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番外編・遠距離ワンコ 1
机にシャープペンシルを置くと大きく伸びをしながら立ち上がり、窓を開けてベランダに出た。
その瞬間、冷たい空気が鼻腔を抜け暖房で少しぼーっとしていた頭が冴えてくるのがわかる。
とても静かな夜だ。寝静まったような街を見ていると、この世界で起きているのは自分だけなんじゃないかという感覚になる。
ベランダから時計を確認すると、不意にあくびが出た。
受験勉強も大詰めで最後の追い込みと思って集中していたらこんな時間になっていた。
「もう、寝ようかな」
ひとりごちながらふと見上げた空に浮かぶ綺麗な月が目に入った。満月ではなかったが、それに近しい形をしていて思わず机の上に置いてあったスマホを手にして写真を撮ってみる。
「明日か明後日くらいが満月なのかな」
うまく撮れた写真を見ながら、ふと先輩のことを思い出していた。
一年先に進学した先輩とは、一年間限定の遠距離恋愛中だった。
ちょうど先輩の進路を決める頃に二人で話し合い、大学は実家から出ようという話になってその時点でだいたいの進路を決めた。
そして先輩は今、大学近くのアパートで一人暮らしをしている。
連絡は頻繁に取ってるけど会えるのは年に数回だけで、毎日べったりだった生活から一転して最初は辛くてたまらなかったけど、それも大学に合格するまでって思って奮起してきた。
志望校に受かれば先輩に会いにいける。
(早く会いに行きたい……)
先輩のことを思い出すと、どうしてももの寂しい気持ちになってしまう。
その度にやっぱり俺には先輩が必要なんだと実感して会いたくて堪らなくなる。
でも、もう少しの辛抱だ。
一生懸命頑張ってきたし、きっと大丈夫。
自信がなくなりそうになるたびに自分に言い聞かせたりして、受験前のそわそわした気持ちを落ち着かせていた。
頑張ってきたという自信もあるけれど、不安と期待が入り混じるようなこんな気持ち、先輩もこんなだったのかな。
綺麗に撮れた月の写真を見ていたら、改めて頑張ろうと思って、そしてこれを先輩にも見せたいと思った。
もう寝ているかもしれないけど、メッセージを送るだけならいいかなって画面をタップする。
そして月の写真を送った。
【月が綺麗です】そうメッセージを添えて。
またあくびが出た。そろそろ寝よう。そしてまた起きてから頑張ろうと部屋の中に戻り机にスマホを置いた瞬間、着信音が鳴った。
ディスプレイには先輩の名前が表示されていたのて慌てて通話ボタンをタップする。
「あ、先輩……ごめんなさい。起こしちゃいましたか!」
すると電話の向こうでクスクスと先輩の笑い声が聞こえた。
『何、開口一番謝ってんだよ。たまたま起きてただけだから気にすんな。受験勉強捗ってるか?』
「はい。先輩に会えないのは死ぬほど寂しいですけど、もう少しなので頑張ります」
またクスッと笑う声が聞こえる。
『ああ、頑張れよ。俺も早く会いたいし』
「先輩も会いたいって思ってくれてるんですね」
『当たり前だろ。寂しいのはお前だけじゃないよ』
先輩の穏やかな口調に、自分の顔も綻んだ。
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