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第3話

その日は朝からシトシト雨が降っていた。 秋も深まり一雨来るたびに寒さも深まっていく。  「寒くなってきましたなあ」 朝食を取りながらふと、中間の八十助(やそすけ)が身を震わせていた。 八十助は父の代から支えてくれる中間(ちゅうげん)だ。菊之丞が赤ん坊の頃から世話になっていて頭が上がらない。 ※中間…小間使いのこと 屋敷には菊之丞と八十助しかいない。 父親の羽左衛門は昨年、流行病に倒れ菊之丞の身を案じながら亡くなった。 母親は幼少期に亡くなっている。 家族で過ごしたこの屋敷は二人で住むには広すぎた。 菊之丞はこの屋敷と別に、拝領した地面に長屋を建て、これを町人に貸していた。 そして少しばかりの金子を収入としている。 この時代の武士の中には収入が少ない為、この様に部屋を貸し出していた者もいた。 寒い日は廻るのも辛いでしょう、と八十助は傘を持って屋敷の出口まで菊之丞を見送る。 幾分か雨が酷くなってきている様だ。遠くで雷鳴も聞こえている。 「朝の雷は大雨になるらしいですからな。気をつけてくださいよ」 そうだな、と答えながら屋敷の門をくぐった時。 門の外に黒いモノが落ちていた。 否。あれは… 「…人?」 人がこの大雨の中うずくまっていたのだ。 着物がずぶ濡れで黒くなっている。 微かに肩が震えていた。かなりの時間ここにいたのだろうか、寒さで震えているのだろう。 菊之丞は八十助に傘を預け、その背中を押す。 「もし、どうかされましたか」 声をかけられた方はゆっくりと顔を上げる。 その顔を見て菊之丞は思わずアッと声を上げた。 そこにいたのは数日前に一緒に夜鳴きそばを食べた男。芳次郎だったのだ。 雨に打たれて顔はすっかり蒼白くなっている。 菊之丞を見ると力無く笑う。 「やあ旦那さん」 それだけ言うとそのまま意識を失った。 芳次郎はそれから半日眠りこけていた。 あの後、流石に放っておくわけにもいかず、八十助と一緒に部屋に運び入れて布団に身体を横たえた。 身体がかなり熱く、発熱しているのが分かる。 菊之丞は仕事があるためその後を八十助に託す。 八十助は突然現れた得体の知れない男に戸惑いながら看病していた。 菊之丞が帰宅すると芳次郎はもう起きていた。 「気分はどうだ」 布団の側に座り、横になっている芳次郎に話しかける。 顔を見ると青白さは消えて元の顔色になっていた。布団から出ようとした芳次郎を菊之丞が制する。 「ああ、旦那さん。迷惑かけちまって。ここの主人さんは旦那さんかい?お礼を…」 「この屋敷の主人なら父親なんだか、両親とももう亡くなっていてな。 今はさっきの八十助と二人なんだ。迷惑は構わないのだが…何かあったのか?」 雨の中、傘もささずに往来で蹲み込む(しゃがみこむ)なんて。 芳次郎は一瞬だけ言い澱み、頭をかきながらお恥ずかしい話しで…と続ける。 「長屋を追い出されたあ?」 八十助が暖かい茶を持ってきて菊之丞のそばに置く。 それをゆっくりと飲みながら芳次郎の話を聞いている。 色んな職を転々としている芳次郎だが、ここ最近稼ぐことが出来ず、大家への金子も支払えない程だった。 それでも待ってくれていたのだが、とうとう堪忍袋の尾が切れたらしい。 追い出され、行くあてもない芳次郎はふと先日出会った同心のことを思い出してここに来たのだという。 「訪ねてって、お前さん。ここに来てどうするつもりなんだぇ?」 嫌な予感がして思わず八十助が口を挟む。 その予感は的中した。 芳次郎は布団の上に正座し、菊之丞の方へ向けて土下座する。 「旦那さん、頼みます…!何でもするからここに置いてやってくれ!」 菊之丞は驚き八十助は、口をパクパクさせていた。 「お、お前さん何言ってんだ!何処の馬の骨か分からん奴を旦那様が雇うと思うか!」 「頼んます…!俺ぁもう帰る処がねぇんだ!」 八十助の言葉には耳もくれず、土下座を続ける芳次郎。 菊之丞は少しばかり思案しながら芳次郎を見る。 会ったのは二回目で八十助の言う通り、素性が分からない男だ。 普段の菊之丞なら追い返すだろう。 だが、雨の中どのような気持ちで1度しか会ってない自分をどれくらい待っていたのか。 帰る場所がないと言われれば断わることなどできない。 菊之丞はそこまで冷酷になれなかった。 「…八十助、長屋の部屋が空いてただろう。あそこを貸してやれ」 「へっ」 「えっ」 思わず顔を上げた芳次郎。断ると思っていた八十助も驚いて声を出す。 抗議する八十助を尻目に芳次郎はありがてぇと菊之丞の手を取り何度も礼を言っていた。 「礼はいいから手を離せ…」 「すまねぇ、嬉しくてつい!」 芳次郎は満遍(まんべん)の笑みを浮かべていた。離した手をそのまま八十助に持ってゆく。 「八十助さん!よろしくな!」 「き、気軽に名前呼ぶんじゃねえ!」 手をとられた八十助はプイと顔を背ける。 賑やかな奴だなあと菊之丞は八十助と芳次郎のやり取りを見ていた。

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