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11.大団円
「キサマのような男に、愛しい娘を渡すものか!」
「やめて、お父様!」
白いヒゲを蓄える大男に、薄桃色のワンピースドレスを着た娘がすがり付く。
そこへ、端から歩み出た青年が、娘に向かって大仰(オオギョウ)に手を広げた。
「おぉ、麗(ウルワ)しのゲルダ姫! 心配なさらないでください。あなたのためならば、私は――! あらゆる困難を、乗り越えてみせましょう!」
声高らかに宣言する青年に、会場から割れんばかりの拍手が沸き上がる。
その後、嵐の海を越えた青年は、剣を掲げた(張りぼての)大男と戦い――
「おぉ、麗しの姫。私の愛を、あなたに捧げます。どうか、この手をお取りください」
「あぁ、愛しい方。あなた様と結ばれる、この日を、ずっと待っていました」
手に手を取り合った青年と姫は、会場からの拍手喝采を受けて、深々とお辞儀を返した。
ますます歓声が高まる中、舞台の緞帳(ドンチョウ)がスルスルと落ちて行く。
こうして北王陣学園演劇部の舞台は、大成功に終わった。
☆ ★ ☆
「いやぁ~、一時はどうなるかと思ったね」
神野家のリビングで、いつもは光のいる席に座った優人が、疲れたように溜め息をつく。
「あ、そうだ。砂神からの預かり物だよ」
そう言って優人は、白い封筒を剣治に渡した。
「あのボトルシップの代金と、助けてもらった謝礼だってさ。志郎の分とセットになっているから、生活費の他は、好きに分けると良いよ」
「ありがとうございます。凄く助かります」
ボトルシップを購入するために、ほとんどの生活費を使い果たしていた剣治は、アパートの家賃にも困っていたらしい。
剣治は安堵の息を吐いて、受け取った封筒を開き、目を丸くした。
「こ、こんなにいただいて、良いんですか!?」
「謝礼なんだから、良いんじゃない?」
あっけらかんと言い放つ優人に、剣治は驚き過ぎて、呆れの混じった溜め息を吐く。
「ボトルシップの代金を別にして、志郎と分けても凄い額ですよ……」
「せっかくだから、今度みんなで出掛けようぜ」
志郎の提案に、みんなが賛成の意を示す。
どこへ行こうか、今から楽しみだ。
「なあなあ、その小切手ってやつ、俺にも見せてくれよ!」
田舎者感丸出しで手を伸ばした徹は、剣治から預かった小切手を、しげしげと眺める。
「へ~、俺、小切手なんて初めて見た!」
「こんな紙に、何万も価値を持たせるなんて、金持ちの考えは分からないな」
素直にはしゃぐ徹の横から覗き込んで、世流は肩を竦めた。
「それじゃ、世流の分は、いらないんだな?」
「なっ――そんな事は言ってないだろ!」
ヤイヤイと騒ぐ徹と世流を、みんなが回りで笑う。
ただ一人だけ、この賑やかな団らんについてこれず、目を白黒させている。
「騒々しくて、驚いただろう? 奏君」
「はい……あ、っと、いいえ……」
緊張して言い淀む奏に、優人はクスクスと笑う。
優人の前世であるロキと、奏の前世である『ヘイムダル』は、最後の大戦『ラグナロク』で互いに刺し違えた。
奏は前世の事など覚えていないだろうが、かつての敵と一緒に食事をするのかと思うと、優人は面白くてたまらない。
「さぁ、鍋ができましたよ。――徹君、小切手は破れると使えませんから、しまってくださいね」
「は~い」
小切手を封筒に入れた徹は、それを剣治に返して、器と箸を手に取った。
「やっぱり、寒い冬は鍋だよなぁ♪」
「今日は豪華に、カニ鍋ですよ」
キッチンから大きな土鍋を持って来た光は、テーブルの中央で場所を取る卓上コンロに乗せる。
白いエプロン姿で家事をする光に、奏はどうして良いか分からず、ずっとソワソワしていた。
いや、神野家の玄関をくぐってから、今までうろたえ通しである。
――どうしても、視えてしまうのだ。
身体を重ねる影の姿が。
例えば普段の徹と世流の影――ハンマーを持つ男と蛇は、毅然(キゼン)として並んでいる。
『対等』と言う意味だ。
しかし、家に入った瞬間、世界は桃色に染まった。
首筋をくすぐるような、甘い香りを肌で感じる。
『夫婦円満』なら聞こえは良いが、神野家にいるのは全員男だ。
それだけでも奏は戸惑うのに、時々ハンマーを持つ男が大蛇に巻き付かれ、愛撫されている姿がうっすらと視える。
他の四人も同じだ。
何事か会話をする度に、肩や手が触れ合う度に……
彼らを象徴する物が、特定の相手と寄り添い、互いに愛撫を交わしている。
もう、どこへ目をやって良いやら――
「視え過ぎると言うのも、大変だね」
「えっ……!?」
テーブルを挟んで向かい側から、思いがけない事を言われた奏は、驚きに声を上げてしまった。
鍋の具を奪いあっていた一堂が、とっさに箸を止め、何事かと奏に注目する。
シンとした空気の中で、徹達の影が一時的に消え失せた。
それでハッと我に返った奏は、余計に戸惑ってしまい、うつむいて縮こまる。
好奇心とも違う、ただただ純粋に驚いている、みんなの視線が痛い。
ただ一人、先の言葉を発した優人だけが、面白そうにニヤニヤと笑っていた。
「君みたいに、未来を予知する事はできないけど――影を視るだけなら、僕にもできるんだよ」
「何の話だ? 優人?」
奏に向かって話していた優人に、徹が首を傾げる。
他の四人も、不思議そうに優人を凝視した。
当の優人は、イタズラっ子のようにクスクス笑う。
「僕達の『夜の関係』が、奏君には視えているんだよ。そのせいで、奏君は戸惑っているんだろう?」
ズバリ言い当てられた奏は、一度言葉に詰まり、ただコックリと頷く。
「えっ? それじゃ、門神先輩……俺と世流が恋人同士だって、最初から知ってたんですか?」
やっぱり恋人同士なのか――と納得しつつ、奏は横に首を振る。
「学校では、対等に並んでるだけだったから、分からなかったけど……家の空気がピンク色で――」
説明しながら、奏は恥ずかしそうにゴニョゴニョと言葉を濁した。
羞恥に赤面した顔が、熱を上げ過ぎて熱い。
関係がバレた面々は、恋人同士で顔を見合せ、照れくさそうに苦笑する。
「まっ、今さら隠してもしょうがねぇよな」
一番最初に立ち直った志郎が、あくび混じりに軽く両手を突き上げ、気ダルそうに背中を伸ばす。
「どうせ隠しても、この辺で俺と剣治がエッチしてんだろ」
「ちょ、志郎……!」
後ろの斜め上を示して手を振った志郎に、顔を真っ赤にした剣治が、慌ててたしなめる。
あぁ、また……空気がピンク色に――
「えっと……俺に視えるのは、その人を象徴する影だから……その……」
奏が続きの説明を躊躇(タメラ)うと、徹が不思議そうに首を傾げる。
「確か、志郎の影は狼で、剣治さんは男の人でしたよね? と言う事は……」
志郎と剣治も含めた全員が、空中に想像を広げ――
「「ギャー!!」」
剣治と奏が、ほぼ同時に悲鳴を上げた。
「「みんなで想像するのはやめてください!!」」
そして、また同時にみんなを止める。
全員で想像したせいで、増幅されたイメージが伝わったらしく、顔を真っ赤にした奏が両手で目を塞ぐ。
剣治にいたっては――経験者なだけに、詳細な想像をしてしまったのだろう。
「ちなみに、俺と剣治の実体験は番外『ある日の神野家〈北欧神話転生異文ハロウィン編〉』を読んでくれよな」
剣治が悲鳴を上げる。
小説は読んで欲しいが、実体験を読まれるのは恥ずかしく、気持ちが激しく葛藤しているようだ。
優人が軽く咳払いして、ピンクの空気を一掃した。
「話を戻そうか……奏君。君は、その予知の力をどうしたい?」
「どう、って……?」
困惑した奏が、訝しげに首を傾げる。
「奏君が望むなら、その力を封印してあげるよ?」
優人の甘言に、奏の心が揺れた。
今までに何度も奏を振り回してきた『予知の力』が、無くなる。
もう抽象的な影に、悩まされる事も無い。
しかし奏は、静かに首を横へ振った。
「確かに、視え過ぎてしまうのは大変ですが……荒神と神野のお陰で、この力が誰かの助けになると、分かりました」
吹っ切れた顔をした奏が、新たな決意を込めて、真っ直ぐに優人を見詰める。
「これからもたくさん、迷う事はあると思うけど、俺は『自分の力』をもっと役立てたい。もっとたくさんの人を助けたいです」
キッパリと宣言した奏の言葉に、優人は満足そうに笑って頷く。
「そう言う事なら『占い』を始めると良い」
「えっ、『占い』?」
ハテナマークを浮かべる奏に、優人は小さな薄い箱を取り出した。
「これは、僕からのお礼だよ。君の力を安定させる手助けになる」
優人が差し出した小箱を、世流から徹へとリレーしていく。
なんか、前にもこんな事したような……
取り敢えず、小箱を受け取った奏は、恐る恐る箱の蓋を開けた。
掌に収まる程度の箱の中には、シルバーで作られた、三角形のペンダントが収められていた。
黒光りする円盤を中央に、不思議な記号を三つ角にして、蔓草の模様が取り囲んでいる。
鏡のように曇りの無い円盤が、奏の顔を映す。
「その角にある記号は、それぞれ、三人のノルン達を表している」
「ノルン?」
何か引っ掛かるのか、奏が怪訝に眉間を寄せる。
「ノルンというのは、北欧神話に登場する三姉妹の女神の事ですよ。長女のウルズが『過去』、次女のヴェルザンディが『現在』、三女のスクルドが『未来』を司っています」
光の解説を飲み込むように、奏が何度も相槌(アイヅチ)を打つ。
けれど、前世の記憶が戻る様子は無い。
「彼女達はウルザルブルン――別名『ウルズの泉』のほとりに住んでいます」
ウルズの泉は、世界を支える大樹『ユグドラシル』の根元にあり、三姉妹は大樹が枯れないよう、樹に水をかけている。
また彼女達は、過去と未来を記した巻物を読み、人の生死を決め『運命の網』を織り上げていく。
「だから他の説では、ウルズが『運命』、ヴェルザンディが『存在』、スクルドが『必然』を司るとも言われています」
「奏君に、ピッタリだろう?」
優人がキザにウィンクを飛ばす。
じっとペンダントを見詰めていた奏は、一度力強く頷いて、ペンダントを首に下げた。
「目を閉じてごらん。気持ちを落ち着けて……」
優人に囁かれるまま、静かに目を閉じた奏は、ゆっくりと深呼吸をする。
周りで見守る徹達も、なんとなく深呼吸をして、そのまま息を潜めた。
優人が続ける。
「他の雑音を追い出すように、僕の声だけに集中して……心の眼を閉じたまま、マブタを開けるんだ」
「心の眼を閉じたまま……マブタを開ける……」
繰り返して呟いた奏は、頭の中にもう一つの眼を想像して、その眼を閉じた。
奏の集中力が、無音の闇を生む。
奏はゆっくりとマブタを開けた。
そして何度かまばたきをする。
「……視えない。みんなの影が視えなくなった」
奏の言葉に、優人がニヤリと笑う。
「上手く切り替えられたようだね」
成功だと分かった面々は、一様に安堵の溜め息をついた。
「良かったですね、門神先輩!」
「ありがとう、荒神」
奏の顔に笑みが広がり、見守っていたみんなも、嬉しそうに微笑んだ。
「今のでコツは掴んだだろう? 後は練習次第で、ある程度自由に力を使う事ができるはずだよ」
「その練習方法が『占い』ですか?」
奏の問いかけに、優人はゆっくりと頷いた。
「『占い』は、その対象に的を絞って、過去や未来を知る事だからね。ほとんどは未来視になるんだろうけど、漠然とした物を視るより、ある程度対象が決まっている方が楽だろう?」
「はい。ありがとうございます」
奏に心から感謝された優人は、珍しくはにかんだ様子で、そっぽを向く。
意外と、感謝される事に慣れていないらしい。
光がクスクスと笑った。
「そろそろお鍋を食べましょうか。奏君も、たくさん食べてくださいね?」
「はい、いただきます」
光特性の鍋の具が入った器を受け取り、奏は嬉しそうに微笑む。
今までは『予知を信じてもらえない』という事に、他の人とは一線を引いた所があった。
けれど今は、奏の予知を信じてくれる人が、少なくとも六人はいる。
いや、信じてくれるばかりか、予知された未来を変えるために、みんなが惜しみなく力を貸してくれる。
こんな存在を『仲間』と言うのだろうか。
みんなで鍋を囲みながら、奏は初めてできた仲間に、胸を熱くしていた。
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