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休日
ケイと一夜を過ごしたのは秋。今はもう冬だ。十二月に入るとなぜだか忙しくなる。不動産業はこれから五月くらいまで忙しい。
あれから何度かバーに行った。彼とは出会えなかった。
声をかけてくれそうなそぶりの人を、かわす様にして店を出ることが続いた。不特定多数の交流を楽しむところなのに、それでは悪い気がした。
なので、それからは行っていない。
たった一晩の出会いでこんなに夢中になってしまうなんて、思わなかった。
ストーカーにでもなってしまいそうな執着ぶりだ。
セックスを楽しむだけの関係とか、割り切っていたはずなのに、俺はどうやら、気持ちの伴わないそれはもうできないと感じた。
少なくとも、ケイに感じているこの気持ちに蹴りがつくまでは、誰とも肌を合わせることはできないと思った。
ちょうど仕事が忙しい時期でよかったと思う。
それでも休日はやってきて、無趣味の俺は寝て過ごすしかない。一人暮らしの狭いアパートは独身男の惨状を示していて、片付ける気にもならない。(いや、片付けられないとも言う)
ちょうど、食べるものもないし、コンビニかスーパーで弁当でも買おうと財布をダウンジャケットのポケットに突っ込んで部屋を出た。
漫画喫茶にでも行って時間を潰そうか、とも考えていつも通勤に使っている駅の傍までやってきた。
漫画喫茶は俺のアパートから向かう駅の出口の反対側にある。俺の最寄りの出口は北口。南口は駅ビルやバスターミナルがあって、そちらの方が栄えている。
都心に出るにはそれほど時間がかからないせいで、ベッドタウンとしても人気の高い駅だ。電車が来ると多くの乗客が駅から出てくる。その人ごみに流されるようにして、南口への通路を横切る。
まだ、昼前なのにサラリーマンも多く降りてくる。
当然のように今日は平日だ。年末年始の休暇前の最後の平日休み。
さすがに正月は実家に帰ろうかと思ってはいるが、帰省ラッシュで混雑する中を電車に乗る気がしなくて迷っている。
ふと、前を見ると見たことのある背中があった。
(あれ?まさか…)
顔が見えないかと少し足早になる。ちらっと見えた顔は確かに見覚えのある…忘れられない顔。
声をかけようか迷って、かけられなかった。
緊張しすぎて勇気が出なかった。一晩だと思ったから声をかけたんだと思う。なのに、昼のこんな時間に再会なんて、ごめんだと思うだろう。
足が止まると後ろから来た人に突き飛ばされた。
よろめいて前にいるケイにぶつかってしまった。ああ、最悪だ。
「す、すいません…」
ぶつかった鼻を押さえて謝った。振り返った顔はやっぱり男前だった。
「いや。…久しぶりだな。タカシ。」
名前を覚えてくれていたことが嬉しかった。
「今日は休みか?ふうん。スーツじゃないと、若く見えるな。」
顎を撫でながらにやにやとして俺に上から下まで視線を這わせる。
ケイにとりあえず邪魔にならないようにと言われて、引っ張られて歩きだした。
ケイは駅ビルの方へと向かって歩いている。腕はまだ引っ張られたままだ。
地下にある、食料品の階に向かうようだ。
「何か、食べたいものはあるか?」
はい?
「昼はまだなんだろう?さっき腹の音が鳴っていたぞ?」
はい。朝から何も食べてないです。
「えっと、特には…」
「なんだ?食わせがいのない奴だな。とりあえず買い物に付き合え。」
えええ???
ど う し て こ う な っ た
なぜか両手に食料品を買い込んでケイのマンション前に今俺はいる。
ケイはセキュリティがついているマンション前の扉を鍵で開けているところだ。
自動扉が開いてケイと一緒に中に入った。
ここのマンションって駅近だし、確か相場はかなり高くて、分譲だったはずだ。コンシェルジュが常時いて、公共スペースにスポーツジムの設備も…と、仕事は今どうでもいい。
なんで俺はケイのマンションに来ているのか、それがいまいちわからない。
両手いっぱいの食料品も。
まさか俺に料理をしろと?無理無理!炊飯器で米炊くのに失敗する俺には絶対無理。
頭の中でいろいろ考えてパニックに陥っている俺はエレベーターを降りるケイに慌ててついていく。
地上十四階建てのマンションの七階の角部屋だ。玄関を上がって左手が部屋、右手が廊下だ。両脇に部屋があって、突きあたりの扉を開けるとリビングダイニングだ。二十畳近くの広さに俺は圧倒されて声が出なかった。キッチンはカウンター式で収納力のある棚や、大きな冷蔵庫が目を引いた。
リビングにはバルコニーに出る大きなガラス戸の傍にソファーセットが置いてあり、カウンター近くにはテーブルのセット。右手奥の壁面にオーディオセットとともに大画面のテレビが置いてあった。
シンプルで白の壁に白の家具。木目と合って落ち着いている。すっきりとしていて機能的に見える。物が出ていないため広く感じている。
俺の部屋とは雲泥の差だ。
キッチンに荷物を置くとケイからソファーに座っていろと言われた。
上質な皮の二人掛けのソファーに腰を沈める。落ち着かない。
ケイは着替えに行ってしまって、どうしようかと思う。
戻ってきたケイはざっくりした黒のセーターと、黒のジーンズ姿だった。やや大きくV字に開いた襟から見える鎖骨が色っぽい。
腕まくりをして食材を冷蔵庫にしまって、必要なものを作業台に並べた。
食材を手際よく仕込んでいく。手慣れたそれに俺は驚いた。出されたのはパスタだったが、具材は平茸と鶏のアラビアータだった。
めちゃくちゃ美味しかった。
「ケイ、すごく美味しい。」
尊敬のまなざしで見てしまって、ふっとケイが笑った。
「それはどうも。」
綺麗に平らげて食器は洗わせてもらおうとしたら食洗機がついていた。
セレブだ。
「ケイは、一人暮しなんだ?」
食後のコーヒーを淹れてもらって(砂糖とミルクを入れさせてもらった)飲みながら聞いた。
「ああ。ほとんど寝るばかりなんだが、料理は趣味だな。家にいる時はあまり出来あいの物は食べないようにしている。普段、そういうのばかりだからな。そういうタカシはどうなんだ?」
う、藪蛇。俺のあの部屋を見られたら死ぬ。
「俺もアパートで独り暮らし。料理は一切できないし、無趣味だけど。こことは違ってワンルームだよ。こっちじゃなく反対側に住んでいる。」
ケイは顎に手を当ててなるほど、と呟いた。
「連れてきてしまったが、何か用事だったんじゃないのか?」
ケイはいまさらなことを聞いてきた。
「いいえ、コンビニで弁当でも買おうと思ってただけ。ちょっと得したかな?」
「得?」
「ケイに手料理をご馳走になるなんて、お得以外の何物でもないでしょう?」
ケイはテーブルに頬杖をついて俺を見つめる。
「タダほど高いものはないかもしれないぞ?現に俺は今、食欲が満たされた次は、性欲を満たしたいと思っているからな。」
俺は言われた瞬間に真っ赤になった。
「それこそお得以外の何物でもないかな?俺もしたいって思っていたから…」
ケイの目が少し驚きに瞠られた気がした。かたっと音がしてケイが立ち上がった。テーブル越しに乗り出してきて、キスされた。
キスはブラックコーヒーの味がした。
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