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9.船上の戦い
☆PM.9時42分
パーティーどころでなくなった乗客達は、戦々恐々としながら避難している。
初めは突発的な事が起き過ぎて困惑していた。
けれども、立って歩くだけで精一杯な揺れのたため、度を超した混乱は起こらず、乗客達は落ち着いて救命ボートに移動している。
まさに不幸中の幸いだ。
『皆様、足下に気を付けて、ゆっくりと移動してください』
『こちらで名簿を確認しております。ご協力お願いします』
乗客達を誘導する船員の声が響く。
桐斗は順番待ちをしている乗客達の顔を注意深く見ながら、列の脇を通り過ぎて行った。
そして、数人で乗客名簿を確認する船員の一人に、声をかける。
「避難した乗客の中に『天神光』と『神野優人』の名前はあるかね?」
「確認します。少々お待ちください」
主催者の子息に尋ねられた船員は、電子手帳を操作して、名前を探した。
しかし、光と優人の名前は見付からない。
全ての船員が持つ電子手帳は、会社のデータベースに繋がりデータを共有しているため、どの船員が点呼を取っても確認できるようになっている。
しかし今並んでいる乗客達の中には、二人共いなかった。
つまり光と優人は、まだ船の中にいる。
「あの馬鹿者が――! 光君までどうして!」
あの二人なら、こんな騒ぎの中でも慌てる事無く、冷静に避難しているはずなのに――
まさか二人共怪我をして、動けなくなっているのだろうか?
招待した手前を抜きにしても、桐斗は光の安否が心配でならない。
……まぁ、妹の招待した優人も、心配してやる。
なんだかんだと馬が合わなくて、口では「嫌いだ」と言っていても、心の奥底では嫌いになりきれないらしい。
忌々しく思いながらも、桐斗は二人を探しに、早足で船内に戻った。
「無事でいてくれよ、光君……ついでに神野も」
☆ ★ ☆
船内に響き渡る甲高いサイレンを足下で聞きながら、優人が呆れたように溜め息をつく。
「とんでもない事をしてくれたね、ギュメル!」
船が沈むまで、まだ余裕はあるだろうが――
怒り狂ったギュメルをこのまま放っておけば、他の乗客が乗った避難ボートまで襲われ兼ねない。
しかし、死者ではないギュメルを、冥界『ニヴルヘル』に送る事はできない。
神々の大戦『ラグナロク』に参加しなかったギュメルは、見ての通りピンピンしている。
内心舌打ちした優人は、光とゲルダを背に、指先を高々と上に向けた。
「悪いが、拘束させてもらうよ!」
空中に指先を踊らせた優人が、拘束を示すルーン文字を書き出す。
一つ一つの文字に力を持っている『ルーン文字』は、単語を刻む事でその効力を発揮し、魔法となる。
後は必要なだけ、その単語を書き連ねるのだ。
優人は楽団の式をするように指先を振るい、いくつもの単語を書き並べる。
力を得た文字列は、空中に煌めく鎖となって、ギュメルに向かって行った。
しかし巨人族――神の一端に名を連ねるギュメルは、一筋縄ではいかない。
フンッと気合いを込めて、剣を振るうギュメルが、優人のルーン魔法を打ち砕いた。
しかもギュメルが剣を振った余韻は、衝撃波となって優人を狙う。
「優人!」
とっさに前へ出た光が、胸元に下げた十字架のペンダントを握り、もう片手を突き出す。
「光よ!」
間一髪――光の作り出した『光の壁』が、衝撃波から優人を守った。
冷や汗を掻いた優人が、安堵の息を吐き出す。
「助かったよ、光」
しかし、安心してばかりもいられない。
できれば、ゲルダの前で、父親を傷付ける事だけは避けたいのだが――
「何をしているんだね、神野!?」
次の手を考えあぐねている優人と光の後ろで、今一番登場してはいけない男が、声を張り上げる。
二人が振り返って見れば、展望デッキの入口から頭を出した桐斗が、上に上って来る所だった。
「こんな時に――」
「砂神先生! どうしてここに!?」
「どうしてではないよ、光君!」
あからさまに舌打ちをする優人と、驚きの声を上げる光に、ついに展望デッキへ出た桐斗が怒鳴り返す。
「まだ避難をしていけないから、もしやと思って探しに来て見れば、君達はこんな所で何をやっているのかね!!」
『フレイ――』
第三者の声に顔を上げた桐斗は、やっと山のように大きな男に気付いて、ギョッと目を見開いた。
「かっ、神野! あの巨人は何なんだね!?」
「見ての通り巨人だよ」
平静を装う優人が、やれやれと肩を揺らす。
『自分からのこのこと現れるとは、好都合だ! この場で、海の藻屑にしてくれるわ!!』
低く轟くような声を上げたギュメルが、また槍のような竜巻を発生させ、桐斗を狙って突き出した。
「光よ!」
光はとっさに壁を作るが、打ち上げられた水の量が多く、船が激しく揺れる。
そのせいで、桐斗の体が一瞬だけ浮き上がった。
「ギョワッ!」
バランスを崩した桐斗は、その場にベシャッと、うつ伏せに倒れてしまう。
「フレイ様!」
「イタタタ……」
すぐさまゲルダが傍らに膝を突き、桐斗を助け起こした。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、怪我は無いよ。……君は――」
桐斗は初めて会ったゲルダの顔を見詰め、少しの間言葉も無く見入っていた。
「美しい……」
「え……」
桐斗の呟きに頬を染めたゲルダは、恥じらうように視線を外し、濡れて額に貼り付く髪を軽く直す。
そしてもう一度、互いに見詰め合う二人は、すでに豪雨も強風も意識の外に追いやったらしい。
「……そう言えば北欧神話で、フレイもゲルダも、相手に一目惚れしたんでしたっけ……」
「こんな時に、ノンキだねぇ」
完全に二人の世界へ突入している彼らに、蚊帳の外へ追いやられた光と優人が、呆れ混じりの盛大な溜め息をつく。
しかし、二人だけの甘い時間は、巨人の雄叫びによって破られた。
『渡さぬ! 娘は……ゲルダは渡さぬっ!』
怒り狂ったギュメルは、立ち塞がる優人と光を指先で振り払い、巨大な手をゲルダに伸ばす。
「やめろ!」
とっさに立ち上がった桐斗が、ゲルダを守ろうとするが――
相手は巨人。
敵うはずも無い。
「うぎゃっ!」
「フレイ様! 嫌――キャアッ!」
あえ無く振り払われた桐斗の前で、巨人の手に胴体を握られたゲルダが、人形のように軽々と持ち上げられる。
「ゲルダ嬢!」
「フレイ様!」
桐斗の叫びに答えたゲルダが、父の手から逃れようと身を捩る。
けれども巨人である父の握力に敵うはずも無く、いくらゲルダがもがこうとも、ギュメルの指はビクともしなかった。
『可愛い娘よ、少しの間、大人しくしておれ。お前を誑かす者共は、すぐに海の底へ沈めてやる!』
「やめて、お父様!」
ゲルダの必死の声も聞かず、ギュメルは怒りの雄叫びを上げる。
「おい、そこの巨人!」
ギュメルが鋭い視線で見下ろすと、あの憎きフレイの生まれ変わりである、小さな人間だ。
端正な顔に怒りの表情を浮かべ、偉そうに仁王立ちで腰に手を当て、ビシッとギュメルを指差す。
「あなたが美しいゲルダ嬢を心配するのはもっともだが、物事には限度と言う物がある! あなたがゲルダ嬢の父親だと言うのなら、娘を悲しませるな!」
『黙れ!』
ただの人間である桐斗に説教され、ギュメルは怒りで顔を真っ赤にした。
『貴様らが可愛い娘を誑かしたのだ!』
「寝言は寝て言え! 誰がゲルダ嬢を誑かすものか。第一! 私がゲルダ嬢に会ったのは、今が初めてなのだぞ!? どうやって誑かすと言うのだ!!」
同じ言葉を繰り返すギュメルに、桐斗はさらに声を張り上げて怒鳴り返す。
「……そう言えば、砂神先生はまだ、自分の前世の事を思い出していないんでしたね?」
「前世で誑かしたと言えば、誑かしたのかな――」
端で様子を伺っていた光と優人は、軽い頭痛を覚え、揃って嘆息した。
『貴様が誑かしたのだ! 忘れたとは言わせぬ!』
「だから、知らないと言っているだろう!!」
この押し問答を繰り返す二人を、どうやって止めたら良いのだろうか……
『エイッ、面倒な! あくまで白を切ると言うのなら、もうよいわっ! 海の藻屑と消え去るが良い!』
ついに痺れを切らしたギュメルが、攻撃を仕掛けようと剣を振り回し、振動に揺さぶられたゲルダが悲鳴を上げる。
「ゲルダ嬢っ! ――もう許さん!!」
桐斗が激昂した。
その途端、桐斗の体から爆発的なエネルギーが放出され、瞳の色がサファイアのように青く輝く。
「なっ、神力!?」
「どうして、砂神先生が――?」
桐斗の背中に、虫のような四枚の透明な羽が広がり、青く淡い光を放った。
その光に呼応するように、波間から浮かび上がって来た光の粒が、桐斗の周りに集まって行く。
よく見れば、その光の粒一つ一つが人のような姿をして、透明な羽でパタパタと飛んでいる。
「なっ、なんだこれは!? 妖精?」
北欧神話において、豊穣の神であるフレイは、妖精を管理する王であった。
「もう何でも良い! お前達の力を貸してくれ!」
あまりにいろいろな事があり過ぎて、半ばヤケになった桐斗が叫ぶ。
それに答えてキャーキャーと騒ぎだした妖精達が、桐斗の周りをクルクルと飛び回った。
桐斗がビシッとギュメルを指差す。
「行け、妖精達! 彼女を取り戻すのだ!」
命令を受けた妖精達が、楽しそうにキャーキャー喚きながら、ギュメルに群がって纏わり付く。
『こらっ! 海の妖精達、やめろ!』
妖精達がギュメルの耳元で叫び、長い髪やヒゲを引っ張ったり、コチョコチョとくすぐる。
振り払おうにも、ギュメルは指の間をすり抜けられ、痛いやらくすぐったいやら……
そして、堪らず身悶えたギュメルが、ついにゲルダから手を離した。
「キャッ!」
「ゲルダ嬢!」
空中に投げ出されたゲルダが、展望デッキの外側に落ちて行く。
とっさに駆け出しと桐斗は、何度も転びかけながら、真っ直ぐゲルダに手を伸ばし――
間一髪、桐斗の手はゲルダの手を掴み、しっかりと握り締めた。
柵から身を乗り出した桐斗の肩に、宙吊りになったゲルダの全体重が掛かる。
桐斗の体から放出されていた神力が収まり、背中の羽も薄れて消えた。
「砂神先生!」
「そのまま、持ち堪えていろよ、砂神!」
光が桐斗の横からゲルダに手を伸ばし、優人は改めてギュメルに向かい合う。
「荒ぶる者を拘束せよ! 御心を鎮めたまえ!」
高らかに叫んだ優人が、素早くルーンの鎖を綴り、ギュメルに向けて放った。
纏わり付く妖精達に気を取られたギュメルは、ルーン文字の鎖に縛られて、身動きを封じられる。
『しまった! こんな物……っ!』
優人のルーンに拘束されたギュメルが、鎖を解こうと暴れ、妖精達はワラワラと離れて行く。
しかし優人のルーン魔法は緩まない。
優人はホッと安堵の息を吐いた。
「しばらくそのまま、頭を冷やすんだね」
「優人! こっちも手を貸してください!」
光に呼ばれて見ると、まだゲルダの手を掴んでいる物の、腰の高さにある柵が邪魔で引き上げられないでいるらしい。
すぐさま駆け寄った優人と光は、左右からゲルダの腕を掴み、彼女の体を支えた。
そして彼女の脇から腕を回した桐斗が、抱き上げるようにして、ゲルダを展望デッキに引き入れる。
その時にバランスを崩した桐斗が、ゲルダを抱いたまま後ろに倒れ、彼女の下敷きになった。
「あっ……ご、ごめんなさい!」
「いや、君が無事で良かった……」
そのまま二人で、また熱く見詰め合う。
緊張感の無い二人に、優人はコホンと咳をする。
ハッと我に返った二人は、ポッと頬を染め、いそいそと立ち上がった。
『おのれ、ロキ……!』
抵抗を諦めたギュメルが、憎々しげに優人達を見詰める。
「少しは落ち着いたかい? ギュメル」
優人が疲れたように息を吹く。
ギュメルが鎮まった事で、暴風雨は落ち着きだし、波も穏やかになっていた。
「だいたい――どうして僕達が彼女を誑かしたと思ったんだい? 昔のフレイはともかく、僕はその件に関しては、全く関わっていないよ。もちろん光もね」
黙って聞いていたギュメルは、疑わしい目付きで、ギロリと見回す。
優人は嘆息した。
「それに――豊穣の神だったフレイは、もう死んでいる。ここにいるのは、ただの気取り屋で、どこにでもいるボンクラだ」
「なんだと、神野――」
「まあまあ……」
あからさまに貶(ケナ)す優人に、桐斗は静かに怒り出し、光がにこやかな顔で軽く宥める。
優人は続けた。
「とっくに生まれ変わったコイツは、前世の事なんかコレっぽっちも覚えていないぞ」
右手を前に突き出した優人が、親指と人差し指で丸を作り、その指先をほんのわずかに開ける。
「それでも前世の恨みを持ち出すのは、ただの八つ当たりじゃないか! 一人相撲もはなはだしい」
それに対して、ギュメルがクワッと目を見開く。
『だがその男は、前世の記憶が無いと言いながら、フレイの神力を使ったではないか! 騙されぬぞ!』
「それは確かに不思議なんだよね?」
猛抗議していた優人は、一転して不思議そうに腕を組み、首を傾げ初めた。
「なんで砂神は、前世の事を覚えていないのに、神力が使えたんだろう?」
「妖精に驚いていたんですから、記憶が戻った訳じゃありませんよね……?」
光も優人と並んで、小首を傾げる。
しかし、いくら首を傾げても、理由は分からない。
「そんな事は、決まっているだろう!」
急に声を上げた桐斗が、また偉そうに手を腰に当て、ズビシィッとギュメルを指差した。
「私の『愛の力』だ!」
さも当然と言うように、ムハーッと鼻息を荒くして、桐斗は自信満々に胸を張る。
一人だけ熱い男を遠巻きにして、優人達は冷たい海風に体を震わせた。
「アイツ、恥ずかしい事を言っている自覚はあるのかな……?」
「あの自信はどこから出てくるんですかね……?」
溜め息をついた優人と光は、スーツの上から鳥肌を撫で擦った。
しかし――
「フレイ様、素敵……」
ポッと目をハートにするゲルダに、優人と光は内心で悲鳴を上げた。
(愛は盲目だ、とは言うけど……!)
(本当に、愛は盲目なんですね……)
不意にギュメルが、盛大な溜め息をつく。
『娘は、こんな戯け者のどこに惚れたのだ……?』
ギュメルの切ない嘆きに、優人と光は全力でウンウンと頷いた。
「ゲルダ嬢……」
熱っぽく呟いた桐斗が、ゲルダの前に方膝をつき、まるで騎士のように恭しく胸に右手を添える。
「名乗るのが遅れてしまい、申し訳ない……私は砂神桐斗。ゲルダ嬢――どうかこの私と、結婚を前提にお付き合いしていただけますか?」
「桐斗様……」
うっとりと囁いたゲルダが、コックリと頷く。
「私の今の名前は、神垣明美(カミガキ アケミ)です。……末永く、よろしくお願いします」
「明美嬢……名前まで美しい」
「桐斗様……」
互いに手と手を取り合い、桐斗と明美は、幸せそうに微笑みを交わす。
他の三人は、すでに蚊帳の外である。
「……ギュメル……あの二人に手を出すのは、虚しくないかい?」
『うむ……』
寂しく溜め息をついたギュメルは、改めてゲルダを――明美を見詰めた。
『……あんなに幸せそうな顔は、久しぶりに見る』
覇気を無くしたギュメルを見て、優人はルーンの鎖を消した。
ギュメルは、娘の生まれ変わりである明美に声をかける事も無く、ひっそりと海の中に消えて行く。
ほどなくして船内に爆発音が轟き、展望デッキをグラクラと揺らす。
「キャッ……!」
「明美嬢!」
倒れかけた明美を、桐斗が慌てて抱き支える。
「さっきの海水で、機械がショートしたようだね」
光を守るように抱き締めながら、優人は冷や汗を掻いた。
その時、海の方に目をやった光が、急にハッと息を呑んだ。
「優人! 救命ボートが――!」
見れば、四艘(ソウ)の救命ボートが、船から切り離されて浮き沈みしている。
爆発を避けるために飛び込んだのか、近くで三人の船員が溺れ、浮き輪を投げられていた。
展望デッキの入口から船内を覗き込んだ桐斗は、廊下に燃え広がる炎に眉をしかめる。
とても下りられた物ではない。
救命ボートどころか、逃げ道も無いなんて――
「海へ飛び込むか!?」
「こんな高さから飛び込んだら、海面に叩きつけられて危険だ!」
「じゃあ、どうする!」
桐斗と優人が言い争っていると、突如、近くの海面がドバンと飛沫を上げた。
「今度は何だい!?」
「また、あの巨人がでたのかね……!?」
優人と桐斗が警戒する中、陸の方を見詰めていた光が、急に歓声を上げる。
「優人、あれ……!」
優人が光の隣に駆け寄って見ると、崖のように切り立った陸地で、小さな人影が二人――
しかも、こちらに手を振っているらしい。
「オォーイッ! 優人ぉー!!」
叫ぶ人影に目を凝らし、優人はハッと目を見開く。
「徹!? 志郎まで、どうしてここに……?」
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