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第10話

木々の新芽が眩しい季節になっていた。 落ち込んでた八十助も、寂しがっていた長屋の子供たちもすっかり元気になったこの頃。 町廻りしていた菊之丞は帰宅前に空腹を覚えていた。 兵吉とは別れた屋敷までの道のり。 たまたま、そば屋が出ていた。 (食ってくか) 先客の邪魔にならないように席を選ぼうと暖簾(のれん)をあげて横を見た時。 芳次郎がいた。 「…!」 菊之丞は驚いて動きを止めた。 芳次郎はそばを食べていて菊之丞に気付かない。 (本当に芳次郎なのか) 以前より痩せたようだ。 突っ立ったまま動かない菊之丞に店主が不思議に思い、声をかけた。 「旦那さん、食べるのか、食べねぇのか?」 芳次郎がその言葉に反応して隣に立つ菊之丞を見上げる。 「…あ」 二人の視線が合う。 久しぶりに見た芳次郎の顔。 「おやっさん、ご馳走さま!代金おいとく!」 芳次郎は慌てて箸を置き、代金を投げて席を立つ。 そして脱兎(だっと)の如く走っていく。 「な…!お、おい!」 驚いたのは菊之丞だ。芳次郎の逃げた方へ駆け出した。 「なんだあ、ありゃ」 残されたそば屋はぽかんとしていた。 「待て!芳次郎…っ!」 芳次郎の脚は早い。以前かけっこの真似をしてうっかり負けてしまった。だが、今回は違う。 食事をした後で芳次郎が全速力が出来ないのか、菊之丞の同心の意地なのか。 菊之丞は芳次郎を捕まえた。 腕を掴まれて芳次郎は尚、抵抗する。 「離せっ」 「何故逃げる!」 菊之丞に怒鳴られ、ビクッと身体が揺れた。 「どんだけ探したと思うんだ…!」 気がつくと菊之丞は芳次郎を抱きしめていた。 「ちょ…!旦那さん!往来だ!」 構うもんか、もう逃したくないんだと更に抱きしめる。 こんなに感情を露わにするなんていつぶりだろう。 「分かったよ、逃げねぇからとりあえず移動しねえと!」 芳次郎は菊之丞の身体を剥がし、手を繋いで移動する。 町人が同心を引っ張りながら歩いてるのを見て、町人たちは不思議そうに見ていた。 結構な距離を歩いたのち、芳次郎の現在の住まいに到着した。 部屋に入り、芳次郎は律儀に茶を入れてくれた。 茶を飲んだあとも気まずい空気が漂う。 其れを破ったのは芳次郎の方だった。 「…八十助さんは元気かい」 「あ、ああ。長屋の住人も、子供たちも元気だ」 「…そうかい。なら良かった」 少し寂しげに視線を落とす。 「だけど、皆お前がいなくなって当分沈んでた。八十助なんてずいぶん落ち込んでたよ」 「…」 菊之丞は懐から煙管を取り出し、芳次郎の目の前に置く。驚いて思わず菊之丞の顔を見る。 「忘れ物だ」 その言葉に、芳次郎は全て悟った。 「これが何か分かった?俺が何者かも」 自嘲を含んだ笑い顔で菊之丞を睨む。 だか菊之丞は怯むことなく答えた。 「俺の父上の煙管で、お前は俺の弟だ」

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