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6.交差する思い
ドゥルルンドゥルン……
――7時20分。
低いエンジン音を引き連れて、志郎のバイクが商店街の入口に停まった。
後ろには、揃いのヘルメットを被った剣治もいる。
「待たせたな」
軽く手を上げる志郎に、世流はいつもの仏頂面で、スタスタと歩み寄った。
「兄さん、来てくれて助かりました。……助かりましたけど、ね?」
志郎の前に行った世流は、その流れのまま、勢い良く志郎の足を踏み付ける。
「ンギャアアアアァァァアッ!!!」
絶叫した志郎がその場に蹲り、肩をブルブルと震わせていた。
相当痛いのだろう。
あまりにも手際(足だけど)の良い動きで、剣治は言葉も無く、茫然と志郎を見下ろしていた。
怒りにフンと鼻を鳴らした世流が、くるりと剣治の方を向く。
「ふしだらな兄で、申し訳ありません」
「いえいえ……」
丁寧なお辞儀をする世流に、剣治はパッと頬を赤く染めて、軽く頭を下げた。
「こちらこそ、あの……お聞き苦しい物を……」
「おい、世流! テメェ――!」
痛みから復活した志郎が、目尻を釣り上げて世流に噛み付く。
志郎に向き直った世流が、負けじと睨み返した。
「何ですか、兄さん」
互いの視線がバチバチと火花を散らして、世流と志郎は無言のまま睨み合う。
「ちょっと志郎、ストップ! ストップ! 世流君も落ち着いて、ね?」
一触即発な二人の間に割り込み、剣治は志郎を押し留めた。
「今は、優人さんと光さんを助けるのが先だろう? 二人共、兄弟喧嘩は後にしてよ」
「チッ……後で覚えてろよ、世流」
「兄さんこそ」
兄弟喧嘩に一応の終止符をうった剣治は、軽く安堵の溜め息をつき、改めて奏に向き直る。
「君が門神奏君だね。この間はありがとう」
「え?」
驚いた顔をする奏に、剣治はにっこりと微笑む。
「君のお陰で、志郎を傷付けずに済んだよ。それに、君からの伝言のお陰で、今こうして、志郎と一緒にいられる」
一度志郎と視線を交わした剣治は、幸せそうな顔で、奏に頭を下げた。
「本当にありがとう」
「俺からも、礼を言わせてくれ」
剣治の肩に手を置いた志郎が、改めて奏に笑みを向ける。
その顔は、世流と兄弟喧嘩をしていた時とは違い、とても大人の男に見えた。
頭を上げた剣治と志郎は、改めて微笑み合う。
その様子を眺めていた奏が、急に剣治を指差して、驚きの声を上げた。
「あんたが、この前の予知に出てきた剣士!?」
その言葉に、全員が奏を注視する。
「あぁ……そう言えば、名乗ってなかったね? 僕は聖ヴァルキュリア学院の教師で神代剣治」
「いや、そんな事を言ってるんじゃなくてな……」
思い出したように自己紹介をする剣治に、呆れた顔の志郎が、裏手ツッコミで軽く肩を叩く。
不思議そうに小首を傾げる剣治はさておき……
世流と徹は、信じられないと言う目で奏を見た。
「どう言う事ですか? 門神先輩」
「俺と世流の事は、一目で『ハンマーを持つ男』と『巨大な蛇』だって、気付いたのに?」
奏の見る予知は、相手を象徴する何かで表される。
例えば、徹なら『ハンマーを持つ男』――前世である『雷神トール』の姿で。
世流の場合は『巨大な蛇』――前世である大蛇『ヨルムンガルド』の姿だ。
前回は、その象徴する姿を基に、徹と世流を探し出した。
それなのに今は、剣治が前回の予知についてお礼を言っても、すぐには気付かなかったらしい。
「なんで……ビジョンが変わって――?」
一番動揺しているのは、奏だった。
こんな事は初めてだ。
「……今は、どんな姿をしてるんだ?」
何かを予感しているらしい志郎が、恐る恐る奏に尋ねた。
奏が改めて剣治を――剣治の背後を見る。
「……右腕の無い男」
奏が重々しく呟く。
ハッと目を見開いた志郎は、前世の事を思い出しているのか、怯えるように二歩三歩と後退った。
「志郎……」
そっと呼びかけた剣治が、顔面蒼白の志郎に腕を伸ばし、優しく抱き締める。
「落ち着いて……大丈夫だよ、志郎……」
「剣治……」
志郎の肩が、カタカタと震えた。
「志郎……僕は、志郎を傷付ける右腕なんて、いらないよ。それに今の僕の右手は、ちゃんとここにあるから――ね?」
優しく言い聞かせる剣治の右手が、志郎の背中を優しく撫でる。
少しして震えが治まってきた志郎は、剣治の腕の中で、深くゆっくりと深呼吸をした。
「悪い……剣治」
「志郎……」
静かに顔を見合せ、剣治と志郎は穏やかに笑う。
「――やっぱりそうだ」
奏が呟いた。
「剣治さんと神野の兄さんが、顔を見合せて一緒に笑う時……剣士の右手が、光となって、現れる」
顔を上げた志郎と剣治が、改めて奏を見詰める。
二人と目を合わせた奏は、急にハッと息を呑んだ。
「剣士の右腕は……狼のために、ある……」
奏の左目が、一瞬だけ金色に光ると同時に、奏の体がくずおれた。
「門神先輩!?」
「大丈夫ですか?」
駆け寄った徹と世流に体を起こされ、奏はぼんやりと目を開ける。
「あ……あれ? 僕は、一体……」
どうやら奏は、今語った事を覚えていないらしい。
取り敢えず、奏の体に不調が無いようで、みんなは安堵した。
「――時間がありません。兄さん、剣治さん。一緒にボトルシップを探してください」
「ボトルシップ?」
さりげなく話を変えた世流に、落ち着きを取り戻した志郎は怪訝な顔をする。
世流は奏の視た予知の内容を、掻い摘んで二人に伝えた。
☆ ★ ☆
☆PM.7時25分
(困りましたねぇ……どうしましょう……)
『女の勘』と言う物だろうか――優人と分かれてからずっと、光は百合亜に監視されていた。
他の客と話しながらも、チラチラと横目で様子を窺っていて、片時も目を離そうとしない。
もうすぐパーティーを抜け出した優人と、待ち合わせした時間なのに――
光が内心で焦っていると、先ほど優人と一緒に会場を抜け出した桐斗が、満足そうな顔で戻ってきた。
手には優人の持っていた懐中時計を握り、蓋に描かれた帆船を時折指でなぞっては、ホクホクと笑み崩れている。
そこで閃いた光は、何気ない風を装って、桐斗に歩み寄った。
「砂神先生、少し良いですか?」
「ん? どうかしたのかね、光君?」
桐斗が懐中時計をポケットにしまい、光に凛々しい笑みを向ける。
「実は……少し、お手洗いに行きたいんですけど……どこにありますか?」
少し恥ずかしそうな顔をした光に、桐斗は何の疑問も抱かず、丁寧にトイレの場所を教えた。
「なんだったら、僕が案内してあげようか?」
「いいえ、大丈夫です」
キッパリと断る光に、桐斗は言葉を詰まらせ、少しだけ落ち込んだらしい。
光はにっこりと微笑む。
「今は私よりも、百合亜さんの側にいてあげてください」
「百合亜の?」
不思議そうに首を傾げる桐斗に、光はゆっくりと頷いた。
「……百合亜さん……なんだか、疲れているように見えるんです。他の人と挨拶をする時は、普通に振る舞っていますけど……少し緊張しているんじゃないですか?」
とても心配そうな顔をした光に、桐斗も思う所があるらしく、思案顔で指の背を顎に押し当てた。
「光君は、本当に他の人の事をよく見ているね……実は、今回のパーティーは、百合亜の見合いを兼ねているんだよ」
「そうなんですか?」
まるで今知ったように、光は驚いて見せる。
――その演技力は、優人宛の手紙を読んで、すでに知っているとは思えない。
すっかり騙されている桐斗は、切なげに眉を寄せ、何度も頷いた。
「その上、認めたくは無いが、百合亜は神野を、心の底から好いている……だから、このパーティーが苦痛なのだろう」
「それは……なんと言っていいか……」
同情したように顔を曇らせた光が、しっかりと桐斗の手を握る。
緊張した桐斗の体が、ビクンッと震えた。
「ひ、光君……?」
「どうか……百合亜さんの支えに、なってあげてください。それができるのは、桐斗さんだけです」
真っ直ぐに見詰められた桐斗は、光に『期待されている』と言う感動に打ち震える。
最後の『名前呼び』も効いたのだろう。
光の手を強く握り返した桐斗が、力強く頷いた。
「任せてくれたまえ。きっと君の期待に応えよう」
「はい……」
百合亜の方へ、ズンズンと歩いて行く桐斗を見送り、光は内心でほくそ笑む。
(砂神先生って、意外と単純ですよね……)
クスリと笑った光は、桐斗が百合亜を引き付けている間に、素早くパーティー会場を抜け出した。
人気の無い通路を音も無く進み、光は船の後方を目指す。
今はPM.7時30分――
時間的には丁度良い。
行き止まりに差し掛かった光は、こっそりと辺りを見回して、優人の残した『目印』を探す。
フッと横目に見れば、廊下の端に『白い薔薇』が落ちている。
優人がスーツの胸に飾っていた花だ。
花を拾った光は、周囲に人がいない事を確認し、目を閉じて静かに息を吐く。
そして目を閉じたまま、壁に手を触れ、注意深く足を前に出す。
正解だ。
光の踏み出した足は、見事に階段の一段目を捕らえ、カツンッと澄んだ音を立てる。
目を開けた光は、ホッと胸を撫で下ろし、目の前に現れた階段を上って行く。
よく見れば、壁や手摺りの所々に、様々な記号が書かれている。
展望デッキへの階段を隠して、人を遠ざけるために優人が書き込んだ『ルーン文字』だ。
文字その物に力があり、それを組み合わせる事で、様々な効力を発揮する。
光はルーン文字を消してしまわないように気を付け、階段を登って行く。
数段登った所で天井が上に開き、四角い空間に優人が顔を出した。
「時間通りだね、光」
さりげなく伸ばされた優人の手を取り、光は天井の穴を通り抜けた。
光が展望デッキに顔を出した途端、少し冷たい海風が吹き付け、光の髪をイタズラに乱す。
やはり二月の半ばでは、まだ少し肌寒い。
「おいで、光……」
優しく手を引く優人に付いて、光は展望デッキの上に出た。
周囲を銀色の柵でグルリと縁取ったそこは、通い慣れた保健室と同じくらいの広さだろうか……
ベッドのような調度品が無いぶん、少しだけ広々として見える。
四隅には高い支柱が伸び、少し丸くなった先に小さなランプが吊るされ、展望デッキを幻想的に照らしていた。
それより驚いたのは、下から来る熱だ。
風を遮る物が無いぶん少し肌寒いけれど、全体的に暖かい熱気が登ってきて、十分に居心地は良い。
「丁度下がボイラー室になっていて、この展望デッキの床下に、暖かい蒸気を運ぶパイプが走っているらしい。砂神兄が、自慢気に言ってたよ」
やれやれと肩を竦める優人に、光は口元を上品に隠して、クスクスと笑った。
実は――
優人が、桐斗との交渉に使った懐中時計。
あれは三つ作った懐中時計の中で、優人がもっとも気に入っていた物だ。
だから早々に売れた事にして、ずっと手元に置いていた上に、予備のレプリカまで作っていた。
ちなみに――桐斗に渡されたのは、レプリカの方だが、ちゃんと正確に動く。
それを、パーティーを抜け出す交渉のため、持って来たのだけれど――
百合亜へのプレゼントの時といい、自分の自信作を自慢したがる所は、案外二人共『似た者同士』なのかも知れない。
そう言えば、気取り屋な所も似ている。
「……優人の方が、格好良いですけどね」
「何の話だい? 光」
首を傾げて見せる優人に、光はまた、小さくクスクスと笑った。
「……秘密です」
どこか楽しそうに囁いた光が、優人の頬に軽くキスをする。
「……まぁ、良いか。それより、こっちで飲もう」
優人が示した所には白い布が敷かれ、中央にはグラスと、氷入りのバケツで冷やされたシャンパンが置かれていた。
「直に座ると低温火傷するからって、シーツを貸りたんだ」
ついでにシャンパンとグラスを一つもらい、桐斗が会場に戻った後で、光の分のグラスを調理場から失敬したらしい。
優人は二つのグラスにシャンパンを注ぎ、光と乾杯した。
軽く縁を当てたガラス同士が、カチンと涼やかな音を鳴らす。
晩冬の外気に冷やされたシャンパンは、小さくシュワシュワと弾けながら、心地好い刺激を残して喉を滑っていく。
ホゥ……と、光は柔らかな吐息を漏らした。
「……美味しいですね、優人」
「なかなか良い趣味だね。後でコックに、どこのメーカーか聞こう」
決して桐斗には聞かない優人に、光は小さく笑ってしまう。
「船上パーティーは楽しめたかな? 光?」
「ええ、とっても……」
目を細めた光は、優人の顔を見詰めて、晴れやかに微笑んだ。
「お料理も美味しかったですね。またいつか、今度は家族で食べたいです」
「それなら今度、僕が作ってあげるよ」
プロの料理人顔負けの舌を持つ優人は、どんな料理でも一度食べただけで、それが何でできているのか分かってしまう。
その上、どんな手順で作られたのか、ソースの隠し味まで再現できるのだ。
光が作る料理の中には、優人がどこそこの名店の料理を再現して、さらに庶民的にアレンジした物もたくさんある。
だから光は、軽く言ってのける優人を信頼して、嬉しそうに「はい」と頷く。
同時に――優人が再現した料理を見て、驚く徹と剣治の顔が目に浮かび、思わず笑ってしまった。
いや、もしかしたら驚きを通り越して『優人にできない事は無いのか?』と、呆れるかも知れない。
「楽しみにしていますね、優人」
「もちろんさ。……光のために、腕に縒りを掛けて作るよ」
優人の熱い眼差しにうっとりとした光は、感嘆の溜め息をつき、静かにグラスを傾ける。
それからもたわいない話に花を咲かせ、優人と光は二人きりの時間を満喫していた。
けれど、当然、これで終わりではない。
熱い夜はこれから……
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