索するような重苦しい沈黙が落ちる。
そこへ――
「やぁ、光君。来てくれたんだね!」
高級そうな白いタキシードに身を包んだ桐斗が、人の間を縫って、こちらに歩み寄ってくる。
「本当に神野先生を連れて来てくれたんだね。――感謝するよ」
優人を横目で睨みつつ、百合亜の兄である砂神先生――桐斗が、さりげなく光に握手を求めた。
「お招きありがとうございます、砂神先生。これ――つまらない物ですが、百合亜さんへの誕生日プレゼントです」
ニッコリと笑った光は、差し出された桐斗の手に、白い百合の花束を手渡す。
「あ、あぁ……ありがとう、光君……」
「まぁ、綺麗な百合ね……私、百合の花が大好きなのよ。後で花瓶にいけなくちゃ」
少し残念そうな桐斗の隣で、百合亜がさも嬉しそうに微笑んだ。
優人も、何気に握手を拒まれた桐斗を、内心で嘲笑っていた。
「僕からはこれを。誕生日おめでとう、百合亜君」
「まぁ、ありがとうございます! 何かしら……」
一段と目を輝かせた百合亜が、優人の差し出した細長い箱を上品に受け取り、そっと蓋を開けてみる。
「まぁ、素敵な首飾り……ありがとうございます、優人先生」
箱に収められていたのは、四角い輪を幾重にも繋げた首飾りだった。
「すぐに付けてみたいわ。――付けてくださる?」
「喜んで」
軽く答えた優人は、箱の中から丁寧に首飾りを取り出し、百合亜の白く細い首に掛ける。
「凄く綺麗……大切にしますね」
よっぽど首飾りが気に入ったようで、百合亜は始終うっとりと微笑んでいた。
「まぁ……お前にしては、悪くないセンスだな」
渋々という体(テイ)で称賛した桐斗は、箱に書かれたロゴを見て目を見開く。
「なっ! お、お前――これは、知る人ぞ知るネット販売アクセサリーの名店、『トリック☆スター』の商品じゃないか!」
興奮したせいで、普段から大きい桐斗の声が、一段と高くなった。
優人は自慢気にフフンと鼻を鳴らす。
「そうだよ。プレゼントには最適だろう?」
自分の目が信じられない桐斗は、首飾りの入っていた箱を持つ手を、驚愕にガクガクと震わせた。
「あ、あのブランドは、ネット通販でのみ販売されている、超レア物だぞ!? ――まさか、偽物ではあるまいな?」
「とんでもない! ただ僕も、あのサイトの愛好家の一人でねぇ~」
とか言いながら、実は『トリック☆スター』のサイトを運営しているのは、誰あろう優人本人である。
家計の助けと言う名目で、優人が趣味で作ったシルバーアクセサリーを、ネット販売しているのだ。
「いや本当に、『トリック☆スター』の商品は人気だから、手に入れるのは大変だったねぇ」
悪びれも無く語る優人が、懐からいかにもわざとらしく懐中時計を取り出し、
「おや、もうこんな時間かぁ……」
「そっ、それは――!」
優人の懐中時計を指差し、桐斗は目を白黒させる。
「『トリック☆スター』で、たった三つしか作られなかった、幻の懐中時計! しかもNo.3の帆船モデルじゃぁないかぁ!」
「おや、気付いてしまったかい?」
本当の所――優人が彫金と懐中時計に興味を持って作ったのが、桐斗の言う『幻の懐中時計』だ。
なので実の所……
(たった『三つしか作られなかった』んじゃなくて、ただ『三つで飽きた』だけなんですけどね……)
桐斗に懐中時計を自慢する優人を見ながら、光は胸中で呟いた。
知らぬが花である。
「そうだ。良かったら、この懐中時計を譲ってあげようか?」
「ほ、本当かい!?」
「た・だ・し・一つ条件がある」
キザったらしく人差し指を振りながら、優人がもったい振って言う。
桐斗はゴクリと唾を呑み込んだ。
「じょ、条件……?」
チョイチョイと指先で桐斗を呼んだ優人は、わざとらしく桐斗と肩を組んで、内緒の相談を始めた。
時々「それは……」や「しかし……」などと、桐斗の渋る声が聞こえる。
それでも結局――
「分かったよ……その条件を飲もう」
「交渉成立だね」
優人はニヤリと笑った。
☆ ★ ☆
☆PM.6時25分
剣道部員達を乗せたバスが校門の前に着くなり、世流と徹は逸早く外に飛び出した。
ミーティングはバスの中で済ませてある。
今は一秒でも早く、門神先輩に合流しなければ――
「門神先輩!」
待ち合わせ場所であるファミレスに飛び込み、人目も気にせず徹が叫んだ。
集中する視線の間を縫うようにして、奏はすぐさま徹を店の奥に引っ張り込んで行く。
徹の後に付いて入った世流は、店の奥へと進みながら、何事かとザワ付く客達に軽く頭を下げていた。
――正直、恥ずかしくて居た堪れないが、今は緊急事態だ!
そう自分に言い聞かせながら、世流は奏に向かい合う形で、徹の隣に座る。
「門神先輩、新しい予知とか、ありましたか?」
世流を待っていた徹は、心配そうに尋ねるが、奏は首を横に振った。
『白薔薇と赤い獅子の乗る船が、嵐の中で沈む』
奏は悔しそうに唇を噛み締める。
「……ごめん」
うつむいて謝る奏に、世流は怪訝な顔をした。
「門神先輩?」
「僕が……僕がもっと、自分の意志で、予知できたら――」
先に起こる事が視えているのに、どうしたらそれを変えられるのか、何をしたら良いのか分からない。
前回に視た狼の予知は、それに関わる徹達を見付けられたから、最悪の事態は防げた。
けれど今回は――当事者に繋がる者を知っているのに、未来を止められない。
ただ流されるまま――
「悔しい――」
奏は呟いた。
握り締めた拳が白く変色して、小刻みに震える。
悔しい。
その心に呼応して、燃え盛るような熱い何かが、身体の奥底から沸き上がって来る。
これは怒りか?
悲しみか?
奏は自分でも分からない何かが、身体の奥底から、ザワザワと沸き起こるのを感じた。
とてつもない力が濁流となって荒れ狂い、奏を呑み込もうとする。
黙って見守っていた徹と世流は、奏の左目が金色の光りを宿し、しかし安定せずに明滅するのを見た。
奏の神力が暴走しようとしている!?
「門神先輩!!」
「先輩! 落ち着いてください!」
慌てた徹と世流の必死な叫びに、奏はハッとして我に返った。
「あ……僕は……」
身体中に渦巻いていた力が消え、奏は茫然と自分の手を見下ろす。
――憑き物が落ちた、と言う顔だ。
一度徹と顔を見合せた世流は、慎重に言葉を選びながら、奏に声をかける。
「……門神先輩、俺達の事が、分かりますか?」
黒く戻った奏の目が、ゆっくりと世流を見詰めた。
「……神野? 荒神も……何で、そんな顔してるんだ? ……僕、何か変な事をしたのか?」
どうやら奏は、自分の前世の事を思い出していないらしい。
徹と世流は、ホッと胸を撫で下ろした。
現世では必要の無い記憶なのだから、できれば思い出さない方が良い。
徹と世流には、奏に言っていない秘密がある。
前世の事もそうだが――
前回の予知に関わる事である。
『巨大な狼が、剣士に首を落とされる』
この予知が表す『狼』は志郎で、もう一人の『剣士』は剣治である。
まだ前世の事を思い出していなかった剣治が、冥界ニヴルヘルからの脱走者に操られ、志郎を殺そうとしたのだ。
何者かの使った召喚術の影響で、ニヴルヘルに穴が開いてしまった。
そこから脱走した者達が、邪神ロキの転生である優人達を恨み、復讐しようとしているらしい。
徹の前世の記憶が戻ったのも、予兆はあったが、雷神トールを逆恨みした脱走者に襲われた件が大きい。
奏の前世も北欧の神で、神の国の門番『ヘイムダル』である。
奏の未来を予知する力は、千里眼を持っていたヘイムダルの神力が、影響しているせいだ。
聡明なヘイムダルが、恨まれているような事は無いだろうが――
だからこそ、前世の事を思い出してしまったら、優人達の戦いに巻き込まれるかも知れない。
静かに首を振った世流は、外向けの笑みを顔に貼り付けた。
「なんでもありません。気にしないでください」
「………」
奏は探るように世流の顔を見詰めていたが、何も話す気は無いと悟り、軽く溜め息をつく。
「ごめん……未来の事をもっと良く視ようとして、少し疲れたんだと思う」
目元を片手で覆った奏が、深く椅子に沈み込む。
「きっと、焦ってるんだろうな……予知で視た未来を変えたいのに、僕にはどうする事もできない」
酷く落ち込んだ奏に、徹と世流は、何と言って良いか分からず、また顔を見合せた。
「奏先輩……未来は、簡単には変えられません」
世流の言葉に、奏が少しだけ顔を上げる。
「――以前、父が言っていました。人の運命は、あらかた決まっている、と」
優人はこう言っていた。
『人が何かを選択する度、未来は幾重にも枝分かれする。
その枝分かれした先で、一番起こる可能性の高い事柄を視るのが、『予知』なんだよ』
「起こる可能性の、高い事柄?」
繰り返して呟く奏に、世流は頷いた。
『もしも『予知』が視えないとしたら、理由は二つある。
一つはその『予知』が、自分にとって『視る必要が無い』場合。
もう一つは、その『予知』に関係する事を『すでに知っている』場合』
奏は首を傾げた。
「例えば――『明日、教室で花瓶が割れる』と言う未来を視たとします」
紙ナプキンを数枚取った世流が、その一枚に『明日』『花瓶』『割れる』と並べて書き込み、テーブルの真ん中に置く。
「この時点では、まだ『誰が』や『何時』と言う事は分かりません。だから、それを探る事ができます」
今度は『誰』『何時』と書き込み、さっき書いた紙の横に置く。
「前に兄の事を『予知』した時、僕達の頼みで、『場所』を視てもらいましたよね? それと同じです」
黙って聞いていた奏が、重々しく頷いた。
「しかしここで、『徹が』この花瓶を『放課後』に、『割る』と宣言したとします」
「何で俺が割るんだよ」
不満気な徹を黙殺し、世流が二枚目の紙に『徹』『放課後』と書き足す。
「これで門神先輩は、最初の『予知』で知らなかった事柄が、分かりましたね? するとこの時点では、他に知るべき事が無くなります」
「知るべき事が無くなれば、『予知』する必要も無くなる、って事か……」
回答を呑み込むように、奏は二枚の紙をじっと見詰めた。
世流が静かに頷く。
「だからもう『明日、教室で花瓶が割れる』と言う未来に関しては、何も『予知』できなくなります」
天井を見上げた奏は、落胆の溜め息をついた。
――結局、視えない物は、視えないのだ。
世流はさらに口を開く。
「ですが視えないのは『その時点だけ』です」
続けられた言葉にハッとした奏は、信じられない物を見るような目で、世流を見詰める。
視えなくなった未来の他にも、まだ視える物があるのか?
「教えてくれ、神野……僕は何を視たら良い? 何を視る事ができるんだ?」
奏の目が希望の光を宿し、世流はその目を真っ直ぐに見返した。
「『予知した未来』の前後を――さっきの例で言えば、徹は『なぜ』花瓶を割るのか、また割った事でどんな『結果』になるか、などです」
もしかしたら『美術の制作過程』かも知れない。
ヒビの入っていた花瓶を割って、『小さくまとめてから処分する』のかも知れない。
どんな事柄にも、必ずそこに至る『経緯』や『結果』がある。
世流の言葉で、それに気付いた奏の目から、迷いは消えた。
姿勢を正した奏が、しっかりと頷く。
「……やってみる」
奏は静かに目を閉じ、深呼吸をした。
ゆっくりと神経を研ぎ澄まし、意識を『予知』に向ける。
船が沈む――
その未来の先へ。
そして奏はカッと目を見開いた。
「見えた! 二人を助けられるかも知れない」
奏の説明を聞いて、自分達の役割を確認した三人は、急いで店の外に出る。
そして世流は、すぐさま兄の志郎に携帯で電話をかけた。
時間はPM.6時45分
予定では、世流と徹の夕飯を作るため、すでに帰っているハズだが――
数回コールが鳴り響き、やっと志郎は電話に出た。
『もしもし、世流か? どうした?』
どこかわざとらしい言い方に違和感を持ちつつ、世流は簡潔に口を開いた。
「兄さん、緊急事態です。今、大丈夫ですか?」
『大丈夫かって言われると……なぁ?』
『あぁんっ……!』
突然聞こえてきた剣治の嬌声に、世流はそのままピシッと固まる。
そんな事には構わず、電話の向こうでは、未だ激しい運動が続けられていた。
『ふぁ……やめぇ……志郎……!』
『ほ~ぅら、ちゃんと声抑えねぇと、世流に聞こえちまうだろ?』
『んんぅ……んっ……』
携帯電話を握る世流の手が、怒りで震える。
「――十分後にかけ直します」
世流はすぐさま携帯の通話を切った。
握り締められた携帯が、世流の手の中でギシギシと音を立てる。
「アァノ馬鹿兄貴――」
低くドスの利いた声が、世流の口から漏れた。
「「ヒィィッ……!」」
身の危険を感じた徹と奏は、喉の奥で小さな悲鳴を上げ、後退るようにして距離を取った。
本気で世流が怖い!
奏の前だと言う事も忘れ、猫を被る余裕も無いらしく、世流は般若のような怒り顔を曝している。
――そして、7分後。
志郎の方から、世流の携帯に電話がかかってきた。
☆ ★ ☆
☆PM.7時10分
パーティー会場を抜け出した優人は、桐斗と一緒に、『展望デッキ』へと続く階段の下にいた。
「これが、展望デッキの鍵だ。無くさないでくれたまえよ」
「分かってるよ」
金色に光る鍵を受け取り、優人はニヤリと笑う。
「……神野、何を企んでいる?」
訝しそうに睨んでくる桐斗に、優人は無実を主張するように軽く手を上げ、肩をすくめた。
「何も。ただ、周りは大企業の重役ばかりで、落ち着かないだけだよ」
「胡散臭い」と言わんばかりに、フンと鼻を鳴らした桐斗は、無言で手を差し出して優人に催促する。
約束の懐中時計をその手に乗せてやると、桐斗はもう優人の事を忘れて、その蓋に刻まれた帆船を愛惜しそうに指先で撫でた。
そして優人と目も合わせずに、パーティーの会場へと戻って行く。
「さてと……ちょっと落書きさせてもらおうかな」
遠ざかる桐斗の背中を見送った優人は、一転して悪質な笑みを浮かべた。
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